明治橋 (広島市)
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諸元
歴史
藩政時代、防衛のため城下には架橋規制が引かれており、この川にはかなり上流にある元安橋のみ架かる状況であった。
明治時代になって規制は解かれ1886年(明治19年)、この地域に住む人によって木橋が架けられた。当時は渡るときに金を徴収したそうである。その後水害により流出したため、1928年(昭和3年)に鉄筋コンクリート桁橋に架け替えられた。
1945年(昭和20年)8月6日、原爆被災。爆心地から1.29kmに位置し、爆風により石造の点灯装置が移動した程度で落橋はしなかったため、多くの避難者が渡り西方面へ避難した。たもとには暁部隊による臨時の救護所が設けられ、多くの重傷者が一時運び込まれ、ここの船着場から宇品や似島に運ばれた。数日後、元安川を流れる多数の死体がこの橋たもとで引き揚げられ、うず高く積み重ねられた状態で焼かれていった。だが、同年9月に上陸した枕崎台風により落橋してしまった。
戦後、国道2号筋の橋として1950年代に鋼鈑桁橋として再架橋、1966年(昭和41年)には上流側に新明治橋が架橋され国道2号がそちらへ移った。その後も長く使用されていたが、2006年(平成18年)に現在のものに架け替えている。

