ユーシン渓谷
神奈川県山北町にある渓谷
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概要
玄倉川は、塔ノ岳・丹沢山・蛭ヶ岳・檜洞丸など、丹沢山地の主要な山々から水を集めて流下する河川である。 その上流部では、かつて林業関係者が居住していた。 「ユーシン」とは、当時「ユウシン休泊所」があった場所の地名であり、今は休業中のユーシンロッジが残る[4][5][6] [引用 1] (→ユーシンの名の由来)。
中流部では、河川の侵食作用が著しく、地盤の隆起に伴って穿入蛇行が発達し、深い峡谷地形を呈する[7][8]。 また、玄倉川本流の下刻に支沢の侵食速度が追い付かず、合流部に滝が生じる懸谷地形も見られる[7][9]。 この区間は、その険しい地形から、かつて渓流遡行者から「丹沢黒部」とも呼ばれた[10]。
- 境隧道出口付近から
- 新青崩隧道出口から
- 玄倉ダムの貯水に滝が注ぐ懸谷地形
ユーシンブルー

ユーシンブルーとは、玄倉ダムの貯水に見られる、鮮やかな青色の通称である。ただし実際の色相は、エメラルドグリーンやターコイズブルーといった青緑色に近い。玄倉ダムが開門されて水位が低い場合には、ユーシンブルーを見られないこともある[11]。 いつからユーシンブルーと呼ばれるようになったかは不明であるが、2016年夏ごろにSNSなどで認知度が高まり、来訪者が急増した[12]。山北町は商標登録を出願し、地域ブランドとして観光振興に活用している[13]。
ユーシンブルーが青い理由は、水そのものが青いからである。水は一般に赤色の光を吸収し、残った透過光が青色を呈する(→ 水の青)。これは海や十二湖青池[14][15]が青い理由と同じである。 蒸留水を用いた実験では、2 mの経路長で青く見え始める[16]。 貯水を上から見る場合、光の経路は往復で2倍となるため、必要な水深は約1 mである[注釈 1]。 こうした水の特性は、十分な水深があるときにのみ見られるユーシンブルーの特徴と合致する。 また、玄倉ダム付近には白っぽいユーシン型トーナル岩が分布しており[17][18]、その明るい色もユーシンブルーの鮮やかさを際立たせる要因と考えられる。
一方、ウェブ上には科学的根拠の乏しい説も多く、 「微粒子」や「チンダル現象」とする説が見られる[注釈 2]。 しかし、チンダル現象は微細なコロイド粒子によって光が散乱される現象である。光の散乱が起きると、物質は一般に透明度が下がり、濁って見える。ユーシンブルーは水底が見えるほど透明であることから、微粒子やチンダル現象が要因である可能性は低い。
林道・作業路
一般のハイカーがユーシン渓谷にアクセスできる唯一の経路が玄倉林道である。
玄倉林道
玄倉林道は、神奈川県県西地域県政総合センターが管理する全長8,105 m[19]の林道であり、県営林道玄倉線とも呼ばれる。 丹沢湖の玄倉川橋付近にある神奈川県道710号との分岐から始まり、7号隧道の手前を終点とする[20]。
玄倉林道の開通年は1954年(昭和29年)である[21][6]。 それ以前は玄倉川の峡谷を避けて山神峠を越えていたが[6][引用 2]、林道の開通によりユーシンへのアクセスは容易になった。 ※ユーシン渓谷の過去記事には、1947年に玄倉林道が開通[22][23]と記されていたが、これは誤りである[注釈 3]。
玄倉林道を含む県営林道は、一般車両(自転車を含む)の通行が禁止されており、徒歩での通行に限られている[24]。 また、新青崩隧道(しんあおざれずいどう[25])の通行には懐中電灯やヘッドライトが必須である[引用 3]。
玄倉林道は現在も落石・倒木・補修工事により通行止めとなることがあるため、事前に県西地域県政総合センターが発する通行情報[24]を確認する必要がある。 過去には、数年間にわたり全面通行止めとなった事例もある(詳細は長期通行止めを参照)。
- 新青崩隧道
- 昭和27年開通と記した旧青崩隧道の標柱
玄倉治山運搬路
玄倉治山運搬路は、林野庁関東森林管理局東京神奈川森林管理署[26]が管理する作業路である。 7号隧道手前の玄倉林道終点を始点、尊仏ノ土平にある箒杉沢と鍋割沢の出合付近を終点とする[27]。
玄倉林道は神奈川県が管理しているが、玄倉治山運搬路は林野庁の管轄であり、担当区間の通行情報をそれぞれが発信している。 玄倉林道が通行可能でも、玄倉治山運搬路が通行止めとなる場合がある[28]ため、注意が必要である。
登山道
神奈川県自然環境保全センターが管理する以下の登山道(自然公園歩道)がユーシンへ通じているが、いずれも2025年現在、登山道の安全を確認中のため通行止めとなっている[29]。
隧道一覧
玄倉林道と玄倉治山運搬路には以下の9つの隧道(トンネル)が設けられている。
| 隧道番号 | 隧道名/地点 | よみ/分岐先 | 所要時間[注釈 4] | 道路区分 |
|---|---|---|---|---|
| 玄倉第1発電所 | 玄倉林道 | |||
| 分岐 | →仲ノ沢林道 | 35分 | ||
| 林道ゲート | 1時間 | |||
| 1号隧道 | 境隧道 | さかいずいどう | ||
| 2号隧道 | 新青崩隧道 | しんあおざれずいどう | ||
| 3号隧道 | 石崩隧道 | いしくずれずいどう | 2時間5分 | |
| 玄倉ダム | くろくらだむ | |||
| 玄倉第2発電所 | ||||
| 4号隧道 | ヘビ小屋隧道 | へびごやずいどう | 2時間30分 | |
| 5号隧道 | ||||
| 6号隧道 | 洞角隧道 | どうかくずいどう | 3時間 | |
| 7号隧道 | 玄倉治山運搬路 | |||
| 8号隧道 | ||||
| 雨山橋 | →寄ユーシン線・雨山峠 | 3時間15分 | ||
| 諸士平 | しょしだいら | |||
| 幽神線分岐 | →ユーシンロッジ・同角山稜線 | 3時間30分 | ||
| 9号隧道 | ||||
| 熊木ダム | くまきだむ | |||
| 熊木沢出合 | →弁当沢ノ頭・棚沢ノ頭 | 4時間10分 | ||
| 尊仏ノ土平 | そんぶつのどたいら | 4時間40分 |
長期通行止め
玄倉林道は急峻な地形に位置するため、隧道の損傷や大規模崩落などにより、長期にわたり全面通行止めとなった事例がある。
- 2006年–2011年
2006年7月から2007年2月の安全調査で、青崩隧道(2号隧道)内部にひび割れが見つかり、落盤の危険性から歩行者を含め完全通行止めとなった。その後、新青崩隧道が開通し、2011年11月に歩行者のみ通行止めが解除された[30]。
- 2018年–2022年
2018年1月17日、玄倉第2発電所付近の林道で大規模な斜面崩落が発生[31]。 石崩隧道(3号隧道)から洞角隧道(6号隧道)までの区間を全面通行止めとし、大規模な対策工事が実施された[32]。 2022年3月末に歩行者の通行止めが解除された[33]が、同年4月からは7号隧道より先の玄倉治山運搬路が通行止めとなっている[27]。
- 2022年–2024年
2022年10月11日には、仲ノ沢林道分岐から400 mほどの地点で土砂崩れが発生し[34]、全面通行止めとなった。 2024年4月には歩行者の通行止めが解除された[35]が、同年5月からヘビ小屋隧道(4号隧道)より先が通行止めとなった[36]。 2024年11月にユーシンまでの歩行者の通行規制が解除された[37]。
ユーシンロッジ
ユーシンロッジは、1970年に神奈川県が設置した県営宿泊施設である[38]。 玄倉治山運搬路から県営林道幽神線に分岐して橋を渡った先にある。 かつては丹沢登山のベースとして賑わっていたが、前述の隧道ひび割れによる通行止めの影響で、2007年4月から営業休止となった[39]。 営業休止後も一時期は避難設備として利用可能であった[40]。
2014年7月に神奈川県緊急財政対策として民間移譲が検討された[41][42]が、引き受け手は見つからなった[39]。 2015年7月には利活用に関する提案を公募することになり[38][39]、 「西丹沢安全登山協力会」が事業候補者に選定された[43][44]。 その後、トイレ改修などが進められたものの[45]、 2018年以降の林道通行止めや新型コロナの影響により、2022年時点で関係者間の調整が中断しており[46]、 営業再開には至っていない。
2025年12月、神奈川県は、施設の老朽化が進み、安全性の確保が困難であるとして、ユーシンロッジを廃止し、建物を除却する方針を示した。2010年に実施された耐震診断では、震度6から7程度の地震によって倒壊または崩壊する危険性があると判定されていたほか、立入りを禁止していた建物内への不審者の侵入も確認されていた[47]。
県は2026年度に除却に向けた調査および設計を行い、2027年度以降に除却工事を開始する予定としている[47][48]。跡地の利用については、周辺一帯が崩落しやすい地質であることなどを踏まえ、県と山北町が検討するとしている[47]。
ユーシンロッジ付近に、「かながわの美林50選 西丹沢ユーシンの森」の碑柱がある。
- ユーシンロッジ付近の玄倉川
- ユーシンロッジ
- かながわの美林50選の碑
ユーシンの名の由来
1928年(昭和3年)の大水害により、「諸士平」「諸子平」(しょしだいら)の集落が壊滅したため、人の住んでいなかったユーシン地区に移ったという[引用 4][引用 5][6]。
ユーシンの名称の由来については諸説ある。
- 明治時代に旧小田原藩士で組織された「有信会」に由来するという説[引用 6]。小木 2001による推測であり、「元サムライの入植」に有信会が関わったとする史料は確認されていない。
- 友信(とものぶ)という人が入った沢が友信沢と名付けられたという説[引用 7]。玄倉出身の猟師である諸星梅吉から聞いた言い伝えに基づく[引用 8]。
- 大正から昭和にかけて森林管理人を務めた小宮兵太郎が、「谷深くして、水勢勇まし」という意味より湧津と名付けたという説[51][引用 9]。
- 1951年の三保村公史には、涌深と記載されている[53]が、その由来は不明。
- 幽神の名称は、1955年神奈川国体の準備の際、当時の内山岩太郎知事が命名したという説がある[引用 11]
