メジロロンザン
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| メジロロンザン | |||||||||
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1999年菊花賞出走時 | |||||||||
| 欧字表記 | Mejiro Ronzan[1] | ||||||||
| 品種 | サラブレッド[1] | ||||||||
| 性別 | 牡[1] | ||||||||
| 毛色 | 鹿毛[1] | ||||||||
| 生誕 | 1996年4月21日(30歳)[1] | ||||||||
| 抹消日 | 2005年10月13日 | ||||||||
| 父 | メジロライアン[1] | ||||||||
| 母 | メジロリスク[1] | ||||||||
| 母の父 | リーガルステップ[1] | ||||||||
| 生国 |
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| 生産者 | メジロ牧場[1] | ||||||||
| 馬主 | (有)メジロ牧場[1] | ||||||||
| 調教師 | 大久保洋吉 (美浦)[1] | ||||||||
| 競走成績 | |||||||||
| 生涯成績 |
52戦7勝[1] 平地:39戦4勝 障害:13戦3勝 | ||||||||
| 獲得賞金 | 2億5736万円[1] | ||||||||
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メジロロンザン(欧字名:Mejiro Ronzan、1996年4月21日 - )は、日本の競走馬[1]。主な勝ち鞍は2004年の東京ハイジャンプ、東京オータムジャンプ。
引退後
1999年1月30日の4歳新馬(東京芝1800m)でデビュー。好位から抜け出し、デビュー勝ちを収める。3か月後の新緑賞は7着。次走はプリンシパルステークスに挑戦し5着に敗れる。人気を背負って出走したほうせんか賞は4着。続くアマリリス賞は10着と惨敗する。次走、笹山特別を逃げ切り2勝目を挙げると、信濃川特別5着、九十九里特別3着と900万下でも健闘する。その後は菊花賞トライアルの京都新聞杯に出走し、13番人気ながら3着と好走し、優先出走権を獲得した。迎えた菊花賞は好位からレースを運び、勝ったナリタトップロードから0.4秒差の5着に入る。自己条件の美浦特別を1倍台の人気に応え勝利し、3勝目を飾った。
5歳になり、昇級戦の迎春ステークスは3着。その後は重賞に格上挑戦を続け、ダイヤモンドステークスは5着、阪神大賞典8着、愛知杯は4着とそれぞれ敗れる。降級戦、松前特別を接戦のなか勝利し、再び準オープンに昇級。格上挑戦の函館記念は最下位の16着と大敗したが、新潟記念は4着に入った。自己条件のオークランドレーシングクラブトロフィーで3着に入ると、続くオクトーバーステークスは2着と惜敗。ハンデ53㎏で挑んだアルゼンチン共和国杯はマチカネキンノホシに半馬身差の2着と奮闘し、オープン昇級を決めた。しかし、続くステイヤーズステークスは最下位の11着に終わる。
5歳になり、年明け3戦は二桁着順に終わる。愛知杯は馬券圏内の3着に入るも、その後は惨敗が目立った。2003年、7歳で出走した日経賞で4.2秒差の9着とブービーに敗れ、このレース後に障害競走へ転向する。
障害初戦、大江原隆とコンビを組んだ障害4歳以上未勝利は10着に終わり、次走も10着に敗れる。7か月後の障害3歳以上未勝利は7着と結果を出せなかったが、中1週で挑んだ障害3歳以上未勝利で2着に入る。年明けの次走は8.0秒差の11着と惨敗したが、江田勇亮に乗り替わった障害4歳以上未勝利を5馬身差をつけて逃げ切り障害初勝利を飾る。障害重賞初挑戦となった東京ハイジャンプは先手を取るとマイペースで進み、直線追いすがる後続に2馬身半の差をつけ逃げ切り勝ち。鞍上の江田とともに、重賞初制覇を飾る[2]。次走、トップハンデ62㎏で1番人気で挑んだ新潟ジャンプステークスは早々とバテてしまい、勝ち馬から10.7秒離れた最下位の14着と大敗。再び大江原に鞍上が戻った東京オータムジャンプは得意の逃げの手を打つと、最終コーナー手前でスパートをかけ、追い込むデモリションマンに1馬身1/4抑え快勝。レコードでの勝利で重賞2勝目を挙げる[3]。その後、イルミネーションジャンプステークスは最下位の13着に終わり、1着と最下位を繰り返した。
9歳初戦、春麗ジャンプステークスは11着。障害4歳以上OPは63㎏を背負い、5着に敗れる。連覇に挑んだ東京ハイジャンプは完走馬中最下位。勝ったエリモカントリーから18.4秒離されてのゴールとなった。その後、東京オータムジャンプを予定していたが、調教後に脚部不安を発症、2005年10月13日付けでJRA競走馬登録を抹消された[4]。
引退後は立教大学馬術部で乗馬となる。立教大学で約8年繋養された後、立教新座高校馬術部に移動される[5]。さらに2021年からはホーストラスト北海道で引退名馬として繋養されている[6]。