マーチー・リー

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国籍 香港の旗 香港
生年月日 (1976-09-02) 1976年9月2日(49歳)
デビュー 2012
マーチー・リー
フォーミュラ・アジアV6・バイ・ルノー参戦時のマーチー・リー
基本情報
国籍 香港の旗 香港
生年月日 (1976-09-02) 1976年9月2日(49歳)
出身地 イギリス領香港
アウディ・R8 LMSカップでの経歴
デビュー 2012
所属 アウディ・ウルトラ
車番 1
出走回数 12
優勝回数 3
ポールポジション 4
シリーズ最高順位 1位 (2012)
過去参加シリーズ
2011
2010
世界ツーリングカー選手権
ポルシェ・カレラカップ・アジア
選手権タイトル
2012
2004
アウディ・R8 LMSカップ
フォーミュラ・BMW・アジア

マーチー・リー・イン・キン(Marchy Lee Ying-Kin, 繁体字: 李英健、1976年9月2日 - )は、香港のレーシングドライバー。

父親もレーサーだったため、幼い頃からカートに参戦し、1996年に珠海国際サーキットが建設された際、第1回中国フォーミュラキャンパス選手権に参戦し優勝を飾ると、フランスル・マンにあるラ・フィリエール英語版・レーシングスクールへのスカラシップを獲得。

3年間フランスで過ごし、フォーミュラ・キャンパスからフランスF3選手権へステップアップした。

その後拠点をアジアに戻り、アジアとオーストラリアのF3レースに参戦。セパンで開催されたアジアF3レースで2勝を挙げ、マカオグランプリでは7位完走を果たす[1]

2003年8月、悪天候に見舞われたフィリップ・アイランドで開催されたオーストラリアF3レースでポールポジションを獲得[2]

その後、北京で開催されたフォーミュラ・BMW・アジアで2勝を挙げ、マカオで開催されたフォーミュラ・ルノーでは中尾秀彬に次いで2位となった[3]。また、ポルシェ・カレラカップ・アジアにも参戦し、、アクセルペダルにトラブルを抱えていた中でアレックス・ユーンチャールズ・クワンマシュー・マーシュ英語版ナイジェル・アルボン英語版に次ぐ5位でチェッカーを受けた[4]

フォーミュラ・BMW・アジア参戦時代(2004年)

2004年、 チーム・メリタスからフォーミュラ・BMW・アジアに参戦し、12勝を挙げ、中国人初のチャンピオンとなった。チャンピオンを獲った副賞に、チーム・ロズベルグF3チームとの3日間のテストに参加した[5]

2004年のフォーミュラ・BMW・アジアでタイトルを獲得した後、ムジェロミナルディチームでF1マシンをテストする機会も得たが、中止となった[6][7]

2005年と2006年にはスポンサーとの契約の問題でレースから遠ざかっていたが、フォーミュラ・アジアV6・バイ・ルノー英語版最終戦珠海よりチーム・メリタスに復帰。マシュー・ハリデー英語版に次ぐ2位に入り、ファステストラップを記録した[8]

2007年3月24日 - 25日に珠海で開催されたアジアン・スーパーカー・チャレンジにフェラーリ・F430で出場し、優勝1回、2位1回を獲得した。その後セパンで開催されたポルシェ・カレラカップ・アジアに出場し、2位を2回獲得した。

2007年のフォーミュラ・アジアV6・バイ・ルノー・シリーズにメリタスより参戦[9]

2007年7月13日、エイドリアン・フーが設立した新チームのドライバーに選ばれ、ポルシェ・カレラカップ・アジアの残りのレースに参戦した[10]

2007年8月1日、8月末にシルバーストンで開催されるA1チーム・チャイナ英語版のルーキーテストに、他の3人のドライバーと共に参加し、9月20日、A1チーム・チャイナのセカンドドライバーとして起用することを正式に発表された。10月12日にチェコで開催された第2戦でデビューを果たすと、ルーキーセッションではチームのデータ収集に尽力し、チェン・コンフーは10位と4位に入賞した。

2007年11月4日、珠海で開催されたポルシェ・カレラカップ・アジアに出場し、第11戦と第12戦で2連勝した[11][12]。続く11月18日には、マカオ戦にも出場し、4位に入賞した(その後、優勝したダニー・ワッツ英語版が黄旗区間で追い越しをしたため30秒のペナルティを受けたため、3位に昇格した)。

2008年に初開催のスピードカー・シリーズに参戦した中で初の中国人ドライバーとなり、50号車を駆った[13]。第3戦バーレーンでのレース2で4位、最終戦ドバイでの2レースで5位と3位を獲得し、ランキング9位となった。

スピードカー・シリーズと並行してチーム・ベターライフからポルシェ・カレラカップ・アジアにも参戦し、開幕戦セパンで2位と4位を獲得すると、第2戦上海では2位と5位を獲得した。

アレックス・ユーン、マシュー・マーシュと共に優勝トロフィーを掲げるマーチー・リー(写真左、インターコンチネンタル・ル・マン・カップ - 珠海1000kmGTCクラスにて)

2010年、ダイナテン・モータースポーツが運営するレッドブル・レーシングからポルシェ・カレラカップ・アジアに参戦し、6月に開催された珠海で2勝を挙げた。珠海での最終戦ではクリスチャン・メンツェルとのタイトル争いを繰り広げていたが、惜しくもランキング2位に終わった[14]

2010年11月7日、マシュー・マーシュ、アレックス・ユーンと組み、インターコンチネンタル・ル・マン・カップ珠海1000kmのKKパフォーマンス(ダイナテン・モータースポーツが運営)のアウディ・R8 LMSを駆った。予選11番手からスタートした98号車はレースの中心となり、ユナイテッド・オートスポーツの96号車がリタイアし、GTCクラスのトップを引き継ぎ、総合12位でチェッカーを受けた[15]

2011年11月21日、マカオGTカップでアウディ・R8 LMSを駆り、ランボルギーニ・ガヤルドを駆る澤圭太に敗れて2位に終わった[16]

2011年3月10日、 KKモータースポーツから世界ツーリングカー選手権に参戦すると発表した[17]。しかし、わずか3戦で選手権から撤退した。

2012年11月11日、上海インターナショナル・サーキットで開催されたアウディR8 LMSカップ第12戦・最終戦で2位となり、初代チャンピオンとなった[18]

人物

現在、妻と2人の娘と共に香港に住んでいる。

レース戦績

脚注

外部リンク

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