フレデリック・マコヴィッキィ
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| フレデリック・マコヴィッキィ Frédéric Makowiecki | |
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| 基本情報 | |
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1980年11月22日(45歳) |
| 出身地 |
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| FIA 世界耐久選手権での経歴 | |
| デビュー | 2012年 |
| 所属 | ポルシェ・ペンスキー・モータースポーツ |
| 車番 | 5 |
| 過去所属 | アストンマーティン・レーシング,チーム・マンタイ,ポルシェ・GTチーム |
| 出走回数 | 46 |
| 優勝回数 | 6 |
| ポールポジション | 8 |
| シリーズ最高順位 | 2位 (2014,2017) |
| 過去参加シリーズ | |
| 2013-14,19 2010–2012 2006-09 2006, 08 2005, 07-08, 10 2003-04, 06-10 2000 |
SUPER GT FIA GT1世界選手権 FIA GT3ヨーロッパ選手権 FIA GT選手権 FFSA GT選手権 ポルシェ・カレラカップ・フランス フランス・フォーミュラ3選手権 |
フレデリック・マコヴィッキィ(Frédéric Makowiecki, 1980年11月22日 - )は、フランス・アラス出身のレーシングドライバーである。
現在はFIA 世界耐久選手権に参戦しており、ニュルブルクリンク24時間レース(2018年)やセブリング12時間レース(2018-20年、GTLMクラス)での優勝経験を持つほか、ホンダや日産からSUPER GTのGT500クラスに出場した経歴も持つ。
初期
14歳から本格的にレーシングカートでキャリアを始める。2000年にフランスF3選手権のBクラスに参戦、シリーズ4位に入った。以降はGTカーレースのでの活動が中心となり、2001年からフランスGT選手権やポルシェ・カレラカップに参戦。2010年にはこの年から世界選手権に格上げとなったFIA GT1世界選手権に参戦を開始し、シリーズ3位を獲得。また、2011年はスポット参戦ながら、4勝を挙げる活躍を見せた。その活躍から来期のプジョー・908でのル・マン24時間レース参戦の計画が上がったが、同年限りでプジョーがプログラムを中止した事で立ち消えとなった。以降、2023年にポルシェでのハイパーカーに加入するまでは、LMGTEでのル・マン参戦を続ける事となる。
日本での経歴
2013年
それまでのFIA GT選手権等での活躍が評価され、ミシュランの推薦で童夢レーシングと契約しSUPER GTに参戦した[1]。第5戦鈴鹿1000kmではポールポジションからスタートした日産23号車を中盤で交わし、チームメイトの山本尚貴と共に初優勝を飾った[2]。表彰台はこの1回に留まったものの、シーズンを通して安定した成績を残し、最終戦までタイトル獲得の権利を残してシリーズランキング4位を記録した。翌2014年についても引き続き童夢から参戦予定であったが、帰国後に家族からの強い反対を受け、後に童夢側との合意の下、契約を解除するに至った[3]。

2014年
童夢との契約解除の直後の12月、ポルシェとワークスドライバー契約を結び、翌年はポルシェ・チーム・マンタイからFIA 世界耐久選手権のGTE-Proクラスに参戦していたが、7月3日に童夢が第4戦SUGOよりジャン=カール・ベルネイに代わってマコヴィッキィを起用すると発表した。この起用に関して、童夢は「シリーズ後半戦に向けチームの総合力をさらに高めることを目指し、クルマの進化と性能促進を可能な限り早めるために広範囲な経験を持つドライバーを起用することを決定した」と発表している[4]。
復帰2戦目の第5戦富士では2度の赤旗が出される荒れた天候のレースを制し、NSX CONCEPT-GTにとって初の優勝となった[5]。FIA 世界耐久選手権へはSUPER GTと平行して参戦し、バーレーン6時間レースと日程の重なった第8戦もてぎに関しては欠場し、代わってこの年GP2シリーズに参戦していた伊沢拓也がステアリングを握った[6]。
2019年

日産から5年ぶりにGT500クラスに復帰し、平手晃平と共にNDDP RACINGから参戦した[7]。第7戦菅生ではミシュランタイヤの優位を生かし、ウエットコンディションで独走の優勝を果たした[8]。最終戦ではエンジントラブルによりグリッドに着くことが出来ず、9位でシーズンを終えた。シリーズ終了後、翌年はウェザーテック・スポーツカー選手権へのフル参戦が決定したため、1年で再びSUPER GTを去ることとなった。
世界耐久選手権
アストンマーチン(2013)
SUPER GT参戦と並行しながら、アストンマーティン・レーシングよりFIA 世界耐久選手権のLMGTE Proクラスに参戦。オースティン6時間と富士6時間でそれぞれ優勝を飾った[9]。
ポルシェ(2014-24)

2013年12月、ポルシェはマコヴィッキィと翌年からのワークスドライバー契約を結んだことを発表した[10]。マルコ・ホルツァー(後半戦はパトリック・ピレに交代)と共にFIA 世界耐久選手権を走るポルシェ92号車をドライブし、開幕戦シルバーストーンと第6戦上海で優勝してランキング2位となった。2019年は前述の通り、日産からSUPER GT参戦の為、プログラムを一時休止したが、2020年に再び再開。ハイパーカー規定に変わった世界耐久選手権にて、ワークス活動を再開するポルシェが送り込むポルシェ・963の開発ドライバーに就任。活動再開年となる2023年にレギュラードライバーとして念願だったプロトタイプマシンでの参戦となった[11]。2024年シーズンを持ってポルシェから離脱を発表した[12]。
アルピーヌ(2025)
ポルシェ離脱後の去就が注目されたが、2024年11月28日付でアルピーヌに加入した事が発表された[13]。