万代橋 (広島市)
From Wikipedia, the free encyclopedia
| 万代橋 | |
|---|---|
|
| |
| 基本情報 | |
| 国 |
|
| 所在地 | 広島県広島市中区大手町 - 加古町 |
| 交差物件 | 元安川[1] |
| 用途 | 道路橋 |
| 路線名 | 広島市道中1区278号線 |
| 管理者 | 広島市 |
| 施工者 | 三菱重工業 |
| 竣工 | 1980年(昭和55年) |
| 座標 | 北緯34度23分15.0秒 東経132度27分2.2秒 / 北緯34.387500度 東経132.450611度 |
| 構造諸元 | |
| 形式 | 連続鈑桁橋 |
| 材料 | 鋼 |
| 全長 | 94 m |
| 幅 | 16 m |
| 最大支間長 | 38.0 m |
| 関連項目 | |
| 橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 | |

| 画像外部リンク | |
|---|---|
| 被爆後の影の跡 | |
|
|
概要
歴史
1878年(明治11年)木橋[1]として架橋されたものが初代の萬代橋である。1916年(大正5年)、ドイツ人技師の設計により当時水主町(現・加古町)に所在していた県庁の西詰に鋼鈑桁橋として架け替えられ、「県庁橋」とも呼ばれた。
1945年(昭和20年)8月6日の原爆被災時には爆心地から890 mの距離に位置しており[3]、原爆の熱線でこの橋を渡っていた人と荷車の影がアスファルトの路面に焼き付けられたことが記録写真などにより知られている[4][5][6][1]。しかし欄干が吹き抜けになっていたことで橋自体は倒壊せず、熱線で焼き付けられた欄干の影などから地上から上空の原爆爆発点までの距離(580 - 600 m)が算出された。
被爆した橋は戦後も長く使用され、1971年(昭和46年)には側歩道橋が架設された[1]が、1980年(昭和55年)になって現在の橋に架け替えられ、付近に旧橋の親柱が保存されている。
- 1880年ごろ作成の広島市地図。最も下にある長い橋が萬代橋。
- 1930年ごろの広島市。元安川最下流から2つ目の橋が萬代橋。
- 原爆投下前の市中央部。同心円の中心が爆心地。最も右側の川の下から2つ目が萬代橋。
原爆記録画運動と萬代橋
1974年(昭和49年)、土橋町[7]に住むある老人がNHK中国本部(現在のNHK広島放送局)に1枚の絵を持参してきた[8]。それは老人が当時視聴していたTVドラマ「鳩子の海」の内容に刺激を受け、被爆直後の萬代橋付近の惨状を描いたものであった。同年6月NHKがこの絵をもとに「届けられた一枚の絵」というテーマで番組を放送すると、それをきっかけに市民が続々と同局に記録画を寄せるようになり、8月6日には1,000点近くに達した[8]原爆記録画が平和記念館(現在の広島平和記念資料館東館)で展示された。これが現在も続く市民による原爆記録画運動(「市民の手で原爆の絵を」)の始まりとなった。
→「原爆の絵運動 § 運動の経緯」も参照
