原田和広
From Wikipedia, the free encyclopedia
ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス大学院政治学部修了
ケンブリッジ大学大学院国際関係学部修了
東北福祉大学大学院総合福祉学研究科博士課程修了
| 原田 和広 はらだ まさひろ | |
|---|---|
![]() 2025年11月28日、台北駐日経済文化代表処にて | |
| 生年月日 | 1973年4月5日(53歳) |
| 出生地 |
|
| 出身校 |
慶應義塾大学総合政策学部卒業 ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス大学院政治学部修了 ケンブリッジ大学大学院国際関係学部修了 東北福祉大学大学院総合福祉学研究科博士課程修了 |
| 前職 | 職業訓練校役員 |
| 所属政党 |
(民主党→) (民進党→) (無所属→) (旧立憲民主党→) (立憲民主党→) 中道改革連合 |
| 選挙区 | 比例東北ブロック(山形1区) |
| 当選回数 | 1回 |
| 在任期間 | 2025年9月18日[1] - 2026年1月23日 |
| 選挙区 | 山形市選挙区 |
| 当選回数 | 1回 |
| 在任期間 | 2019年4月30日 - 2021年10月8日 |
山形県山形市出身。慶應義塾大学総合政策学部卒業後、1998年にロンドン・スクール・オブ・エコノミクス大学院政治学部修了。2000年、ケンブリッジ大学大学院国際関係学部修了。2002年、両親と共に、職業訓練などを行う株式会社セラフィムを山形市で起ち上げ、代表取締役となる[2][3]。
鹿野道彦元農林水産大臣が立ち上げた「愛山塾」の塾生[4]を経て、2014年の第47回衆議院議員総選挙山形1区に鹿野の後継として民主党から立候補したが、自由民主党現職の遠藤利明に大差で敗れた[5]。当初原田は翌年の山形県議会議員選挙への立候補を目指していたが、急な解散で衆院選に立候補する形となり、原田の選対顧問に就任した鹿野も「この時期の解散は考えていなかった」と準備不足を認めた[6]。
2018年5月の民進党解党後は無所属となったが、同年12月の立憲民主党県連設立の動きを受けて同党に入党[7]。
2019年4月の山形県議会議員選挙に立候補し、初当選した[8] 。2020年3月、東北福祉大学大学院総合福祉学研究科博士課程修了[9]。
2021年10月の第49回衆議院議員総選挙に立憲民主党公認で再度立候補し、同選挙では国民民主党の支援を受けたほか、日本共産党も対立候補を取り下げ「野党統一候補」となったが、再び遠藤に敗れた[10]。
2024年の衆議院解散を受けて、同年10月27日に執行される第50回衆議院議員総選挙では立憲民主党公認で山形1区から立候補。選挙区では遠藤に三度目の敗北を喫し、重複立候補していた比例東北ブロックにおいても立憲民主党が獲得した4議席に対し、比例単独1位の馬場雄基に次ぐ、名簿登載順位2位となった重複候補者のうち、惜敗率が次点(70.1%)となり、落選[11]。
2025年9月8日、比例東北ブロック選出の馬場雄基が福島市長選挙立候補準備のため議員辞職願を提出し、辞職が許可された[12][13]。これに伴い、中央選挙管理会は9月17日に開催した選挙会において、比例東北ブロック・立憲民主党比例名簿から欠員補充として、次点者である原田の繰上当選を決定した[14]。翌18日に当選の旨の告示がなされ[1]、同日付で衆議院議員となった[15]。
第51回衆議院議員総選挙を前に、立憲民主党と公明党の衆議院議員によって結成された中道改革連合に参加したが、2026年2月8日の投開票の結果、自民党の好調と中道の不振もあり、遠藤利明の息子で自民党新人の遠藤寛明に大差で敗れて比例復活もならず、初当選から半年足らずでの落選となった[16]。
著作
著書
- 『実存的貧困とはなにか ポストモダン社会における「新しい貧困」』(青土社、2022年)
