津島淳
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| 津島 淳 つしま じゅん | |
|---|---|
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内閣広報室より公表された肖像 | |
| 生年月日 | 1966年10月18日(59歳) |
| 出生地 |
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| 出身校 | 学習院大学文学部国文学科 |
| 前職 | 国会議員秘書 |
| 所属政党 |
(無所属→) 自由民主党(茂木派→無派閥) |
| 称号 | 文学士 (学習院大学) |
| 親族 |
曾祖父・津島源右衛門(衆議院議員、貴族院議員) 祖父・太宰治(作家) 父・津島雄二(元厚生大臣) |
| 公式サイト | 津島淳オフィシャルサイト |
| 選挙区 |
(青森県第1区→) (比例東北ブロック→) 青森県第1区 |
| 当選回数 | 6回 |
| 在任期間 | 2012年12月16日 - 現職 |
津島 淳(つしま じゅん、1966年〈昭和41年〉10月18日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(6期)、内閣府副大臣、自由民主党青森県支部連合会長[1]。
法務副大臣、自由民主党政務調査会法務部会長、同国土交通部会長、同厚生労働副部会長、国土交通大臣政務官兼内閣府大臣政務官(第3次安倍第1次改造内閣)、衆議院財務金融委員長を歴任[2]。
祖父は小説家の太宰治(本名・津島修治)、父は元自民党衆議院議員の津島雄二[3]。小説家の津島佑子は叔母、元民主党衆議院議員の津島恭一は又従兄に当たる[4]。
当時大蔵官僚だった父・津島雄二(のちに衆議院議員)が外務省在フランス日本国大使館に出向していた関係で、1966年にフランスのパリで生まれる。翌1967年に帰国したため、フランスで生活した記憶はないという。
千代田区立番町小学校、千代田区立麹町中学校、学習院高等科を経て1991年に学習院大学文学部国文学科を卒業後、大学の先輩に誘われて株式会社関電工に入社し、14年間勤務する。2005年に退社し、父の秘書となった。2008年に結婚[5]。
2009年7月の第45回衆議院議員総選挙に父の後継として青森1区から出馬するため、自民党青森県連の実施した公募に参加し[6]、選考審査を経て候補者となった[7]。しかし、世襲批判などから党本部の菅義偉選挙対策副委員長が否定的な見解を表明するなどし、公認が得られないまま[8]無所属で出馬(公明党推薦及び自民党青森県連の"県連公認"は獲得[9])したが、民主党の横山北斗に破れた。
2012年12月の第46回衆議院議員総選挙では、自民党の公認を獲得し、神道政治連盟の後援を得て青森1区から出馬。日本維新の会の升田世喜男や日本未来の党の横山を破り、初当選した。2014年12月の第47回衆議院議員総選挙で再選[10]。
自由民主党政務調査会厚生労働副部会長を経て、2015年10月、第3次安倍第1次改造内閣にて国土交通大臣政務官と内閣府大臣政務官に就任[11]。
2017年10月の第48回衆議院議員総選挙で3選を果たした[12]。
2021年10月6日、第1次岸田内閣で法務副大臣に就任[13]。同月に行われた第49回衆議院議員総選挙では、コスタリカ方式により比例東北ブロック単独1位で出馬し当選。その後、第2次岸田内閣で法務副大臣に再任[14]。
2024年9月12日、自民党総裁選挙が告示され、旧茂木派からは会長の茂木敏充と加藤勝信の2人が立候補した。石破茂、高市早苗、小泉進次郎の3人が競り合う構図が固まった終盤[15]、麻生太郎は9月25日に茂木と「反石破」での連携を確認し、茂木派議員の一部も取り込んだ[16][注 1]。9月27日総裁選執行。高市が得票数1位で決選投票へ進むも、岸田文雄首相の後押しを受けた石破に敗れた[19][16]。津島は1回目の投票では小林鷹之に投じ、決選投票では茂木の意向に従わず、石破に投じた[20]。朝日新聞の取材に対し、「ギリギリまで迷った」「決め手は決選投票前の演説だった」と答えた[20]。
2024年10月の第50回衆議院議員総選挙では青森1区から5選を果たした[21]。
2025年9月6日、津島が会長を務める青森県連は総裁選の前倒しに求めると決めた[22]。津島も個人として総裁選前倒しを求めると表明した[23]。
2025年10月22日、第1次高市内閣で内閣府副大臣に就任[24]。
コスタリカ方式によれば次回は選挙区から立候補する予定であった江渡聡徳が、津島に再び選挙区から立候補すべきとの意向を2026年1月に伝えたことから、第51回衆議院議員総選挙においても青森1区から立候補することが決定した[25]。同年2月8日の投開票の結果、6選[26]。同年2月19日、第2次高市内閣で内閣府副大臣に再任[27]。