徳永陽一郎

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生誕 (1935-01-14) 1935年1月14日(90歳)
日本の旗 日本 長崎県長崎市
失踪 1953年失踪(18歳)
失踪から72年1か月と12日
日本の旗 日本 長崎県長崎市
国籍 日本の旗 日本
職業 染料店店員(配達)
とくなが よういちろう

徳永 陽一郎
生誕 (1935-01-14) 1935年1月14日(90歳)
日本の旗 日本 長崎県長崎市
失踪 1953年失踪(18歳)
失踪から72年1か月と12日
日本の旗 日本 長崎県長崎市
国籍 日本の旗 日本
職業 染料店店員(配達)
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徳永 陽一郎(とくなが よういちろう、1935年昭和10年〉1月14日 - )は、長崎県出身の特定失踪者 [1]特定失踪者問題調査会では「拉致濃厚」(1000番台リスト)としている[2][3]1953年(昭和28年)10月、長崎県長崎市の自宅を出たのち失踪した[1]。失踪当時は18歳であった[1]

1935年昭和10年〉1月14日生まれ[1][3]。長崎市で染料店の店員として働いていた[1]。職種は配達員であった[3]1953年(昭和28年)10月7日、長崎市の自宅を出たのち失踪[3]。失踪当時18歳[1][3]。別の新しい勤務先の話があり、履歴書を書いている途中で突如いなくなった[1]。その履歴書に貼るための写真を店に受け取りに行こうとしていたが、その前に失踪した[3]10月17日北九州市門司区から姉あてに送られてきた手紙は書留郵便で、家族から借りていた現金1500円を返し、「いい仕事があった」「歩いてでも帰ってきます」と書かれていたが、それ以来消息がない[1][3]

彼については、脱北者権革による1998年から99年にかけての目撃証言がある[3][4][5]。目撃情報は、権革が強制収容所の幹部をしていたときのもので、彼が強制収容所に入れられたのは、彼が酒に酔って「資本主義が良い」「自分は拉致されてきた」「日本に亡命する」と語ったのを、その場にいた友人に密告されたためであった[3][5]。書類には「1954年1955年に朝鮮に来た日本人」と記されていた[3]。彼は、日本語をよく話していた[3]。身長は、172センチメートル、ないし180センチメートルぐらいあったかもしれない[3]。がっしりとした体格であった[3]。また、入所時の身体検査の時、右の肩に刃物などのようなもので付いた傷があったことを覚えているという[3][5]。それについては、日本側資料にも、右肩に子供の頃で切った傷跡が残るとあり、目撃証言との一致をみている[1][4][注釈 1]

特定失踪者問題調査会2004年(平成16年)9月24日長崎県警察告発状を提出している[1]

参照

参考文献

関連項目

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