本願
仏や菩薩が過去において一切の生あるものを救おうとして立てた誓願
From Wikipedia, the free encyclopedia
本願(ほんがん、梵: pūrva-praṇidhāna, プールヴァ・プラニダーナ)とは、仏教において、仏や菩薩が過去において立てた誓願を指す。宿願(しゅくがん)とも言う。菩薩としての修行中に立てたもので、たとえば阿弥陀仏ならば法蔵菩薩としての修行中に立てられたものを言う。
原語のうち「プールヴァ」(pūrva)は「以前の」「過去の」、「プラニダーナ」(praṇidhāna)とは「誓願」(せいがん)[注 1]。
原始経典では「天国に生れることを希願する」というように用いられる。仏教の場合は、絶対者などに対して祈るのではなく、自己への祈りであり、願いである。その意味で、「真実の祈誓」(sacca-kiriyā)であり、真実の実行を意味する。いわば、悟りを開き仏陀たらんとする願いとその実行をいう。
菩薩の誓願
「仏や菩薩が過去において一切の生あるものを救おうとして立てた誓願」の意味が、「プールヴァ・プラニダーナ」といわれる言葉の意味で、これが本願である。 この「本」に2つの意味がある。
- 「因」の意味。因位(仏になる前)に願を立て、それが果として成就したから、本願(もとの願)という。
- 「根本」の意味。悟りを完成する根本になる誓願の意味。
原語のうち「プールヴァ」は先述のように「以前の」ということであるから、初めの意味に近い。しかし、仏となるためには必ず願を起し、その願いの完成したことで仏と言い得るから、仏の根本は願にある。その点で「願」が成仏の根本だから、第二義が近い。仏のことをヴィパーカ・カーヤ(vipāka-kāya)と呼び、報身とするのはこの理由による。
総願
別願
発起人としての本願
日本においてかなり古くから、本願には、塔をつくり寺を建て法会を執行することを指している。「東大寺の本願」とか、「善光寺本願」などが、これである。