今津淳子
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今津 淳子(いまづ じゅんこ、1957年〈昭和32年〉5月28日 - )は、大分県出身の特定失踪者 [1][2][3]。特定失踪者問題調査会では「拉致濃厚」(1000番台リスト)としている[4]。1985年(昭和60年)4月、埼玉県で失踪した[1][2][3]。職業は保育士[1][2][3]。失踪当時は27歳であった[1][2][3]。非公式ながら、「北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)にいる」という情報が寄せられている[1][5]。
今津淳子は、1957年5月28日生まれ、大分県佐伯市上浦町出身[2][3]。失踪時は、身長158センチメートル、体重59キログラム前後であった[1]。色白で、額の中央に指先大の小さなアザがあった[1]。近視のため普段はコンタクトレンズを使用していたが、眼鏡をかけることもあった[1]。埼玉県深谷市の私立保育園で保育士として働いており、同市櫛引に所在する職員寮で生活していた[1][2][3][5][注釈 1]。
1985年(昭和60年)4月30日(火曜日)、彼女は休暇を取得し、大宮市(現、さいたま市)の運転免許試験場へ自動二輪免許を取りに行った[1][5]。結果は不合格であった。同日午後7時頃、寮に住む同僚に「これから13分のバスで帰る。何か買い物はないか」と電話連絡をしたまま消息不明となった[1][5][7]。埼玉県警察はその後、公開捜査を行ったが、彼女に関する目撃証言もなく安否につながる情報もなかった[1]。しかし、当日の夜9時頃、最寄りの人見停留所と、そこから約1キロメートル離れた寮の間の民家に住む人物が犬が激しく吠えるのを聞いていた[1][5][7]。そして翌朝、その家の人が畑の中で彼女のパンプス左右両方を発見している[1][5][7]。その靴(パンプス)はまるで道路から投げ捨てられたかのような状態で見つかったという。彼女には家出など、自ら失踪する動機はなかった[7]。
2003年(平成15年)2月10日、特定失踪者問題調査会は、北朝鮮による拉致の可能性が残る失踪者の第2次名簿を公表しているが、その中に彼女の名も含まれていた。2008年(平成20年)12月、調査会は彼女を「北朝鮮の拉致の疑いが濃厚」と認定した。また、調査会では、2015年(平成27年)7月27日に現地調査を行ったが、その結果、
- 最寄バス停「人見」と寮の間の経路上にある農家の自宅裏で飼っていた犬が吠えたため、その音で農家の家人が目を覚ましていたこと
- 翌朝、その農家の戸主が自宅脇の畑で女物の靴を発見したが、靴の周囲には畑を踏み荒らした様な形跡があったこと
- 農家戸主が靴を発見した際に付近の住人も現場を通りがかり、戸主とともにその靴を実際に見ていたこと
- 「人見」バス停の近傍の住人が、その友人から、彼女の失踪について新聞報道された後に「その日は今津淳子さんと一緒にバスを降りた」と聞いていたこと
などが新たに判明した[7]。