追手駅 From Wikipedia, the free encyclopedia 座標: 北緯47度38分54秒 東経141度59分34秒 / 北緯47.64833度 東経141.99278度 / 47.64833; 141.99278 かつて追手駅(おうてえき)と呼ばれていたノヴォセロヴォ=サハリンスコエ駅(ロシア語: Новосёлово-Сахалинское)は、日本統治時代は樺太泊居郡泊居町に存在し、現在のロシア統治下ではサハリン州ノヴォセロヴォ(ロシア語版)にある、ロシア鉄道シャフタ=サハリンスカヤ-アルセンチェフカ線の駅。日本統治時代は真岡郡野田町との境界線近くにあった。 1930年(昭和5年) 6月15日:樺太庁鉄道西海岸線野田駅 - 当駅間開通により開業[1]。 11月1日:当駅 - 泊居駅間延伸開業。 1943年(昭和18年)4月1日:南樺太の内地化により、鉄道省に移管。 1945年(昭和20年)8月:ソ連軍が南樺太へ侵攻、占領し、駅も含め全線がソ連軍に接収される。 1946年(昭和21年) 2月1日:日本の国有鉄道の駅としては廃止。 4月1日:ソ連国鉄に編入。ロシア語駅名は「ノヴォセロヴォ=サハリンスコエ」。 日本統治時代の駅名の由来 当駅の所在する地名からであり、地名はアイヌ語の「オ・テルケ・オロ」(そこから対岸へ行く所)、「オテブコロ」(川口の舟場)、「オツ・エリ・コロ」(群れて来た鱒を捕りに来たことのある所)による[2]。 運行状況 ホルムスク北駅とトマリ駅間を運行する通勤ディーゼル列車が月曜、金曜、土曜に運行されている。 日本統治時代 (1944年当時[3]) 上りは本斗駅行きが2本、真岡駅行きが2本運行されていた。 下りは久春内駅行きが3本と泊居駅行き1本が運行されていた。 隣の駅 ロシア鉄道 シャフタ=サハリンスカヤ-アルセンチェフカ線 セルゲーヴォ=サハリンスコエ駅 - ノヴォセロヴォ=サハリンスコエ駅 - ウロジャイナヤ=サハリンスカヤ駅 日本統治時代 鉄道省樺太鉄道局 樺太西線 小岬駅 - (鵜巣駅) - 追手駅 - 杜門駅 脚注 [脚注の使い方] ↑ 鉄道停車場一覧. 昭和12年10月1日現在 ↑ 南樺太:概要・地名解・史実(西村いわお・著、高速印刷センター内出版部 1994年)、p.339 ↑ 南樺太:概要・地名解・史実 p.61 表話編歴 シャフタ=サハリンスカヤ-アルセンチェフカ線 シャフタ=サハリンスカヤ ゴルノザヴォーツク ロパチン=サハリンスカヤ ネヴェリスク ロヴェチカヤ ヤスノモルスキー ザヴェティ・イルイチャ スヴェトゥルヤキ カリーニノ=サハリンスコエ ズイリャンスカヤ=サハリンスカヤ ルユブリノ プラヴダ=サハリンスカヤ シェールヌイエ・イストーチニキ ポルヤコヴォ ホルムスク=ソルチローヴォチヌイ(ポリャーコヴォ) ホルムスク=ユージヌイ ホルムスク=セヴェルヌイ シマコヴォ 373kmピケート10 ミネラリナヤ ヤブロチナヤ 81kmピケート6 サドヴニキ ピオネールイ=サハリンスキエ 93km コストロムスカヤ=サハリンスカヤ スルユドゥヤンスカヤ 102km クラスノヤルスカヤ=サハリンスカヤ チェーホフ=サハリンスキー バイコヴォ セルゲーヴォ=サハリンスコエ ノヴォセロヴォ=サハリンスコエ ウロジャイナヤ=サハリンスカヤ トマリ スタロマヤーチナヤ ペンゼンスカヤ( イリインスク=サハリンスキー )イリインスク=ユージヌイ アルセンチェフカ 表話編歴 樺太西線(日本の鉄道路線としては廃線)・真久線(日本時代は未成線) 本斗 遠節 *南阿幸 阿幸 *南麻内 麻内 知根平 多蘭泊 *姉内 大穂泊 広地 明牛 *湯ノ沢 手井 真岡 *中真岡 北真岡 *宇遠泊 幌泊 *本古丹 楽磨 *南蘭泊 蘭泊 藻白帆 羽母舞 小能登呂 仁多須 登富津 野田 *杖遠 久良志 小岬 *鵜巣 追手 杜門 泊居 苫虫 樺太名寄 上久春内 久春内 貨物支線 本斗 浜本斗 真岡 浜真岡 真久線 真縫 上久春内 (久春内) *斜字は1941年12月1日休止 → 1943年4月1日廃止の駅 この項目は、鉄道駅に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:鉄道/PJ鉄道)。表示編集 Related Articles