高剛
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)による拉致被害者
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拉致事件
東京都品川区西五反田のTOCビル4階にあった貿易会社ユニバース・トレイディングは,在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の幹部だった金炳植によって1971年(昭和46年)に設立され、社員は約30名おり、主として貴金属の輸出の業務にあたっていた[3]。しかし、その実態は北朝鮮工作機関のフロント企業であり、社員のうち10名は北朝鮮工作員であった[3]。日本の公安警察の捜査員によれば、「表向きは貿易業務だったが、目的は在日米軍の情報収集などの秘密工作や資金調達、海外の工作員との連絡だった。貿易会社は金も稼げるし、海外に出張しても自然だ。ちょうど良い偽装だった」という[3]。
1972年(昭和47年)、金炳植が本国に召還されて失脚すると、会社を引き継いだのが愛媛県宇和島市出身の在日朝鮮人、高大基であった[3]。高は、朝鮮総連傘下の研究機関「朝鮮問題研究所」の研究員でもあり、さらに朝鮮大学校を卒業した朝鮮総連の専従活動家を構成員とする武闘工作部隊、通称「ふくろう部隊」の訓練隊長でもあった[3][注釈 1]。
高大基が渡辺秀子と知り合ったのは1961年(昭和36年)のことで、当時、秀子は北海道紋別市のスナックバーで働いていた[3]。客として店を訪れた高が秀子に一目惚れして交際が始まり、2人は1967年(昭和42年)3月1日に結婚した[3][5][6]。姉の敬美は同年4月10日に生まれている[7]。高大基の住居は埼玉県上福岡市(現、ふじみ野市)にあり、その後、剛が1970年(昭和45年)6月29日に生まれた[2]。しかし、2人の父高大基は1973年(昭和48年)に突然、行方をくらましたのである[8][3][5]。本国に召還されたのではないかと推定されている[3]。
残された渡辺秀子は夫が失踪した理由がわからず、その行方を追って、夫の勤め先である五反田のユニバース・トレイディングを訪ねた[3]。秀子と2人の子高敬美、高剛はその後消息不明となった[3]。ユニバース・トレイディングが北朝鮮工作機関のダミー会社であることが発覚するのを恐れて親子3人を監禁したものと思われる[7][6][8]。
渡辺秀子については、2007年(平成19年)4月の新聞ではユニバース・トレイディングの内部で工作員の男に絞め殺されたと報じられている[9]。報道によれば、同社の関係者によって「箱に入れ石を詰めて捨てた」「遺棄場所は山形と秋田の県境」などの証言がなされたが遺体発見にはいたっていない[9][注釈 2]。
敬美と剛の幼い姉弟は、1974年(昭和49年)6月中旬、福井県小浜市の岡津海岸から工作船で北朝鮮に連行されたと考えられている[3][6][8]。これを指示したのは、北朝鮮の工作員でユニバース・トレイディングの役員でもあった在日韓国人の洪寿恵(ホン・スヘ)であることが警察の捜査により判明しており[1]、彼女は1977年(昭和52年)以降、日本に帰化して木下陽子と名乗っている[10][注釈 3]。
木下の指示を受け、2人を北朝鮮に連れて行ったのは、世話役であった当時55歳の女とみられる[10]。女は、工作船を待つ間に「お姉ちゃんも飲むからね」などと言って自分は酔い止め薬を飲んで安心させた上で、2人には睡眠薬を飲ませていたことが新たに判明した[10]。女は関係者に対し、「姉(敬美)は目を覚ましたので、手を引いて工作船に乗せたが、弟(剛)は寝ていたので、背中におぶって乗せた」などとも話している[10]。
2007年(平成19年)4月12日、警察は敬美・剛の姉弟を拉致されたものと断定したが、現在の支援法は日本国籍保持者のみが対象になっており、朝鮮籍の敬美は政府による拉致認定がなされていない[7]。また、高姉弟拉致の主犯である洪寿恵こと木下陽子については、4月26日の逮捕状の発付を得て国際手配を行い、4月27日、外務省を通じて、北朝鮮に対し、身柄の引き渡しを要求している[1][7][6][12]。
