ドリアーヌ・ピン
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| ドリアーヌ・ピン | |
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2025年 | |
| 基本情報 | |
| 国籍 |
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| 生年月日 | 2004年1月6日(22歳) |
| 出身地 |
ヴァル=ド=マルヌ県イヴリー=シュル=セーヌ |
| FIA 世界耐久選手権での経歴 | |
| デビュー | 2022 |
| 所属 | アイロン・デイムズ |
| 車番 | 85 |
| 過去所属 | プレマ・レーシング |
| 出走回数 | 10 |
| 優勝回数 | 0 |
| ポールポジション | 0 |
| ファステストラップ | 0 |
| シリーズ最高順位 | 9位 (2023 (LMP2)) |
| 過去参加シリーズ | |
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| 選手権タイトル | |
| 受賞 | |
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ドリアーヌ・ピン(Doriane Pin, 2004年1月6日 - )は、フランス出身の女性レーシングドライバーである。
カート
9歳でカートを始め、2016年にはフランス選手権に出場[1]。3年間出場し続け、2017年に10位、2018年に5位、2019年に女子部門で優勝[2][3]。また、エステバン・マッソンとともにFIAモータースポーツ・ゲームス・カートスラローム・カップにも出場した。
ルノー・クリオ・カップ
2020年にGPAレーシングよりルノー・クリオカップ・フランスでカーレースデビューを果たす。3戦のみ参戦し、総合14位(最高位は9位)。
ル・マン・カップ
2021年にサラー・ボビー、マニュエラ・ゴスナーとともにアイロン・リンクスからル・マン・カップ・GT3クラスにフル参戦[4]。表彰台を5回獲得し、ランキング5位を記録[5]。
フェラーリ・チャレンジ / ELMS

2021年、フェラーリ・チャレンジ・ヨーロッパ・プロ部門に参戦し、最終戦(ムジェロ)で6位が最高位となり、ランキング9位を記録。
2022年もスクーデリア・ニキ・ハスラー・アイロン・リンクスより継続参戦し、優勝9回・ポールポジション10回・ファステストラップ11回を記録し、1戦を残してシリーズチャンピオンを獲得[6][7]。ピンは後に「この1年間で本当に成長した」と述べ、チームへのフィードバックをより効果的に伝える方法を学んだシーズンだったと語っている[8]。
ヨーロピアン・ル・マン・シリーズ
2022年のヨーロピアン・ル・マン・シリーズ第3戦(モンツァ)終了後にラヘル・フライに代わってアイロン・リンクスに加入[9]。第4戦(バルセロナ)ではリタイアしたものの、第5戦(スパ・フランコルシャン)で2位表彰台を獲得すると同時にGTEクラスでファステストラップを記録。最終戦(アルガルヴェ)ではポール・トゥ・ウィンを達成した[10][11]。
WEC/IMSA
2022年にバーレーンで開催されたFIA 世界耐久選手権のルーキーテストにJotaスポーツから参加した[12]。

2023年にミルコ・ボルトロッティ、ダニール・クビアトとともにプレマ・レーシングからFIA 世界耐久選手権・LMP2クラスに参戦[13]。開幕戦(セブリング1000km)で3位表彰台を獲得すると[14][15][16]、第2戦(ポルティマオ)で4位、第3戦(スパ6時間)では2位でチェッカーを受けたが、セーフティカーの出動違反による3分間のストップ・アンド・ゴーのペナルティにより、10位降順となった[17]。シーズン終了後、レベレーション・オブ・ザ・イヤーを受賞[18][19]。

同年にIMSA スポーツカー選手権に3戦出場し、アイロン・デイムスからGTDクラスに参戦[20]。最終戦(プチ・ル・マン)ではGTDクラスでファステストラップを記録したが、メカニカルトラブルにより12位でフィニッシュした[21]。
2024年、WECからLMP2クラスが廃止となったことで新設されたLMGT3クラスに移り、アイロン・デイムスに復帰(チームメイトはミシェル・ガッティングとサラー・ボビー)[22][23]。WECと同時にフォーミュラ・リージョナル・ヨーロピアン・チャンピオンシップの参戦により、ル・マン以外のレースはフライが代役を務めていたが[24]、自転車事故で肋骨を骨折したためル・マンを欠場した[25][26][27]。
フォーミュラカー
フォーミュラ4
2023年、プレマ・レーシングからF4東南アジア選手権の終盤2戦に出場。最終戦(セパン)のレース2で2位、レース3で優勝を記録し、ランキング2位[28]。
2024年、プレマ・レーシングからフォーミュラ4・UAE選手権に4戦出場し、優勝1回・ポール1回・66ポイントを獲得しランキング10位で終えた[29]。
F1アカデミー

2024年、プレマ・レーシングからF1アカデミーに参戦。メルセデスと提携すると同時にメルセデス・ジュニア・チームと契約[30]。開幕戦(ジェッダ)の両レースでポールポジションを獲得し、レース1で勝利したが、レース2ではトップチェッカーを受けたが、チェッカーフラッグを2回通過し20秒のタイムペナルティに換算されたため、9位降格となった[31]。第4戦(ザントフォールト)と第6戦(ルサイル)で勝利し、ランキング2位で終えた。
2025年も同チームに残留[32]。開幕戦(上海)のレース1で優勝を飾ると、第3戦(マイアミ)と第4戦(モントリオール)でも勝利し、ポイントリーダーを維持した[33]。
また最終戦(ラスベガス)のレース2で5位入賞したため、2025年のワールドチャンピオンとなった。
フォーミュラ・リージョナル

2024年、アイロン・デイムスからフォーミュラ・リージョナル・ヨーロピアン・チャンピオンシップに参戦[34]。第2戦(スパ・フランコルシャン)でインフルエンザにかかりレース2から撤退し、第3戦(ザントフォールト)では自転車事故で肋骨を骨折したため欠場した[35][26][27]。第6戦(ポール・リカール・サーキット)で記録した14位が最高位だった(ランキング27位)。
2025年、プレマ・レーシングからフォーミュラ・リージョナル・ヨーロピアン・チャンピオンシップ、ムンバイ・ファルコンズからフォーミュラ・リージョナル・ミドル・イースト・チャンピオンシップに参戦[32]。
フォーミュラ1
2026年1月21日、2026年シーズンよりメルセデスの開発ドライバーとしてチームに加入することが発表された[36]。