金田龍光

北朝鮮による拉致被害者と考えられる男性 From Wikipedia, the free encyclopedia

金田 龍光(かねだ たつみつ、1952年昭和27年〉 - )は、北朝鮮による拉致被害者と考えられる男性。特定失踪者問題調査会でも「拉致濃厚」(1000番台リスト)としている[1]1979年(昭和54年)11月頃、失踪した[2][3]。失踪当時の職業はラーメン店の店員、年齢は26歳であった[2][3]。国籍は大韓民国[2]。彼については、北朝鮮での生存情報がある[4]

生誕 1952年(73 - 74歳)
日本の旗 日本兵庫県神戸市
住居 1979年頃拉致。朝鮮民主主義人民共和国の旗 北朝鮮 平壌市
国籍 大韓民国の旗 韓国
職業 (拉致前)ラーメン店「来大」店員
概要 かねだ たつみつ 金田 龍光, 生誕 ...
かねだ たつみつ
金田 龍光
生誕 1952年(73 - 74歳)
日本の旗 日本兵庫県神戸市
住居 1979年頃拉致。朝鮮民主主義人民共和国の旗 北朝鮮 平壌市
国籍 大韓民国の旗 韓国
職業 (拉致前)ラーメン店「来大」店員
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生い立ち、失踪

1952年(昭和27年)生まれ。家庭の事情で両親と別れ、1978年(昭和53年)6月に拉致された田中実と同じ神戸市内の児童養護施設で育った[2][5]。金田龍光は田中実の3歳年下で、2人は仲がよく、金田が中学まで、田中は高等学校まで進んだので施設を退園したのは同時であった。中学を卒業した金田は、1977年(昭和52年)頃から、在日朝鮮人の韓龍大が経営する神戸市東灘区のラーメン店「来大」で働くようになった[2]。金田は中肉で、身長約180センチメートルと背が高く、「金ちゃん」と呼ばれて周囲に親しまれていた[2][3][6]。1978年に入り、田中実を「来大」で一緒に働こうと誘ったのは金田だった[2][5]。この年の6月、韓龍大の誘いにより、田中実がオーストリアウィーンに向けて出国した[2][5][6]。それ以来、田中は消息不明となった[6]

半年ほどして、金田は「田中実」を差出人とするオーストリアからの国際郵便を受け取った[2][5][6]。それは「オーストリアはいいところであり、仕事もあるのでこちらに来ないか」という内容であった[2][5][6]。田中の誘いを受け、金田は東京で渡欧準備のための打ちあわせがあると言って上京したが、以後神戸には一切連絡がなく、金田もまた行方不明となってしまった[2][5][6]。なお、上京の際の送別会は「来大」で行われたという[6]

田中からも金田からも連絡がないことを不審に思った友人が、この間の事情を知っているはずの韓龍大に再三説明を求めたが、「知らない」「わからない」という要領を得ない返答を繰り返していた[2][6]。その後失踪した2人を知る友人たちの間で、「2人は北朝鮮にいる」という噂が広まり、韓龍大に近づく者はいなくなったという[2]

田中実失踪の真相

田中が向かったウィーンには事件当時「ゴールデンスターバンク」という北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の情報収集機関・工作組織があり、西側への窓口としての役割を担っていた[7][8]。田中はウィーンでゴールデンスターバンクに引き渡され、ウィーンからソビエト連邦モスクワまでの社会主義圏は陸路で、モスクワから平壌市までは飛行機で移送させられた[7][8]

韓龍大は、朝鮮労働党社会文化部(対外連絡部)の指導の下、日本で地下活動をしていた工作組織「洛東江」のメンバーであった[7]。同組織の指導者曹廷楽(チョ・ジョンナク)とともに1975年頃、北朝鮮に渡り、平壌で朝鮮労働党に入党して新たな指令を受け、日本に戻って新入店員の田中を言葉巧みに騙したのであった[7]

これらの事実を証言したのは、神戸市在住の在日朝鮮人で灘商工会理事長だった張龍雲(チャン・ヨンウン)であった[8]。張は、かつては在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総連)商工会の活動家であったが、1972年(昭和47年)にスカウトされて、その地下組織「洛東江」の構成員となった[9]。「洛東江」では、組織の資金集めや財務を任されていた[9]。約20年の活動を経て張は、工作員活動と組織の悪を痛感して懺悔の気持ちを持つようになり、1996年12月発行の雑誌『文藝春秋』(平成9年1月号)に手記を掲載し、みずから「洛東江」のメンバーであったことを告白すると同時に、田中の拉致が韓龍大と曹廷楽の共謀によるものであることを明らかにしたのである[10]1999年(平成11年)には自己総括の書として『朝鮮総連工作員』(小学館文庫)を著し、田中の拉致を含む「洛東江」の非合法活動を詳細に明らかにした[8]

張は、1978年に田中が韓の店からいなくなったことについて、当時何の疑念も抱かなかったが、その後、平壌の労働党社会文化部の幹部で旧知のソン・イルボンから、田中の失踪が実は拉致によるものであることを知って呆然としたという[7]。なお、張の告発当時、韓龍大と曹廷楽はともに神戸を離れ、韓は青森県八戸市に、曹は山形県に居を移していた[8]

金田失踪の原因解明と刑事告発

張龍雲の告発を受けて田中実の周囲を調べ、金田龍光失踪にかかわる事実を掘り起こしたのは、神戸市在住で「救う会神戸」や「調査会」(特定失踪者問題調査会)で活動してきた岡田和典であった[11]。調査の結果、田中と金田の失踪は、同一犯人による一連の犯行であることがしだいにわかってきたが、にもかかわらず、なかなか政府認定される気配がみえなかったところから、「救う会」(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会)では計画・実行にたずさわった2人の「洛東江」構成員の告発を考えた[6]

そのために、田中と金田の育った施設関係者の証言、張龍雲が横田滋早紀江夫婦に宛てた手紙、田中の高校時代の恩師の証言などを集めたが、いずれも事件性を裏付ける決め手に欠いていた[6]。しかし、岡田和典が「来大」店主だった韓龍大について綿密な調査を行い、一時期金田龍光を雇っていた別の雇用主の関係者からの証言によって、上述のような金田失踪の原因や経緯をつかみ、それ以外にも、差出人「田中実」の国際郵便の筆跡に金田が疑いを持っていたこと、金田が音信不通となった約半年後に証言者の近親者が「来大」の韓龍大を詰問したが、韓は「知らない、分からない」の一辺倒だったことなどを明らかにした[6]。こうした一切の内容を、国外移送目的略取等(刑法226条)を罪名・罰条とする告発状に添付して、2002年(平成14年)10月4日兵庫県警察に提出した[6]。受理されたのは10月15日だった[6]

曹廷楽は田中・金田の拉致を主導した作戦責任者とみられていたが、告発にはなお高い壁を有していた[6]。張龍雲は膨大な資料を残して亡くなったが、資料のなかに1997年1月に山形県下で起こった張と曹の民事紛争にかかわる告訴状の写しがあった[6]。そこには「洛東江」の組織名が挙げられており、曹が非合法組織の幹部であり、その活動の一貫として資金を集めている旨が記載されていた[6]。これは、曹からすれば1996年以降、張による月刊誌や単行本による表現、また、それとは利害の異なる法廷においても、その一方的な表現によって、著しく名誉を傷つけられているはずで、当然ながら対抗処置として虚偽告訴名誉毀損による告訴を行ってしかるべきところであった[6]。ところが、当該民事紛争は結果において曹が勝訴していたにも関らず、何もしていない状態であった[6]。こうした矛盾について、なぜ何ら対抗手段を取らないのか本人に聞くのが一番であるが、曹本人の行方は山形県内というだけで他に手がかりがなかった[6]。しかし、ここでも遺品となった張の日記が役に立ち、曹が経営する遊戯場を突き止め、山形市内の自宅住所を探し当てた[6]。雑誌社のオファーを受けた「救う会兵庫」のメンバーは、曹に対して直撃取材を敢行し、その結果を添えて2003年7月22日、国外移送目的略取等(刑法226条)の罪名罰条で兵庫県警察に告発状を提出した[6]。約10日後、告発が受理された[6]

2005年(平成17年)4月25日警察庁が、田中実の拉致容疑事案について「拉致と判断」したことが報道され[12]、同年4月27日、日本政府によって16人目の拉致被害者に認定された[12][13]。しかし、金田龍光の政府認定には至らず、政府・警察はその後も韓龍大と曹廷楽への法的措置は行っていない[13]2014年春には韓龍大が死去している[14]

田中実が政府認定の拉致被害者であるのに対し、金田龍光が「特定失踪者」にとどまったのは、彼が韓国籍であることと深いかかわりがある[15]。現行法では在日外国人は拉致認定の対象とはならず、仮に金田が北朝鮮に軟禁ないし抑留の状態にあるならば、1974年ユニバース・トレイディング社がかかわった2児拉致事件(姉弟拉致容疑事案)のように、「警察断定」をおこなわなければならないからである[15][16][注釈 1]

北朝鮮からの生存情報

2014年(平成26年)5月26日から28日まで、スウェーデンストックホルムで日朝政府間協議が開催され、北朝鮮政府は、ここで「拉致問題は既に解決済み」としてきた従来の立場をやや修正し、新たに「特別調査委員会」を設置し、拉致被害者を含むすべての日本人行方不明者の全面的な再調査を行うことを約束し、日本政府は、その代わりに独自の制裁措置の一部を解除することで合意した(ストックホルム合意[18][19]。北朝鮮当局が拉致被害者の調査を行うとしたのは10年ぶりのことであり、日本国内では拉致問題の解決に向けた動きに期待が寄せられた[20]

しかし、2016年(平成28年)1月6日、北朝鮮は2013年以来4度目となる核実験を行い、同年2月7日には「人工衛星」と称する弾道ミサイルの発射を行った[18][21]。これに対し、日本政府が再び北朝鮮に独自の対北朝鮮制裁を強化することを決定すると、同年2月12日、北朝鮮は包括的調査の全面中止と特別調査委員会の解体を一方的に宣言した[18][21]。ストックホルム合意はこうして、新たな拉致被害者の帰国が実現しないまま、事実上決裂した[20]

事実上の決裂以降、それ以前に何度かおこなわれた政府間交渉で拉致被害者の安否情報が示されたことは公式には皆無とされてきたが、2019年2月、共同通信社によって、田中実、金田龍光ともに結婚して妻子とともに平壌市内で生活していることを、北朝鮮側が日本側に伝えていたことが報じられた[4]。いずれも日本政府関係者が明らかにしたことで、2014年から2015年にかけて、非公式にではあるが複数回伝えられたものであるという[4]。それによれば、本人たちは平壌で家族とともに幸せに暮らしており、「帰国の意思はない」ということである[21][4]。北朝鮮側は、田中・金田ともに自ら渡航してきたものとして、拉致については否認した[21]。なお、日本政府側は田中実にも金田龍光にも面会していない[4]

古屋圭司(2023年撮影)
伊原純一(2013年撮影)
菅義偉(2020年撮影)
荒木和博(2009年撮影)

安倍晋三内閣総理大臣は、この報道の真偽について、2020年令和2年)1月31日第190回国会における立憲民主党有田芳生衆議院議員から受けた質問に対し、「今後の捜査・調査に支障を及ぼすおそれや関係者のプライバシーを侵害するおそれを考慮する必要があることから、お答えを差し控えたい」と答弁した[22]。当時の政府見解は、このように、2人の生存情報について肯定も否定もせずコメントもしないというものであったが、2021年(令和3年)8月、古屋圭司拉致担当大臣が田中・金田の生存情報と日本政府がそれを受け取らなかったことを認め[23]、さらに2022年9月、当時の齋木昭隆外務事務次官も同じ事実を認めた[24]。この件につき、2022年9月17日、複数の交渉関係者からの情報として、日本政府が2014年から2015年頃にかけて、北朝鮮から2人の「一時帰国」の提案を受けていたものの、当時の安倍首相がこの提案に応じれば拉致問題の幕引きを狙う北朝鮮のペースにはまりかねないと主張し、拒否していたことが報じられた[25]

のちの取材によれば、北朝鮮側は田中・金田について上記のような報告書を出し、それには田中・金田以外の被害者に関する新しい情報はなかったという[21]。担当した伊原純一アジア大洋州局長はその場で受け取らず、口頭で聞いた内容をノートにメモし、日本政府として報告書を受け取るかどうかの返答を保留して首相に報告、その判断を仰いだ[21]。安倍首相は政権幹部らと協議したが、そのなかで菅義偉内閣官房長官は、「これでは国民に説明できない」として報告書を受け取るべきではないと強く主張し、安倍首相もこれを同意して北朝鮮側に調査の継続を求めることにしたのだという[21]

田中と金田の生存情報を政府が受け取らなかったことについては、2人は政府に「見捨てられた」「黙殺された」と受け止められている[26][27]立憲民主党西村智奈美議員も2022年10月5日の衆議院本会議で、「交渉の過程を全て明らかにせよというつもりはないが、帰国の可能性がこのまま封じられて良いとは到底思えない」と政府の姿勢を批判した[27]。2人が日本に身寄りのない人たちだから見捨てられたのではないかという指摘もあるが、神戸市では、家族がいなくて「家族会」に入れないというのならば、代わりに自分たちが声を上げようと2人の救出を訴える集会もひらかれた[11]。岡田和典はそのなかで、金田も田中も施設で育ち、救出活動をする家族がいないことを指摘し、「(拉致被害者の)有本さんや横田さんであっても政府は突き返したのか。2人の家族の代わりに声を上げてほしい」と訴えた[11]。特に金田については、在日韓国・朝鮮人の失踪者の中には警察が北朝鮮による拉致と断定した事案もあり、「これだけ情報があるのだから、兵庫県警は拉致と断定するべきだ」と主張している[11][注釈 2]

2023年(令和5年)12月13日、兵庫県議会は、「調査会」幹事(「救う会兵庫」副代表)の島尾百合子が提出した「政府認定の拉致被害者・田中実さんと特定失踪者・金田龍光さん、及びその家族の即時帰国を最重要課題として北朝鮮側へ求め、あわせてすべての拉致被害者等の帰国を求めること」という請願を全会一致で採択した[29]。「命に変わりはない」と政府の責任を問う声が広がっている[30][注釈 3]

ただ、ほとんどが水面下の交渉となる日朝間において、「水面下の交渉が水上に上がってしまったら、もはや水面下じゃないんですよ。それがもし万が一水面上に出てきてしまったら、あの国は彼らはみんな粛清されますよ」(古屋圭司)、「非公式の接触で北朝鮮が田中さん、金田さんが生きていると言ったということは事実のようです。そのときの条件がこれで拉致問題を終わりにすることだった。だから飲めなかったんだと安倍総理は私に直接説明しました。1人でも生きている人が残されて、そしてこれで終わりにするということは認められない」(西岡力)…これらの言葉からは、交渉当時の政府としても苦しい選択だったことがうかがわれる[26]

「家族会」と「救う会」は全拉致被害者の即時一括帰国を掲げているが、「調査会」(特定失踪者問題調査会)代表の荒木和博は1人でも2人でも取り返せるところは取り返して、それを足掛かりに次に進むべきであるという立場に立っている[26]。荒木らは2024年(令和6年)4月24日日本弁護士連合会(日弁連)に人権救済を申し立て、田中実・金田龍光に関する情報を開示し、2人の速やかな帰国をはかるよう、日本政府に要望するよう求めた[32]。申立人は荒木和博、島尾百合子、岡田和典、「調査会」副代表増元照明増元るみ子の弟)と特定失踪者家族会事務局長の竹下珠路(古川了子の姉)の5名であった[33]。荒木は、2025年(令和7年)2月19日衆議院第一議員会館で開催された研究会で、「少なくともストックホルム合意から何も動かないまま11年が経ってしまった今日、北朝鮮が返せると伝えてきた2人については北朝鮮側に帰国させるよう求めるべき」ではないかと発言している[33]

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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