幌泊駅 From Wikipedia, the free encyclopedia 所在地 極東連邦管区サハリン州ホルムスク北緯47度7分22秒 東経142度3分23秒 / 北緯47.12278度 東経142.05639度 / 47.12278; 142.05639 (シマコヴォ駅)所属事業者 ロシア鉄道極東鉄道支社サハリン地域部駅種類 貨客駅駅名変遷 1921年-1946年 : 幌泊駅シマコヴォ駅 ホームの様子 Симаково ◄ホルムスク=セヴェルヌイ (6 km) (1 km) 373kmピケート10► 所在地 極東連邦管区サハリン州ホルムスク北緯47度7分22秒 東経142度3分23秒 / 北緯47.12278度 東経142.05639度 / 47.12278; 142.05639 (シマコヴォ駅)所属事業者 ロシア鉄道極東鉄道支社サハリン地域部駅種類 貨客駅駅名変遷 1921年-1946年 : 幌泊駅所属路線 シャフタ=サハリンスカヤ-アルセンチェフカ線キロ程 72.0 km(シャフタ=サハリンスカヤ起点)駅構造 地上駅開業年月日 1921年11月1日テンプレートを表示 かつて幌泊駅(ほろとまりえき)と呼ばれていたシマコヴォ駅(ロシア語: Платформа Симаково)は、日本統治時代には樺太真岡郡蘭泊村に存在し、現在のロシア占領下ではサハリン州ホルムスクにあるロシア鉄道極東鉄道支社管轄の駅。 1921年(大正10年)11月1日:樺太庁鉄道西海岸線真岡駅 - 野田駅間開通により開業[1]。 1943年(昭和18年)4月1日:南樺太の内地化により、鉄道省に移管。 1945年(昭和20年)8月:ソ連軍が南樺太へ侵攻、占領し、駅も含め全線がソ連軍に接収される。 1946年(昭和21年) 2月1日:日本の国有鉄道の駅としては廃止。 4月1日:ソ連国鉄に編入。ロシア語駅名は「シマコヴォ」。 日本統治時代の駅名の由来 当駅の所在する地名からであり、地名はアイヌ語の「ポロ・トマリ」(大きな港)による[2]。 運行状況 2013年11月現在、当駅にはホルムスク=セヴェルヌイ駅~チェーホフ駅間およびホルムスク=セヴェルヌイ駅~チェーホフ駅~トマリ駅間のディーゼル列車3往復(日曜日は2往復)が設定されている。 日本統治時代 (1944年当時[3]) 上りは本斗駅行きが2本、真岡駅行きが2本運行されていた。 下りは久春内駅行きが2本と野田駅行き2本が運行されていた。 隣の駅 ロシア鉄道 シャフタ=サハリンスカヤ-アルセンチェフカ線 ホルムスク=セヴェルヌイ駅 - シマコヴォ駅 - 373kmピケート10駅 日本統治時代 鉄道省樺太鉄道局 樺太西線 北真岡駅 - (宇遠泊駅) - 幌泊駅 - (本古丹駅) - 楽磨駅 脚注 [脚注の使い方] ↑ 鉄道停車場一覧. 昭和12年10月1日現在 ↑ 南樺太:概要・地名解・史実(西村いわお・著、高速印刷センター内出版部 1994年)、p.324 ↑ 南樺太:概要・地名解・史実 p.61 関連項目 ウィキメディア・コモンズには、シマコヴォ駅に関連するカテゴリがあります。 サハリンの鉄道 表話編歴 シャフタ=サハリンスカヤ-アルセンチェフカ線 シャフタ=サハリンスカヤ ゴルノザヴォーツク ロパチン=サハリンスカヤ ネヴェリスク ロヴェチカヤ ヤスノモルスキー ザヴェティ・イルイチャ スヴェトゥルヤキ カリーニノ=サハリンスコエ ズイリャンスカヤ=サハリンスカヤ ルユブリノ プラヴダ=サハリンスカヤ シェールヌイエ・イストーチニキ ポルヤコヴォ ホルムスク=ソルチローヴォチヌイ(ポリャーコヴォ) ホルムスク=ユージヌイ ホルムスク=セヴェルヌイ シマコヴォ 373kmピケート10 ミネラリナヤ ヤブロチナヤ 81kmピケート6 サドヴニキ ピオネールイ=サハリンスキエ 93km コストロムスカヤ=サハリンスカヤ スルユドゥヤンスカヤ 102km クラスノヤルスカヤ=サハリンスカヤ チェーホフ=サハリンスキー バイコヴォ セルゲーヴォ=サハリンスコエ ノヴォセロヴォ=サハリンスコエ ウロジャイナヤ=サハリンスカヤ トマリ スタロマヤーチナヤ ペンゼンスカヤ( イリインスク=サハリンスキー )イリインスク=ユージヌイ アルセンチェフカ 表話編歴 樺太西線(日本の鉄道路線としては廃線)・真久線(日本時代は未成線) 本斗 遠節 *南阿幸 阿幸 *南麻内 麻内 知根平 多蘭泊 *姉内 大穂泊 広地 明牛 *湯ノ沢 手井 真岡 *中真岡 北真岡 *宇遠泊 幌泊 *本古丹 楽磨 *南蘭泊 蘭泊 藻白帆 羽母舞 小能登呂 仁多須 登富津 野田 *杖遠 久良志 小岬 *鵜巣 追手 杜門 泊居 苫虫 樺太名寄 上久春内 久春内 貨物支線 本斗 浜本斗 真岡 浜真岡 真久線 真縫 上久春内 (久春内) *斜字は1941年12月1日休止 → 1943年4月1日廃止の駅 Related Articles