加瀬テル子

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生誕 加瀬 テル子
(1944-05-04) 1944年5月4日(81歳)
日本の旗 日本 千葉県海上郡海上町(現、旭市
失踪 1962年失踪(17歳)
失踪から63年7か月と15日
日本の旗 日本 千葉県海上町
国籍 日本の旗 日本
職業 無職(家事手伝い)
かせ てるこ
加瀬 テル子
生誕 加瀬 テル子
(1944-05-04) 1944年5月4日(81歳)
日本の旗 日本 千葉県海上郡海上町(現、旭市
失踪 1962年失踪(17歳)
失踪から63年7か月と15日
日本の旗 日本 千葉県海上町
国籍 日本の旗 日本
職業 無職(家事手伝い)
(父)次信
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加瀬 テル子(かせ テルこ、1944年昭和19年〉5月4日 - )は、千葉県出身の特定失踪者[1][2]特定失踪者問題調査会では「拉致濃厚」(1000番台リスト)としている[3]1962年(昭和37年)4月、千葉県にて失踪した[1][2]。失踪当時は17歳[1][2]

1944年昭和19年)5月4日千葉県海上郡海上町(現、旭市)生まれ。細面で、右目の下の内側に赤あざがあった[注釈 1]1962年(昭和37年)4月頃、叔母から「明日、新宿芝居見物に行くんだからパーマでもかけて来なさい。」と言われ、その午後、海上町蛇園の自宅から美容院に出かけた[2]。所持金はパーマネント代のみであった[1]。翌日、叔母と一緒に新宿コマ劇場へ観劇の約束をしていた[1]。美容院でもそのことを語っていた[4]。美容院から自宅に帰る途中で行方不明になった[2][4]。自ら失踪する理由は何もなかった[5]。彼女は当時17歳[1][2]

流出写真

2004年平成16年)10月、TBSテレビの番組『報道特集』の取材によれば、脱北者が北朝鮮から持ちだしたとされる写真(「拉致された日本人女性で、同じ拉致被害者と結婚している主婦」の写真)が、鑑定の結果、加瀬テル子である可能性が極めて高いことが明らかになった[1][5]。また同じ脱北者が「同一の人物」とするもう1枚の写真も、加瀬である可能性が高いと判断された[1][4]。特に、右目下内側にあるほくろ(別資料では「赤あざ」)が決め手となった[5][注釈 2]。この流出写真が加瀬である可能性が濃厚であることから、拉致犯罪における「大町ルート」が注目されるようになった[4][注釈 3]

特定失踪者問題調査会は2004年(平成16年)12月17日千葉県警察告発状を提出した[1]

2013年(平成25年)に古屋圭司国家公安委員会委員長が写真の人物は実在する別人であると発表した[8]。写真の女性は「証明写真用に撮影したもので、勝手に使われた」と話しているという[8][注釈 4]

これについて、荒木和博(特定失踪者問題調査会)は、「結膜(白目)部分の特徴など、別人とは考えにくい」とコメントしている[10]。また、ジャーナリストの渡辺周は、「この記者会見での発表に、強い違和感を覚える。右目の下のホクロまで一致したのに別人と断定したこともそうだが、何より報道から9年も経ってから、わざわざ『あれは違っていた』と発表したことに対する違和感だ」と述べ、横田めぐみの件も含め、すでに認定された拉致被害者についても警察の捜査に先行してメディアから情報が出てくるなかで警察のメンツを保とうとしているだけでないのか、北朝鮮に拉致を許してしまった警察の失態をこれ以上さらしてはならないという意識だけで動いているのではないかと批判している[5]

上記の荒木、渡辺の指摘が事実であれば日本政府(安倍晋三政権)は自分たちのメンツを守るために日本国民を騙したということになる。

目撃情報

流出写真とは別の目撃情報もある。2003年(平成15年)2月頃、特定失踪者問題調査会に対し、中国国籍と称する匿名の人物による平壌郊外での目撃情報が寄せられた[11]。それによれば、この人物は「北朝鮮のビジネスパートナーに特定失踪者の発表された新聞を見せたところ、加瀬テル子他1名を見た。加瀬テル子と思われる女性は『千葉の海』から来た」と証言した[11]。この人物は、加瀬を拉致被害者としては認識していないが、日本女性であるとは認識している[11]。「千葉の海」は、加瀬が居住していた千葉県海上町および房総半島九十九里浜沖を指すと考えて矛盾はなく、その時点で彼女が北朝鮮に生存していた可能性が高いと判断される[11]

参照

参考文献

関連項目

外部リンク

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