今井裕 (特定失踪者)
From Wikipedia, the free encyclopedia
1950年(昭和25年)12月20日、青森県弘前市生まれ[1]。失踪当時は青森県立弘前工業高等学校の3年生であった[1]。身長は170センチメートルくらいで、体重は62ないし63キログラム程度、ふだんは眼鏡を着用している[1]。また、右頬に子どものとき木登りをしてつけた傷が残っている[1]。
成績優秀で、1969年3月4日の卒業式では総代として答辞を読むことになっていた[1]。東京の営団地下鉄(現、東京メトロ)に就職が決まっており、早稲田大学の2部にも合格していた[1]。失踪したのは、卒業式前の1969年3月2日夕方、「制服のボタンを買いに行く」と自宅を出たまま消息不明になった[1][4]。
特定失踪者問題調査会は2004年(平成16年)1月29日、青森県警察弘前警察署に告発状を提出した[1]。
失踪より半世紀を経た2019年(平成31年)、彼の持っていた生徒手帳に五能線艫作駅周辺の手描きの地図が折り込んではさんであるのが発見された[6]。艫作駅のある青森県西海岸では、1962年(昭和37年)に鯵ヶ沢事件、1969年に岩崎・能代事件が起こっており、同海岸は北朝鮮工作員の侵入ポイントとなっているところから、あらためて事件との関連性が指摘されるところである[6]。2019年3月20日、特定失踪者問題調査会(荒木和博代表)は、艫作駅周辺などで手描き地図を基に特別検証を行った[6][7]。
兄が会長を務める特定失踪者家族会は、2024年(令和6年)11月20日、拉致の疑いが濃厚な特定失踪者の拉致認定を内閣官房長官の林芳正に要望した[5]。