遠節駅 From Wikipedia, the free encyclopedia 座標: 北緯46度42分33秒 東経141度52分32秒 / 北緯46.70917度 東経141.87556度 / 46.70917; 141.87556 かつて遠節駅(とおぶしえき)と呼ばれていたロヴェツカヤ駅(ロシア語: Станция Ловецкая)は、日本統治時代には樺太本斗郡本斗町に存在し、現在のロシア統治下ではサハリン州にあるロシア鉄道シャフタ=サハリンスカヤ-アルセンチェフカ線の駅。日本統治時代には省営自動車本留線も当駅と連絡していた。 1920年(大正9年)10月11日:樺太庁鉄道西海岸線本斗駅 - 真岡駅間開通により開業[1]。 1935年(昭和10年):樺太庁鉄道バスが本斗駅 - 当駅 - 留多加郡留多加町大豊まで開業し接続駅となる。後に留多加駅前まで延長される。 1943年(昭和18年)4月1日:南樺太の内地化により、鉄道省に移管。樺太庁鉄道バスは省営自動車本留線となる。 1945年(昭和20年)8月:ソ連軍が南樺太へ侵攻、占領し、駅も含め全線がソ連軍に接収される。 1946年(昭和21年) 2月1日:日本の国有鉄道の駅としては、書類上廃止。 4月1日:ソ連国鉄に編入。ロシア語駅名は「ロヴェツカヤ」。 駅名の由来 当駅の所在する地名からであり、地名はアイヌ語の「トプ・ウシ・イ」(浜辺に竹のある所)による[2]。 運行状況 日本統治時代 (1944年当時[3]) 樺太西線 上りは本斗駅行き5本が運行されていた。 下りは野田駅行きと久春内駅行き各2本と北真岡駅行き1本が運行されていた。 省営自動車本留線 本斗駅 - 当駅 - 留多加駅前間を1日3往復していた。 隣の駅 ロシア鉄道 シャフタ=サハリンスカヤ-アルセンチェフカ線 ネヴェリスク駅 - ロヴェツカヤ駅 - ヤスノモルスキー駅 日本統治時代 鉄道省樺太鉄道局 樺太西線 本斗駅 - 遠節駅 - (南阿幸駅) - 阿幸駅 南阿幸駅は1941年(昭和16年)12月1日休止後、1943年4月1日廃止。 脚注 [脚注の使い方] ↑ 鉄道停車場一覧. 昭和12年10月1日現在 ↑ 南樺太:概要・地名解・史実(西村いわお・著、高速印刷センター内出版部 1994年)、p.280 ↑ 南樺太:概要・地名解・史実 p.61 表話編歴 シャフタ=サハリンスカヤ-アルセンチェフカ線 シャフタ=サハリンスカヤ ゴルノザヴォーツク ロパチン=サハリンスカヤ ネヴェリスク ロヴェチカヤ ヤスノモルスキー ザヴェティ・イルイチャ スヴェトゥルヤキ カリーニノ=サハリンスコエ ズイリャンスカヤ=サハリンスカヤ ルユブリノ プラヴダ=サハリンスカヤ シェールヌイエ・イストーチニキ ポルヤコヴォ ホルムスク=ソルチローヴォチヌイ(ポリャーコヴォ) ホルムスク=ユージヌイ ホルムスク=セヴェルヌイ シマコヴォ 373kmピケート10 ミネラリナヤ ヤブロチナヤ 81kmピケート6 サドヴニキ ピオネールイ=サハリンスキエ 93km コストロムスカヤ=サハリンスカヤ スルユドゥヤンスカヤ 102km クラスノヤルスカヤ=サハリンスカヤ チェーホフ=サハリンスキー バイコヴォ セルゲーヴォ=サハリンスコエ ノヴォセロヴォ=サハリンスコエ ウロジャイナヤ=サハリンスカヤ トマリ スタロマヤーチナヤ ペンゼンスカヤ( イリインスク=サハリンスキー )イリインスク=ユージヌイ アルセンチェフカ 表話編歴 樺太西線(日本の鉄道路線としては廃線)・真久線(日本時代は未成線) 本斗 遠節 *南阿幸 阿幸 *南麻内 麻内 知根平 多蘭泊 *姉内 大穂泊 広地 明牛 *湯ノ沢 手井 真岡 *中真岡 北真岡 *宇遠泊 幌泊 *本古丹 楽磨 *南蘭泊 蘭泊 藻白帆 羽母舞 小能登呂 仁多須 登富津 野田 *杖遠 久良志 小岬 *鵜巣 追手 杜門 泊居 苫虫 樺太名寄 上久春内 久春内 貨物支線 本斗 浜本斗 真岡 浜真岡 真久線 真縫 上久春内 (久春内) *斜字は1941年12月1日休止 → 1943年4月1日廃止の駅 Related Articles