ヘルムート・コイニク
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ヘルムート・コイニク(Helmut Koinigg、1948年11月3日 - 1974年10月6日)は、オーストリア・ウィーン出身のレーシングドライバーである。
ヘルムート・コイニグと表記されることもある。
生涯
フォーミュラ・スーパーヴィー、フォーミュラ・フォード、ツーリングカーなどで活躍。ル・マン24時間レースにも参戦経験がある。
1974年8月17日、ブラバムのマシンを使用するプライベーターチーム・スクーデリア・フィノットから、地元である第12戦オーストリアGPにエントリー。しかし、この際は予選落ちに終わっている。9月22日、第14戦カナダGPからは、ドライバーが移籍しシートの空いていたサーティース・チームから参戦。予選を22位で通過し、10位で完走した。
事故死
F1デビューから2週間後、ワトキンズ・グレン・サーキットにて開催された最終戦アメリカGPに参戦したコイニクは、予選を23位で通過、2戦連続の決勝進出を果たした。しかし迎えた10月6日の決勝中、10周目のチュート・カーブでサスペンショントラブルに見舞われ、カーブを曲がれないまま三段ガードレールに進んでいったマシンは、跳ね返ることなくそのままガードレール最下段を突き破って直進し、奥の別箇所のガードレールに激突してようやく停止した。この事故により、コイニクはマシン上部もろとも首を切断され即死した。凄惨な事故に至った原因は、ガードレールの構造上の欠陥とされている。
補足
- ちょうど一年前の1973年アメリカGPでもフランソワ・セベールが足から鎖骨までを真っ二つに引き裂かれて事故死しており、2年連続で同じ月日に同じサーキットで切断事故が起こる結果となった。
- 斬首という形での死亡事故は、1960年ベルギーGPのクリス・ブリストウ以来2例目であった。
レース戦績
F1
ル・マン24時間レース
| 年 | チーム | 使用車両 | コ・ドライバー | 順位 | リタイア原因 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1973年 | フォード・カプリ LV | DNF | バルブの損傷 | ||
| 1974年 | ポルシェ カレラ RSR | DNF | 火災 |