張元準
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2016年の張元準 | |
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 |
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| 出身地 | ソウル特別市 |
| 生年月日 | 1985年7月31日(40歳) |
| 身長 体重 |
183 cm 80 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 2004年 1次ドラフト |
| 初出場 | 2004年4月4日 |
| 最終出場 | 2023年10月17日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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| 国際大会 | |
| 代表チーム |
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| WBC | 2013年、2017年 |
| プレミア12 | 2015年 |
この表について
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| 獲得メダル | ||
|---|---|---|
| WBSCプレミア12 | ||
| 金 | 2015 | 野球 |
| チャン・ウォンジュン | |
|---|---|
| 各種表記 | |
| ハングル: | 장원준 |
| 漢字: | 張元準 |
| 発音: | チャニョンジュン |
| 日本語読み: | ちょう・げんじゅん |
| 英語表記: | Chang Won-jun |
張 元準(チャン・ウォンジュン、ハングル:장원준、1985年7月31日 - )は、大韓民国ソウル特別市出身の元プロ野球選手(投手)。
ロッテ時代
2006年からロッテ・ジャイアンツの左の先発の柱として活躍。
2009年には若くして13勝を記録し、左腕エースに昇格。
2011年には自己最多かつチーム最多の15勝を記録。だが韓国球界には他に有望な左腕投手が多かったこともあり、プロ入り後韓国代表に選ばれたことがなく、20代半ばまでに兵役免除の機会を得られなかった。そのため2012年より軍へ入隊し、2013年秋の除隊まで警察野球団に所属してからロッテに復帰した。
2012年オフの11月に肩の手術を受け出場が困難になった奉重根に代わり、第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の韓国代表候補に選ばれた。
2013年はシーズン開幕前の3月に開催された第3回WBCの韓国代表に選出された。同大会では1次ラウンド最終戦の対チャイニーズタイペイ戦で先発したが、4回途中自責点2で降板し勝利投手になれなかった。
2014年6月12日のKIAタイガース戦では12回表に打者として出場を果たした。結果は2アウトランナーなしから金鎭尤の前に空振り三振。同年は10勝を記録した。
オフにフリーエージェント(FA)権を行使した。
斗山時代
2014年オフに斗山ベアーズへ移籍した[1]。彼の補償選手には鄭載勳が選ばれた[2]。
2015年は12勝を記録。韓国シリーズでも3次戦で勝利投手になり、MVPを獲得した[3]。オフに11月に開催された第1回WBSCプレミア12の韓国代表に選出された。同大会で韓国は大会初の優勝を果たした。
2016年も7年連続で2ケタ勝利を記録。これはサウスポー最初の記録であった。チーム内では彼とダスティン・ニッパート、マイケル・ボウデン、柳熙寬の先発投手4人が合計70勝を挙げ、「ファンタスティック4」と呼ばれた。10月30日のNCダイノスとの韓国シリーズ第2戦で8.2イニング1失点で勝利投手になった[4]。
2017年はシーズン開幕前の3月に開催された第4回WBCの韓国代表に選出された。同大会では初戦のイスラエル戦では先制点となるフォアボールを与えてしまった。
シーズンでは大きく負け越したが、5月11日のSKワイバーンズ戦で移籍後初完封を収めた[5]。
2019年は高齢と李映河ら若手・中堅の台頭によって先発ローテーションを奪われ、さらに肘を故障。結果的にわずか6試合の出場にとどまり未勝利に終わるなど自己ワーストの成績だった。
怪我から復帰した2020年は9月30日のハンファ・イーグルス戦に先発出場。536日ぶりの一軍登録及び736日ぶりの先発登板を記録した。しかし崔鎮涬、盧胎衡などに適時打を打たれ4イニングで4失点と炎上。また打線も援護できず崔周煥一人の1安打に抑えられた完封負けとなり、彼は敗戦投手になった[6]。
2021年からは主に李賢承に代わる左のワンポイントリリーフとして活躍している。6月17日の三星ライオンズ戦では8回途中から登板し、1.1イニングを1失点に抑えて17年目にしてプロ初セーブを記録した[7]。
2023年は5年ぶりに勝利投手となったが、10月のシーズン終了後に現役を引退した。
プレースタイル・人物
得意球はスライダーとカーブである。また体が丈夫であり軍入隊前までは8年間で1,171イニング(75勝)を投げたがその間で長期離脱は一度もない。スタミナも標準以上で100球以上投げても大崩れすることは少ない。
ロッテ時代には指名打者制を採用している韓国では珍しい投手の個人応援歌があった。原曲はバグルスの「Video Killed The Radio Star」である。