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団時朗

日本の俳優 (1949-2023) From Wikipedia, the free encyclopedia

団 時朗(だん じろう、1949年〈昭和24年〉1月30日[1][2][3][4][5] - 2023年〈令和5年〉3月22日[6][7])は、日本の俳優。旧芸名は、団 次郎[2][4][5]や団 次朗[8](いずれも読みは同じ)。本名は村田 秀雄(むらた ひでお)[2][3][7]。

本名 村田 秀雄(むらた ひでお)
別名義 団 次郎
団 次朗
生年月日 (1949-01-30) 1949年1月30日
没年月日 (2023-03-22) 2023年3月22日(74歳没)
概要 だん じろう 団 時朗, 本名 ...
だん じろう
団 時朗
本名 村田 秀雄(むらた ひでお)
別名義 団 次郎
団 次朗
生年月日 (1949-01-30) 1949年1月30日
没年月日 (2023-03-22) 2023年3月22日(74歳没)
出生地 日本の旗 日本・京都府京都市
身長 187 cm[1]
血液型 AB型[1]
職業 俳優、歌手
ジャンル 映画、テレビドラマ、舞台
活動期間 1966年 - 2023年
活動内容 1966年:映画出演
1967年:資生堂専属モデル
1971年:『帰ってきたウルトラマン』
配偶者 なし(生涯独身・未婚)
事務所 アルファエージェンシー
公式サイト 所属事務所によるプロフィール
主な作品
テレビドラマ
『帰ってきたウルトラマン』
『スーパーロボット マッハバロン』
『少年探偵団』
『ロボット8ちゃん』
『正義は勝つ』
『熱海の捜査官』
映画
『スタア』
『ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟』
『大決戦!超ウルトラ8兄弟』
舞台
『ふるあめりかに袖はぬらさじ』
シングル
『帰ってきたウルトラマン』
『勇者よいそげ!!』
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京都府[1]京都市出身[2]。平安高等学校卒業[2][9]。生前はアルファエージェンシーに所属していた。

来歴

イギリス系アメリカ人の父[注釈 1]と小唄の師匠である日本人の母の間に生まれたハーフ[5][10]。

1966年、母が知り合いである大映の三隅研次監督に頼み、勝新太郎主演の『酔いどれ博士』の端役で俳優デビュー[5]。同年に髙島屋と提携したピエール・カルダンのスーツを一度に3着購入するほどファッションへの想いが強かったことからも、1967年3月に平安高等学校を卒業するとただちに上京し、セントラルファッションに所属する。同年5月に前田美波里と共演した資生堂サンオイルのテレビCM、続いて出演した同社の男性化粧品「MG5」のテレビCMにより華やかな脚光を浴び、スターの座についた[11]。

1968年、日活映画『わが命の唄 艶歌』に出演[5]。それまでは本名で活動していたが演歌歌手の村田英雄と同音異字だったことからも、同作品での役名「団 次郎」をもらって芸名とする[5]。同年6月には、日本クラウンより「バラの恋」で歌手デビュー[5][9]。

俳優としては、1970年の『江戸川乱歩シリーズ 明智小五郎』への出演を皮切りに本格的な活動を開始する[12]と、1971年には円谷プロのウルトラシリーズ『帰ってきたウルトラマン』で主人公・郷秀樹を演じて子供たちの人気を一身に集めた[11]。そのほか、1974年には日本現代企画の『スーパーロボット マッハバロン』[13]、1981年の東映不思議コメディーシリーズ『ロボット8ちゃん』[14]といった特撮テレビドラマにもレギュラー出演した。なお、『少年探偵団』では怪人二十面相を演じ、最終回では正体が演者の団その人という奇抜な演出がなされている[15]。

俳優として低迷期を迎えた時期もあったが、舞台に活路を見出して以降はミュージカルからストレートプレイまで広く活動し、福田陽一郎、坂東玉三郎、栗山民也らに起用され、キャリアを積み重ねた[2]。

映画では、筒井康隆の戯曲を映画化した『スタア』(1986年)で、プレイボーイのスター役を印象的に演じた[2]。

1984年、姓名判断により「団 時朗」に改名[5][16]。

2017年夏に肺がんの診断を受けてからも、ひそかに治療を受けつつ俳優活動を続けてきたが、2022年末に体調が悪化して2023年3月22日午前4時14分に東京都内の病院にて死去[7]。74歳没[6]。生涯独身だったことからも、最期は親族とアルファエージェンシー代表に看取られた[7]。同年3月24日、円谷プロから「ウルトラの星へと旅立たれた」との追悼文が公式Twitterにて発表された[5]ほか、『帰ってきたウルトラマン』の次作『ウルトラマンA』でウルトラマンAに変身する北斗星司を演じた高峰圭二からも無念を吐露する追悼文が個人Twitterにて発表された[7]。

人物・エピソード

  • 幼い頃は父の命名通り「バービー」と呼ばれていたが、学校へ行くにあたりバービーでは具合が悪いということで、5歳の時に自ら「ヒデオ」と片仮名の名前をつけ、小学校入学後に「秀雄」と漢字を当てた[17] [18]。
  • 平安高等学校在学中は、長身を活かしてバスケットボールをやっていた[19]。
  • 1991年に雑誌『B-CLUB』の特集で行われた京本政樹との対談では、他のシリーズでは「ウルトラセブン」などの正式名称があるが、自身が演じた「帰ってきたウルトラマン」には「自分のだけが名前がない」と言及し、京本が「一応ジャックという名前がある」と応えると、「(ジャックという名前に対して)後からつけられてもしょうがないし、ピンと来ない」と述べている[20]。
  • 『ウルトラセブン』のモロボシ・ダンを演じた森次晃嗣のシャンソンCD発売の際、ウルトラ4兄弟=ダンディー4の集合時に「子供のころのヒーローと言えば?」という問いに、黒部進(=初代ウルトラマン)だと答えた。森次とは『帰ってきたウルトラマン』で共演以降も親交があり、(団が)森次の家を訪れた際、家にある酒をカラにして帰ることがよくあったという[21]。また、『帰ってきたウルトラマン』当時は、子どもの夢を壊してはいけないからと、プロデューサーの円谷一から飲酒を止められていたという[22]。
  • 2009年には、舞台で多数の競演を行っている黒柳徹子とのデートが報じられる。黒柳によると舞台『ベッドルーム・ファンタジー』の舞台稽古に際しての食事会であり、団のほかに田山涼成も同席していたことを明かしたうえ、「でも、嬉しいって思いました」と大人の対応をしている[23]。
  • 2013年、自主映画『蒼き天狗の夜に。』上映のアフタートークに特別ゲストとして登壇した。若手俳優・スタッフへの激励、故郷京都での映画の原体験などを語った[24]。
  • 2021年7月4日、自身が主演した「帰ってきたウルトラマン」誕生50周年を記念した特別生配信『帰ってきた団時朗と仲間たち〜君にも見えるウルトラの配信〜』にて主催を務める。旧交を温めてきた榊原るみ、西田健、きくち英一とのトークセッションを始め、変身ポーズを披露するなど様々な企画が進行され、50周年を大いに盛り上げた。

出演

テレビドラマ

NHK

日本テレビ

TBS

フジテレビ

テレビ朝日

テレビ東京

WOWOW

その他のテレビ番組

映画

オリジナルビデオ

インターネット配信

舞台

ゲーム

ラジオドラマ

CM

その他

  • 東映怪人怪獣大百科 ロボット篇(東映ビデオ) - 青井博士(ナレーション)
  • 帰ってきた団時朗と仲間たち〜君にも見えるウルトラの配信(ツイキャスプレミアム特別生配信) - 主催

音楽

シングル
題名B/W・C/W発売年レーベル備考
バラの恋ひとつぶの涙1968年クラウン日活映画『わが命の唄 艶歌』主題歌
ラストまでポート神戸に夜がふける
渚のバラードバラをあげよう1969年
甘い予感霧の中の孤独1970年日本コロムビア『特別機動捜査隊』第435話「一郎とマリ」劇中歌
男には黙っていたい時がある荒野を歩く男
帰ってきたウルトラマンMATチームの歌1971年主題歌・挿入歌。ウルトラシリーズで初めて主役が歌った[注釈 3]。
8ちゃんのえかき唄おさえきれない好奇心![注釈 4]1982年『ロボット8ちゃん』後期EDテーマ。
勇者よいそげ!!この道わが旅1991年『DRAGON QUEST -ダイの大冒険-』主題歌。すぎやまこういちとの20年ぶりのタッグを組んだ作品。同収録の『この道わが旅』は、『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』のエンディングテーマに詩をつけたもの。
ウルトラマンメビウス2006年『ウルトラマンメビウス』主題歌。Project DMM with ウルトラ防衛隊の一員として。

脚注

外部リンク

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