二田孝治

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生年月日 (1938-05-04) 1938年5月4日(87歳)
出生地 日本の旗 日本 秋田県
出身校 中央大学法学部法律学科卒業
前職 衆議院議員佐々木義武秘書
二田 孝治
ふただ こうじ
生年月日 (1938-05-04) 1938年5月4日(87歳)
出生地 日本の旗 日本 秋田県
出身校 中央大学法学部法律学科卒業
前職 衆議院議員佐々木義武秘書
所属政党 自由民主党古賀派
称号 法学士(中央大学・1963年
親族 父・二田是儀(衆議院議員)
公式サイト 【二田孝治オフィシャルホームページ】(アーカイブ)
選挙区旧秋田1区→)
比例東北ブロック→)
秋田1区→)
比例東北ブロック
当選回数 7回
在任期間 1986年7月7日 - 2009年7月21日
当選回数 3回
在任期間 1975年 - 1986年[1]
その他の職歴
自由民主党広報本部長
総裁:安倍晋三
2006年9月 - 2007年8月
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二田 孝治(ふただ こうじ、1938年5月4日 - )は、日本政治家自由民主党所属の元衆議院議員(7期)。父は衆議院議員・第2代天王町長を務めた二田是儀

秋田県生まれ。1963年中央大学法学部法律学科卒業。衆議院議員佐々木義武秘書から秋田県議会議員(3期)を経て、1986年第38回衆議院議員総選挙で初当選し、連続7期務める[1]

中選挙区制時代からの佐藤敬夫とのライバル関係は有名であった。ただし、中選挙区時代は常に佐藤に得票数で上回られており、小選挙区制以降後も1996年の総選挙で佐藤に敗れ、比例東北ブロックでの復活当選となった。2000年の総選挙では537票差の大激戦を制して初めて佐藤に勝利した。2003年は比例東北ブロックの単独候補として当選したが、2005年郵政民営化の是非を問い自民党に追い風が吹く中で、民主党寺田学8,609票差で敗れ、比例東北ブロックでの復活当選となった[2]2009年は、リーマンショックによる大不況や麻生内閣の失政もあって自民党に大逆風が吹き荒れる中で寺田に3万票以上の大差で敗れ、比例東北ブロックでの復活も叶わず落選した。その後、2010年12月24日に次期総選挙への不出馬と事実上の引退を表明した。小選挙区制では4回中3回が比例代表での当選であった。

内閣・衆院にて、農林水産政務次官経済企画政務次官文教委員長内閣委員長国家基本政策委員長、テロ対策委員長を歴任。また、党にて農林部会長、広報局長、副幹事長、団体総局長、広報本部長宏池会副会長を歴任[1]

人物

  • 通算当選7回の自民党議員でありながら、一度も入閣しなかった。
  • 政治家の年金未納問題が注目された際に国民年金の未納が発覚した(1986年の衆議院議員初当選から18年間)[3]
  • 2002年には、倒産した秋田市の建設会社「栗原組」の破産管財人である虻川高範弁護士の申し立てで歳費差押えを受けた。二田は栗原組より総額1億5300万円の借金をしていた(この他、3社から計約3億7000万円を借り入れをしていた)[4]

所属していた主な団体・議員連盟

脚注

外部リンク

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