入船敏
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2009年、世界陸上ベルリン大会での入船 | ||||
| 選手情報 | ||||
| フルネーム | 入船 敏 | |||
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| 種目 | 長距離走・マラソン | |||
| 所属 | 京セラ→カネボウ→花王 | |||
| 生年月日 | 1975年12月14日(49歳) | |||
| 生誕地 | 鹿児島県日置市 | |||
| 身長 | 176cm | |||
| 体重 | 59kg | |||
| 自己ベスト | ||||
| 1500m | 3分51秒04 (2007年) | |||
| 5000m | 13分22秒12 (2001年) | |||
| 10000m | 27分53秒92 (2001年) | |||
| ハーフマラソン | 1時間01分36秒 (2000年) | |||
| マラソン | 2時間09分23秒 (2008年) | |||
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入船 敏(いりふね さとし、1975年12月14日 - )は、日本の陸上競技長距離走・マラソン元選手・現指導者。鹿児島県日置市(旧・日置郡伊集院町)出身。身長:176 cm、体重:59 kg。世界陸上競技選手権(男子10000m1回・男子マラソン2回の合計3大会)・アジア競技大会(男子マラソン1回)日本代表。
鹿児島商業高等学校卒業後、1994年京セラ入社。男子陸上競技部が廃部したため、2000年に伊藤国光監督(当時)率いるカネボウへ移籍。
同陸上競技部には、2000年シドニーオリンピック男子10000m7位入賞・現マラソン日本記録保持者の高岡寿成現監督らが所属、入船自身ライバルながらも尊敬する選手として高岡の名を挙げていた。また実弟の入船満(現在は高校教師)もかつて陸上競技選手として活躍し、順天堂大学在籍時は4年連続で箱根駅伝を走り、4年次には1区で区間賞を獲得、卒業後は兄と同様2008年までカネボウに所属していた。
京セラ時代の1999年に、世界陸上セビリア大会男子10000mに出場するが、20位に終わった。
カネボウ時代の2002年、フルマラソンに初挑戦。同年3月のびわ湖毎日マラソンが初マラソンだったが、30Kmを過ぎて先頭集団から遅れ初め11位に留まった。
その後もマラソンではスランプが続いていたが、2005年2月の別府大分毎日マラソンでは30Km過ぎに自らスパートしてから独走となる。レース終盤でペースが落ちたものの、初めて2時間10分を切る当時の自己記録でマラソン初優勝を果たした。
その後世界陸上ヘルシンキ大会男子マラソン代表に選出されたが、2005年8月の本番レースでは6年前の世界陸上の成績同様、20位に終わった(男子マラソン団体戦では金メダルを獲得)。
2006年2月の東京国際マラソン(同年限りで東京国際は最後の大会)では4位に入り、同年12月開催のドーハアジア競技大会男子マラソン代表に選ばれたが、3位入賞・銅メダルを獲得した大崎悟史らにあと一歩及ばず4位に留まり、メダル獲得はならなかった。
2008年12月の福岡国際マラソンでは、優勝のツェガエ・ケベデ(エチオピア)とは3分以上の差をつけられたが、日本人トップの2位に入り自己ベスト記録をマーク。これにより、世界陸上ベルリン大会男子マラソン代表に即内定となった。
2009年8月の世界陸上ベルリン大会男子マラソン本番では、8位入賞には届かなかったものの、通算3回目の世界陸上で自己最高順位の14位に入った(男子マラソン団体戦では銅メダルを獲得)。
オリンピックにも男子マラソン日本代表を目指して、2004年アテネ大会・2008年北京大会・2012年ロンドン大会の国内選考会に出場するも、芳しい成績を残せず五輪選出は果たせなかった。2012年12月の福岡国際マラソンを自身現役最後のレースとして出走したが、途中足を痛めた影響でリタイアに終わる。引退後2013年にカネボウ陸上部コーチへ就任、現在では主に陸上競技の指導者として活動中。