エーシンホワイティ

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欧字表記 A Shin Whity[1]
性別 [1]
エーシンホワイティ
テレビ愛知オープン出走時(2011年5月21日)
(手前、奥は1着馬ヘッドライナー
欧字表記 A Shin Whity[1]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 鹿毛[1]
生誕 2007年3月27日(19歳)[1]
抹消日 2016年9月8日
サクラバクシンオー[1]
ライジングサンデー[1]
母の父 サンデーサイレンス[1]
生国 日本の旗 日本北海道新ひだか町
生産者 千代田牧場[1]
馬主 平井宏承
→(株)栄進堂[1]
調教師 松元茂樹栗東[1]
競走成績
生涯成績 45戦11勝
平地:31戦5勝
障害:14戦6勝
[1]
獲得賞金 2億8027万2000円[1]
勝ち鞍
GIIIファルコンS2010年
J・GIII新潟ジャンプS2014年
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エーシンホワイティ(欧字名:A Shin Whity2007年3月27日 - )は、日本競走馬[1]。主な勝ち鞍に2010年ファルコンステークス2014年新潟ジャンプステークス

馬名の由来は、冠名+白っぽい。

デビュー前

2007年3月27日、北海道新ひだか町千代田牧場で生まれる。2007年、北海道セレクションセール当歳市場において2,610万円(税別)で平井豊光に落札される。

2歳(2009年)

栗東トレーニングセンター松元茂樹厩舎に入厩し、6月28日の2歳新馬(阪神ダート1200m)でデビュー。初戦は4着に敗れる。2戦目から芝を使われ、2歳未勝利をクビ差制し2歳コースレコードのタイムで初勝利を挙げた。続くフェニックス賞は単勝1.9倍の支持を集めたが2着に敗れる。次走、デイリー杯2歳ステークスは7着に終わる。続く2歳500万下は人気に応え、2番手から3/4馬身抜け出して2歳コースレコードをマークし2勝目を飾った。福島2歳ステークスは後方から追い上げるも4着まで。GI挑戦となった朝日杯フューチュリティステークスは最後方からの競馬で9着に敗れた。

3歳(2010年)

3歳初戦、シンザン記念は7着。続くファルコンステークスは道中やや後方から直線外に持ち出すと鋭く伸び、内を突いて伸びてきたトシギャングスターをハナ差交わして1着。重賞初制覇を飾った[2]。次走はニュージーランドトロフィーに進むが11着と惨敗。16番人気で挑んだNHKマイルカップは6着に食い込んだ。しかし、レース後に右撓骨遠位端骨折を発症していることが判明し、長期休養を余儀なくされた[3]

4歳(2011年)

10か月ぶりとなった復帰戦のオーシャンステークスは12着に終わる。続くオーストラリアトロフィーで0.1秒差の3着と好走すると、テレビ愛知オープンではヘッドライナーにハナ差の2着と惜敗した。CBC賞は5着と掲示板を確保した。その後は降級し、降級初戦となったジュライステークスは1.7倍の人気を集めたが、エーシンリターンズとの追い比べに敗れ2着。単勝1.4倍の断然人気で挑んだ彦根ステークスは好位で流れに乗ると、直線入り口で先頭に並び、最後は1馬身1/4差をつけて快勝。降級2戦目でオープンに返り咲いた[4]。その後、セントウルステークスは10着、オパールステークス9着と今ひとつな競馬が続いた。その後は休養に入った。

5歳(2012年)

半年ぶりとなった5歳初戦、春雷ステークスはやや出遅れ気味のスタートで道中最後方から、直線で上がり最速の鋭い伸び脚を見せて外からまとめて差し切り優勝、5勝目を挙げた[5]。続く京王杯スプリングカップは6着に敗れる。中1週で挑んだ安土城ステークスは後方から脚を伸ばすもドリームバレンチノに及ばず2着となった。3か月半ぶりとなったセントウルステークスはブービーの15着と大敗。オパールステークスはゴール前5頭が並ぶ接戦のなか、テイエムオオタカにクビ差の2着と惜敗した。その後、スワンステークス10着、京阪杯9着とそれぞれ敗れた。

6歳(2013年)

6歳になり、淀短距離ステークスは7着。続くシルクロードステークスは0.2秒差の6着となる。その後は、オーシャンステークス、新馬戦以来のダートとなった欅ステークス、函館スプリントステークスと3戦連続13着と惨敗に終わった。休養後、障害転向に向けて調教が行われた。

7歳(2014年)

障害転向初戦、7か月半ぶりの出走となった障害4歳上未勝利で2着と好走する。障害2戦目となった障害4歳上未勝利も2着に入り、3戦目で1.3倍の断然人気に応え5馬身差の快勝。障害初勝利を飾る。3か月ぶりとなった障害3歳上オープンは2番手から直線で逃げるニジブルームを交わして1着、連勝を飾った。重賞挑戦となった新潟ジャンプステークスは3コーナーで先頭に立つと、直線で加速しそのまま独走。後続に10馬身差をつける圧勝で平地・障害の重賞制覇を成し遂げた[6]。次走、東京ハイジャンプはいったん先頭に立つも最後にサンレイデュークにクビ差差し切られ2着に敗れた。断然人気で挑んだ秋陽ジャンプステークスは2着とは接戦だったが、3着以下に大差をつけるレコードタイムで制して障害連対記録を7に伸ばした[7]

8歳(2015年)- 9歳(2016年)

8歳初戦、春麗ジャンプステークスはゴール前でダノンゴールドを捕えて1着[8]。障害5勝目を飾ると、3か月後の障害4歳上オープンを2着に5馬身差、3着には大差をつけて1着、レコードタイムで3連勝を飾った。1.4倍の人気でのレースとなった東京ジャンプステークスは前目につけるも馬群に飲まれ9着と惨敗。連続連対記録が9でストップした。連覇を狙った新潟ジャンプステークスは3着と善戦する。続く東京ハイジャンプは逃げ切ったサナシオンに2馬身半差の2着に敗れた。次走、秋陽ジャンプステークスは5着に敗れる。その後は怪我により長期離脱となった。

9歳になっても現役を続け、9か月ぶりとなった復帰戦、新潟ジャンプステークスはブービーの13着と惨敗。これが最後のレースとなり、9月8日付けで競走馬登録を抹消された[9]。障害では全レースを北沢伸也が乗り続けた。

引退後

引退後は山梨県北杜市の小須田牧場で乗馬となると発表された[9]。発表以降に滋賀県甲賀市の水口乗馬クラブに移動し、馬術競技の大会にも出場していた[10][11]2025年、慢性的なフレグモーネを原因として乗馬を引退することとなり、水口乗馬クラブから一般社団法人馬のねがいに無償譲渡される[12]。その後獣医師の運営する乗馬クラブで療養していたが、引退馬協会による「ナイスネイチャ・35歳のバースデードネーション」の対象馬となることが決まり、同年12月1日付で同協会の所有なった[12]。現在は山口県宇部市の宇部乗馬クラブにて同協会のフォスターホースとして余生を送っている[12]

競走成績

血統表

脚注

外部リンク

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