栄橋 (広島市)
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| 栄橋 | |
|---|---|
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真ん中3本は建設当初からの橋脚 外側2本は歩道設置時に追加された橋脚 | |
| 基本情報 | |
| 国 |
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| 所在地 | 広島県広島市 |
| 交差物件 | 太田川水系京橋川 |
| 建設 |
1906年 1930年 RC橋 1971年 鋼橋による歩道拡幅 |
| 座標 |
左岸:南区大須賀町、右岸:中区上幟町 北緯34度23分54秒 東経132度28分15秒 / 北緯34.39833度 東経132.47083度座標: 北緯34度23分54秒 東経132度28分15秒 / 北緯34.39833度 東経132.47083度 |
| 構造諸元 | |
| 形式 |
車道:RC3径間連続T桁、RC2径間連続T桁、RC3径間連続T桁(計8径間) 歩道:鋼8径間単純H桁 |
| 材料 |
上部工:車道 RC橋、歩道 鋼橋 下部工:RC構造一部鋼構造 基礎工 |
| 全長 | 87.22m |
| 幅 | 7.2m |
| 最大支間長 | 10.95m |
| 関連項目 | |
| 橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 | |
諸元
- 路線名 : 広島市道南1区6号線
- 橋長 : 87.22m
- 幅員 : 7.2m
- 上部工
- 車道 : RC3径間連続T桁、RC2径間連続T桁、RC3径間連続T桁(計8径間)
- 歩道 : 鋼8径間単純H桁
- 下部工 : RC?式橋台2基、RC(一部鋼管)多柱式橋脚7基
- 基礎工 : ?
歴史
藩政時代、ここは大須賀渡しといわれた渡し場であった。明治初期、広島駅から広島城鎮台を結ぶ道は猿猴橋から京橋を渡る西国街道筋しかなかった。1906年(明治39年)3月に熊谷栄次郎が木橋を架橋。橋名は、この人の名から一字をとったものである。大正の終わり頃(1920年代半ば)学童の水泳大会が行われ活況を呈し[1]、栄橋は広島競泳発祥の地ともいわれる[1]。1928年(昭和3年)6月暴風雨により隣の水管橋と共に被害を受け落橋したため、1930年(昭和5年)10月に鉄筋コンクリート橋に再架橋された。
1945年(昭和20年)8月6日、原爆被災(爆心地より約1.51km)。たもとにあった電話ボックスや橋の欄干は吹き飛んだが、爆風方向に架かっていたため落橋はせず、被害は少なかった。隣の水管橋も被爆に耐えた。そのため、広島市内から当時救護所に指定されていた東練兵場(現在の東区光町・若草町一帯)への避難経路として使われた(原民喜の小説「夏の花」には被爆当時の橋についての描写がある)。橋の上は、イワシをならべたように死人や重傷者が倒れていた。当時は東詰の北側から、南西方向に宮島がハッキリと見えたという。
戦後補修され現在も使用されている。1971年(昭和46年)に歩道拡幅工事を行い、建設当時の石製欄干から現在の鋼製のものに換えられている。