昭和大橋 (広島市)
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歴史
この両岸である観音および舟入・江波は昭和初期に造成されたものであり、第一次世界大戦以降に計画された太田川水系河口すべてに一大軍需工場地帯を整備することになった時に整備された土地である[2]。この際県側の誘致と大日本帝国海軍の要請により、江波に三菱重工業の造船・造機工場(現在の三菱重工業広島製作所)の建設が決定した[2]。そこで観音や庚午新開に三菱の工員用住宅地が確保され、そこから江波の三菱工場まで連絡橋の建設を三菱側は行政に要望してきた[2]。1944年(昭和19年)、三菱が1/2・広島県と広島市がそれぞれ1/4ずつ負担し、簡易な仮木桁橋としてこの昭和大橋と庚午橋が架設された[2]。
1945年(昭和20年)8月6日広島市への原子爆弾投下により被爆(爆心地から2.85km)。落橋どころか損傷もなく、避難民が江波から観音さらに西へと続々と渡って行った[3]。しかし同年9月、枕崎台風による水害により落橋してしまった[2]。この枕崎台風と同年10月の阿久根台風による水害により、天満川に架かる橋は最上流の横川橋を残してすべて落橋してしまう[3]。
このため早期に復旧工事が決まり1947年(昭和22年)起工、1951年(昭和26年)車道専用の鉄筋コンクリート桁橋として再架橋された。その後、天満川護岸整備および霞庚午線整備にともない1979年(昭和54年)、上流側は広島市、下流側は建設省中国地方建設局により、2橋からなる現在のものに架け替えられている。
