島津長丸
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1871年(明治4年)、宮之城家第15代当主島津久治(島津図書)の長男として鹿児島に生まれる[3]。生後間もない1872年(明治5年)1月に父が急逝したため、同年1月10日に家督を継ぐ[3]。大龍小学校を経て[3]、1895年(明治28年)7月、鹿児島高等中学造士館予科卒業[4]。1896年(明治29年)鹿児島高等中学造士館廃止のため高等中学造士館本科から学習院へ転学[3]。
1896年(明治29年)、鹿児島市平ノ馬場町に私立鶴嶺女学校を創立した。1897年(明治30年)10月に男爵を授けられた[1]。武徳会鹿児島支部副長、鹿児島電気軌道監査役、都市計画鹿児島地方委員会委員などを歴任。
また、1901年(明治34年)9月26日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[5]、1904年(明治37年)7月9日まで務め[6]、さらに1916年(大正5年)5月6日に再び選出され[7]死去するまで在任した[6]。
