リトル・レッド・ルースター

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B面 Shake for Me
リリース
録音 1961年6月 (1961-06)
「リトル・レッド・ルースター」
ハウリン・ウルフシングル
B面 Shake for Me
リリース
録音 1961年6月 (1961-06)
ジャンル シカゴ・ブルース
レーベル チェス
作詞・作曲 ウィリー・ディクスン
プロデュース Leonard Chess、Phil Chess、ウィリー・ディクスン
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リトル・レッド・ルースター」(Little Red Rooster、当初のタイトルは「The Red Rooster」)は、編曲家・ソングライターのウィリー・ディクスン作のブルース・スタンダード曲。1961年にアメリカのブルースミュージシャン、ハウリン・ウルフによってシカゴ・ブルース・スタイルで初となる録音が行われた。彼の歌とスライドギターの演奏が曲の重要な要素となっている。デルタ・ブルースの伝統に根ざし、テーマは民話に由来している。「リトル・レッド・ルースター」の音楽的な先例は、ブルース・アーティストのチャーリー・パットンメンフィス・ミニーの初期の曲に見られる。

「リトル・レッド・ルースター」は様々なミュージシャンによって解釈され、録音された。歌詞に登場する動物の鳴き声を真似するために、新たな歌詞や楽器編成を加えるミュージシャンもいる。アメリカソウル歌手、サム・クックは、この曲をよりアップテンポにアレンジし、1963年にはアメリカのR&Bとポップスのレコードチャートの両方でヒットシングルとなった。同時期に、ディクスンとハウリン・ウルフはアメリカン・フォーク・ブルース・フェスティバルでイギリスをツアーし、海外の地元ロックミュージシャン達にシカゴ・ブルースを広める一翼を担った。

ローリング・ストーンズは、現代的なエレクトリック・ブルースの曲を録音した最初のイギリスのロックグループの一つだった。1964年、彼らはオリジナルメンバーのブライアン・ジョーンズと共に「リトル・レッド・ルースター」を録音した。彼はこの録音において重要な役割を果たした。クックのアレンジよりもオリジナルに近い彼らのバージョンは、イギリスでNo.1レコードとなり、現在でもイギリスのチャートで1位を獲得した唯一のブルース・ナンバーであり続けている。ストーンズはテレビ番組やコンサートでこの曲を頻繁に演奏し、いくつかのライブ録音もリリースした。「リトル・レッド・ルースター」は現在も演奏と録音が続けられており、ウィリー・ディクソンの最も有名な作品の一つとなっている。

ウィリー・ディクスンの「ザ・レッド・ルースター/リトル・レッド・ルースター」は、初期のブルース曲の要素を取り入れている[1]。 このテーマは、20世紀初頭のアメリカ南部における、雄鶏が農園の庭の平和に貢献するという民間信仰を反映している[2][3]。雄鶏のイメージは1920年代と1930年代のブルース曲に数多く登場し、特に2曲がその先駆けとされている[3]。多大な影響力を持つデルタ・ブルース・ミュージシャン、チャーリー・パットンの1929年の「Banty Rooster Blues」には、"What you want with a rooster, he won't crow 'fore day" や"I know my dog anywhere I hear him bark"という詞があり、これはディクソンの "I have a little red rooster, too lazy to crow 'fore day" や "Oh the dogs begin to bark"という歌詞と類似している[3]メンフィス・ミニーの1936年のアコースティック・ブルース「 "If You See My Rooster (Please Run Him Home)" 」の歌詞にも一部類似点がある。例えば、ミニーは "If you see my rooster, please run 'im on back home"と歌っているが、ディクスンは "If you see my little red rooster, please drive 'im home"と歌っている[3]。さらに、両曲には似たメロディーラインが見られる[3]。メンフィス・ミニーはレコーディングの中で、雄鶏の鳴き声を大声で真似している[4]。動物の鳴き声を真似ることは、後に「リトル・レッド・ルースター」のいくつかのレコーディングで特徴的なものとなった[5][6]

戦後、マージー・デイはグリフィン・ブラザーズと共に1950年に「リトル・レッド・ルースター」と題した曲を、現代風にアレンジしたジャンプ・ブルース風に録音した。これは、小編成のグループによる、陽気でアップテンポな曲である[7]。デイの歌詞には "Got a little red rooster, and man how he can crow ... He's a boss of the barnyard, any ol' place he goes"という部分があり、ディクスンの曲では"Keep everything in the barnyard, upset in every way"という一節がある[8]。ドット・レコードのオリジナルのシングルでは、作詞者は「Griffin-Griffin」とされている[9][注釈 1]。デイの曲は1951年にビルボードのベストセラー・リテール・R&B・レコード・チャートで5位に達した[11]

ハウリン・ウルフの楽曲

デルタ・ブルースのミュージシャン、チャーリー・パットンは、ハウリン・ウルフの初期の音楽的発展に影響を与えた。ウルフは後に「スプーンフル」、「スモークスタック・ライトニング」、「サドル・マイ・ポニー」など、パットンの楽曲をアレンジした曲をいくつか録音した[12]。ウルフの親族や古い友人達は、彼が1930年代に「ザ・レッド・ルースター」に似た曲を演奏していたことを覚えている[13]。長年ウルフのギタリストを務めたヒューバート・サムリンの妻、エヴリン・サムリンは、後にウィリー・ディクソンが編曲し、クレジットされた曲のいくつかは、ハウリン・ウルフによって既に発展させられていたと感じていた[14][注釈 2]

ハウリン・ウルフは1961年6月にシカゴで「ザ・レッド・ルースター」を録音した[16]。この曲はA調のスロー・ブルースとして演奏される。ディクソンの伝記作家である稲葉光俊はこれを「12小節のブルース」と記しているが[17]、最初のセクションでは余分な拍子により進行が変化する。歌詞は、1番目のラインを2度繰り返した後に2番目のラインが続く[17]、古典的なAABのブルース形式を踏襲している。冒頭のヴァースは、パットンの「Banty Rooster Blues」の2番目のヴァースを彷彿とさせる。これはウォルター・ローズの初期の曲「The Crowing Rooster」から借用したものである[18]

I have a little red rooster, too lazy to crow 'fore day (2×)
(俺には小さな赤い雄鶏がいる 日の出前から鳴くのが鬱陶しい)×2
Keep everything in the barnyard, upset in every way
(納屋の中はめちゃくちゃだ 何から何までめちゃくちゃだ)[19]

多くのブルース曲と同様、ディクスンの歌詞は曖昧で、様々な解釈ができる[20]。彼の歌詞に対する解釈は、「ブラインド・レモン・ジェファーソンの“Black Snake Moan”(1927年)以来、最も露骨な男根的表現の歌」[21]から、無難な農場の小唄まで多岐にわたる[2]。ディクスンは後者の解釈で説明したが、「実際は農場の歌として書いたが、そういう風に受け取る人もいるよな」とも付け加えている[22]。歌詞はハウリン・ウルフ特有の歌唱スタイルで歌われる。音楽評論家ビル・ジャノヴィッツは、この歌唱を「名歌手のフレージングと音符の選択へのこだわりが、メロディーから最大限の感情とニュアンスを引き出している」と評している[23]

この楽曲の重要な要素は、ハウリン・ウルフが演奏する特徴的なスライドギターであり、長年の伴奏者であるヒューバート・サムリンがエレキギターでバックを務めている[23]。1960年代初頭にハウリン・ウルフが録音した数多くの楽曲の中で、彼のギター演奏が収録されているのはわずか2曲のみである[24]。ジャノヴィッツは「しなやか」[23]、音楽史家テッド・ジオイアは「狡猾」[25]と評したこのギターは、ボーカルラインと絡み合いながら曲のスタイルの基礎となっている[23]。その他の演奏者には、ピアノのジョニー・ジョーンズ、ダブルベースのウィリー・ディクスン、ドラムのサム・レイ、そしておそらくギターのジミー・ロジャースがいる[23]

「ザ・レッド・ルースター」は、同じセッションで録音された「Shake for Me」をB面として、1961年10月にチェス・レコードから発売された[26]。この2曲とも、そして現在では彼の最高傑作とされるこの時期の他の曲も、レコードチャートには入らなかった[27][28]。両曲とも、1962年にリリースされた高く評価されたアルバム『ハウリン・ウルフ』(通称『ロッキン・チェア・アルバム』)に収録されている。「ザ・レッド・ルースター」はまた、『Howlin' Wolf: The Chess Box』や『Howlin' Wolf: His Best – The Chess 50th Anniversary Collection』など、ハウリン・ウルフの多くのコンピレーションアルバムにも収録されている[23]

その後、チェスはハウリン・ウルフがエリック・クラプトンスティーヴ・ウィンウッドビル・ワイマンチャーリー・ワッツと共に「ザ・レッド・ルースター」や他の楽曲を録音するよう手配し、1971年のアルバム『ザ・ロンドン・ハウリン・ウルフ・セッションズ』に収録した。録音の冒頭で、ハウリン・ウルフが曲のタイミングを説明しようとしているのが聞こえるが、ワイマンは後に「僕らは逆方向に演奏してたようなもんだから」と説明している[29]。結局、クラプトン(他のメンバーも加わり)は「あなたの動きが見えれば追えるから」とハウリン・ウルフにギターで演奏するよう促した[30]。彼らが正しく演奏しようと努力したにもかかわらず、ワイマンによれば「チェスの連中は結局、ダメな『逆方向』のテイクを使ったんだ」という[29]

サム・クックの演奏

1963年2月23日、アメリカのソウル歌手、サム・クックはウィリー・ディクスンの楽曲を自身の解釈で録音し、それを「リトル・レッド・ルースター」と名付けた[31]。この曲は当初、当時新曲を録音中だったクックの弟L.C.に提案されていた。しかしL.C.はこの曲が自分に合わないと感じた。「私は『俺はブルース歌手じゃない』と言った。するとサムが『じゃあ俺がやるよ』と言ったんだ」とL.C.は回想している[32]。 サム・クックはハウリン・ウルフの泥臭いアプローチを避け、音楽評論家チャールズ・カイルが「ややリラックスし、より上品」[33]と評するアレンジを編み出した。ディクスンの歌詞はクックの歯切れの良い歌唱スタイルで歌われるが、さらに次の詩が付け加えられている[34][注釈 3]

I tell you that he keeps all the hens, fighting among themselves
(教えてやるよ あいつは雌鶏を全部抱えてる 互いに争わせながら)
Keeps all the hens, fighting among themselves
(雌鶏を全部抱えてる 互いに争わせながら)
He don't want no hen in the barnyard, layin' eggs for nobody else
(あいつは庭に雌鶏を置きたがらず 他の誰かのために卵を産ませたりしない)

クックのアレンジは典型的な12小節ブルースの構成を踏襲しており、ハウリン・ウルフ版よりも速いテンポで演奏されている。A調で12/8拍子のモデレート・ブルース(92bpm)として記譜されている[35]。録音はロサンゼルスで少人数のセッション・ミュージシャンと共に行われた。若きビリー・プレストンは「遊び心のあるオルガンのボーカル化」、すなわちオルガンの旋律を用いて雄鶏の鳴き声を模倣し、歌詞に沿って犬の鳴き声や猟犬の遠吠えも表現している[5]。クックのバックにはピアノのレイ・ジョンソンとドラムスのハル・ブレインが参加している[36](ギタリストとしてバーニー・ケッセルの名も挙げられている)[23]キャッシュボックス誌はこれを「サムとレネ・ホール率いる(オルガンが主役の)楽器奏者たちが魅力的なスタイルで奏でる、中毒性のあるブルース寓話」と評した[37]

この曲はビルボードのホットR&Bシングルチャートで7位を記録。クロスオーバーヒットにもなり、より一般的なビルボードHot100チャートでも11位を記録[38]。「リトル・レッド・ルースター」はクックの1963年のアルバム『Night Beat』に収録されており、ビルビード200アルバムチャートで62位を記録した[39]。 また、2003年にリリースされた『Portrait of a Legend: 1951–1964』など、クックの複数のコンピレーションアルバムにも収録されている[40]

ローリング・ストーンズのバージョン

「リトル・レッド・ルースター」
ローリング・ストーンズシングル
B面 オフ・ザ・フック
リリース
録音 1964年9月2日 (1964-09-02)または11月
ジャンル ブルース
レーベル デッカ
作詞・作曲 ウィリー・ディクスン
プロデュース アンドリュー・ルーグ・オールダム
ローリング・ストーンズ UK 年表
イッツ・オール・オーヴァー・ナウ
(1964年)
リトル・レッド・ルースター
(1964年)
ラスト・タイム
(1965年)
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背景

チェス・レコードのシカゴ出身のアーティスト、ハウリン・ウルフやマディ・ウォーターズなどはローリング・ストーンズに影響を与えた。ストーンズはバンド名をマディ・ウォーターズの曲から取り、キャリア初期にはブルースの楽曲を演奏していた。グループとしてレコーディングする前の1962年、ミック・ジャガーブライアン・ジョーンズキース・リチャーズは第1回アメリカン・フォーク・ブルース・フェスティバルに参加した。このフェスティバルにはハウリン・ウルフも出演していた[21]。 フェスティバルのもう一人の出演者、ウィリー・ディクスンは後に「ローリング・ストーンズがチェス・スタジオに来た時、彼らはすでに私と会っていて、私の曲、特に『リトル・レッド・ルースター』を演奏していた」と回想している[41]。ディクスンとハウリン・ウルフはロンドンに滞在していた時、地元のロックミュージシャン数人と出会った。初期のストーンズのマネージャー、ジョルジオ・ゴメルスキーは、その出会いについて次のように語っている。

ハウリン・ウルフ、サニー・ボーイ(ウィリアムソン II)、そしてウィリー・ディクスンの3人がソファに座っていた…ウィリーはただ歌いながら椅子の背もたれを叩き、サニー・ボーイはハーモニカを演奏し、彼らは新曲を演奏していた。ある程度、それで人々がそれらの曲を知って、後に録音するようになったんだ。「300 Pounds of Joy」「リトル・レッド・ルースター」「ユー・シュック・ミー」は、当時ウィリーが伝えた曲だったことを覚えているよ…ジミー・ペイジヤードバーズ、あとブライアン・ジョーンズもよく来ていたね。[41]

ディクスンは「ロンドンにいた頃、たくさんのテープを残してきたんだ…『誰でも好きな人がブルースの曲を作りに来てもいい』って伝えたんだ。ローリング・ストーンズやヤードバーズはそうやって曲を作ったんだ」と付け加えた[41]。ストーンズの伝記作家ショーン・イーガンは「様々な意味で、これはブライアン・ジョーンズのレコードだ。彼は常にバンド内最大のブルースの純粋主義者だった」と記している[1]

彼らはすでにチェス・レコードからの楽曲をいくつか録音していたが、ベーシストのビル・ワイマンによれば、「リトル・レッド・ルースター」は「スローで情熱的なブルースソングだった…(プロデューサーのアンドリュー・ルーグ・オールダムは)売れ線じゃないし、最近得た俺たちの名声にもふさわしくないと言った…曲のテンポもダンスには不向きだ」とのことだった[42]。ジャガーは次のようにコメントしている。

「リトル・レッド・ルースター」を録音したのは、大衆にブルースを提供しようとしたからじゃない。俺たちはブルースについてずっと話続けてきたので、ここらへんで話はやめて何かしようと思ったんだ。俺たちはこの曲が好きだったからリリースした。レコーディングに関しては、ブルースに凝ってるわけじゃない。次のレコードは、これまでのように全く違った趣向のものになるだろう。[43]

作曲と録音

ワイマンは彼らのバージョンにはメディアから批判もあったと述べているものの[44]、ヤノヴィッツはそれを「(オリジナルに)かなり忠実なバージョン」と評した[23]。この曲はG調で、やや遅い(74bpm)ブルースとして演奏されている[45]オールミュージックの評論家マシュー・グリーンウォルドは、彼らのアレンジをストレートなI-IV-Vの12小節ブルース進行だと評しているが[46]、時折変化をつけつつも、ハウリン・ウルフのような手法とは異なる。ミック・ジャガーはオリジナルの歌詞を使用し(クックの追加ヴァースは省略)、重要な変更を一つ加えている―「I got a little red rooster(小さな赤い雄鶏がいる)」ではなく「I am the little red rooster(俺は小さな赤い雄鶏)」と歌っている。ただし後続のヴァースでは「If you see my little red rooster(もし俺の小さな赤い雄鶏を見たら)」に戻る[47]。演奏面では、ワイマンは概ねディクスンのベースラインを踏襲している[23]チャーリー・ワッツは後に、自身のドラムパートはサム・クックのバージョン(ハル・ブレインが演奏)に影響を受けていると認めている[48]。リチャーズはリズムギターパートを追加している。イーガンによれば、「アコースティックギターとエレクトリックスライドの並列は、彼らがこれまで試みてきたどのブルースよりも豊かで温かみのあるサウンドを生み出している」とのことである[1]

しかし、通常特に注目されるのはジョーンズの貢献である。イーガンは「このアルバムの最大の特徴である“カァー”という音のボトルネックと、最後のハーモニカの両方を通して、彼(ジョーンズ)の演奏がこのレコードを形作っている」と記している[1][注釈 4]。伝記作家のスティーヴン・デイヴィスは「それは彼(ジョーンズ)の傑作であり、彼のインスピレーションに満ちたギターは猟犬のようにうなり、犬のように吠え、雄鶏のように鳴いている」と付け加えている[6](ビリー・プレストンの「遊び心のあるオルガンのボーカル」に似ている)。ワイマンは「『ルースター』のおかげで、ブライアンは最も素晴らしい時期を過ごしたと俺は思う」と記している[44]

録音日と録音場所は2つの異なる日付が記載されている。ワイマンは1964年9月2日にロンドンのリージェント・サウンドで録音されたと回想しているが[49]、1989年のローリング・ストーンズのボックスセット『シングル・コレクション (ザ・ロンドン・イヤーズ)』のセッション情報には「1964年11月、シカゴのチェス・スタジオ」と記載されている[50]。伝記作家マッシモ・ボナンノは「メンバーは(1964年)9月2日にリージェント・サウンド・スタジオに入り、『リトル・レッド・ルースター』の作業を再開した…(そして後に1964年11月8日、チェス・スタジオで)未確認の情報源によると、メンバーたちは次の英国シングル『リトル・レッド・ルースター』の最終調整も行った」とコメントしている[51]。 デイヴィスによれば、ジョーンズはこの曲が彼抜きで録音された後、オーバーダビングを行うことになったという[52]

リリースとチャート

「リトル・レッド・ルースター」は1964年11月13日(金曜日)にリリースされ[44]、1964年12月5日にはレコード・リテーラー・チャートで1位を獲得し、1週間その座を維持した[53]。これは今日に至るまで、ブルース曲がイギリスのポップ・チャートで1位を獲得した唯一の例である[44]オールミュージックのライター、マシュー・グリーンウォルドによると、「リトル・レッド・ルースター」はジョーンズが最も気に入っていたストーンズのシングルだったという[46]。ワイマンは「(この曲のヒットにより)ブルースをチャートの1位にするという(ジョーンズの)胸に秘めていた野心が実現したし、ポップ界の名声に完全に『寝返った』という罪の意識が消えた」と述べている[44]。これは1960年代にバンドがシングルとしてリリースした最後のカバー曲となった[注釈 5]

1964年と1965年、ローリング・ストーンズは「リトル・レッド・ルースター」を、イギリスの番組「レディ・ステディ・ゴー」(1964年11月20日)と「Thank Your Lucky Stars」(1964年12月5日)、アメリカの番組「エド・サリヴァン・ショー」(1965年5月2日)、「Shindig!」(1965年5月20日)、「Shivaree」(1965年5月)などのテレビ番組で披露した[55][56][21] 。「Shindig!」では、ジャガーとジョーンズがハウリン・ウルフを「リトル・レッド・ルースター」を最初に録音した人物として、またストーンズに最初に影響を与えた人物の一人として紹介した[57]。ストーンズはハウリン・ウルフ(またはマディ・ウォーターズ)も出演する場合にのみ出演を承諾するとしばしば報じられていたが[58]、キース・リチャーズは後に、番組プロデューサーのジャック・グッドも、プライムタイムテレビネットワークでオリジナルのブルース・アーティストを紹介するというアイデアに賛同していたと語った[48]。1965年のストーンズのコンサートでは、普段はMCを行わないチャーリー・ワッツが、しばしばドラムキットの後ろからステージの前に連れてこられ、ジャガーのマイクで「リトル・レッド・ルースター」を紹介することもあった[59]。ワイマンは、シドニー(1965年1月のアグリカルチュラル・ホール)、パリ(1965年4月のオランピア)、カリフォルニア州ロングビーチ(1965年5月16日のロングビーチ・オーディトリアム)での公演で、この曲が特に熱狂的な反応を得たことを回想している[60]

「リトル・レッド・ルースター」は、1965年2月にリリースされた3枚目のアメリカ盤アルバム『ザ・ローリング・ストーンズ・ナウ!』に収録されている。また、イギリス盤『ビッグ・ヒッツ (ハイ・タイド・アンド・グリーン・グラス)』、『シングル・コレクション (ザ・ロンドン・イヤーズ)』、『ロールド・ゴールド〜ヴェリー・ベスト・オブ・ザ・ローリング・ストーンズ』、『GRRR!』など、複数のローリング・ストーンズのコンピレーション・アルバムにも収録されている。 ライブ・バージョンは『ラヴ・ユー・ライヴ』と『フラッシュポイント』(ハウリン・ウルフの1971年のリメイク版にも参加したエリック・クラプトンがスライド・ギターで参加)に収録されている。[46]

アメリカでのシングル未発売

ビル・ワイマンは後に著書『ストーン・アローン』で「1964年12月18日、アメリカから『リトル・レッド・ルースター』が『性的な意味合いがある』として、レコード発売禁止となったとの知らせが届いた」と記している[61] 。この話は繰り返し語られるうちに、禁止処分はアメリカのラジオ局によるもの(直接的に、あるいは間接的に)などと誇張されてきた。しかし、ほぼ同じ歌詞のサム・クックのバージョンは、その1年前にトップ40クロスオーバー・ポップ・ヒットを記録していた。さらに、ローリング・ストーンズの「リトル・レッド・ルースター」は、ロサンゼルスのラジオ局KRLA(当時、アメリカで2番目に大きな市場であるロサンゼルスで1番のトップ40ラジオ局だった)のプレイリストに、1964年12月9日[62]から1965年2月5日[63]まで収録されていた。ラジオパーソナリティのボブ・ユーバンクスは1965年1月1日付の週刊レコードレビュー欄で「ストーンズの『リトル・レッド・ルースター』は依然KRLAの独占曲だ…しかし心配無用、国内リリースされる可能性はまだある」と記している[64]

ローリング・ストーンズのイギリスでのファースト・アルバムに収録されている「モナ」も放送され、次のシングルとして検討されていたが[65]、「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」、「ハート・オブ・ストーン」、「ラスト・タイム」が同時期にアメリカのチャートに登場していたため、「リトル・レッド・ルースター」と「モナ」はシングルとしてはリリースされなかった。しかし、アルバム『ローリング・ストーンズ・ナウ!』には収録されている(対照的に、イギリスでは同時期にシングルとしてリリースされたのは「リトル・レッド・ルースター」と「ザ・ラスト・タイム」のみだった)。この曲はイギリスのチャートで1週間トップにランクインしたが、ミック・ジャガーは後に「『リトル・レッド・ルースター』は今でも好きだが、売れなかった」とコメントしている[1]。イーガンは、このレコードの実際の売上はストーンズの以前のシングルには及ばなかったのではないかと考えている[1]

1964–1965 週間シングルチャート
チャート 最高位
ベルギー (Ultratop 50 Flanders)[66]20
フィンランド (Soumen Virallinen)[67] 12
ドイツ (GfK Entertainment charts)[68]14
アイルランド (IRMA)[69]4
オランダ (Dutch Top 40)[70]4
オランダ (Single Top 100)[71]4
ニュージーランド (Lever Hit Parade)[72] 1
ノルウェー (VG-lista)[73] 6
スウェーデン (スヴァリイェトプリストン)[74] 6
スウェーデン (Tio i Topp)[75] 5
UK (Record Retailer)[53] 1
年間チャート
チャート (1965) 順位
オランダ (Dutch Top 40)[76] 44

認知と影響

ハウリン・ウルフオリジナルの「ザ・レッド・ルースター」は、ロックの殿堂の「ロックンロールを形作った500曲」に選出されている[77]。ブルースのスタンダード曲であるだけでなく[78]、ヤノヴィッツは「リトル・レッド・ルースター」を「数え切れないほどレコーディングされた名曲であり、60年代後半から70年代のクラシック・ロック・バンドのほとんどにとって定番の曲」と評している[23]。1993年にはジーザス&メリーチェインによるバージョンがEP『Sound of Speed』に収録された。ティム・センドラによるオールミュージックのレビューでは「ハウリン・ウルフの名曲をノイズと脅威に満ちた凶暴なカバーで再現した」と評されている[79]

脚注

参考文献

外部リンク

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