綿神社
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歴史
創建年は不詳。当社周辺は「綿神社」と称される遺跡があり、古墳時代から中世の須恵器が出土している。江戸期まで八幡宮と呼ばれ、春日井郡西志賀村の氏神であった。江戸前期成立の『寛文村々覚書』には「西志賀村...八幡宮」とある。近世には森家が神主を務めていた[1]。「天文十七年 政秀」と書かれた平手政秀が神田を寄進した際の古文書や慶長年間・寛永年間の棟札を所蔵していたという[1]。
『延喜式神名帳』に見える尾張国山田郡「綿神社」は、江戸前期の時点で所在が不明となっていた。綿神社は『尾張国内神名帳』に見える山田郡「和田天神」と同一である。天野信景は『本国神名帳集説』の中で「綿神社」を具体的な神社に比定していない。ところが、江戸後期には当社が綿神社とする説が定説となった。『特選神名牒』はその根拠として、当社所蔵の戦国期の鏡に「奉納綿神社 願主政秀」と書かれていることを挙げている。また、寛政4年(1792年)に当社の西から貝塚が発見されたため、「綿」を海神と関連視する説が広まった。津田正生は、本来の「綿神社」は当社ではなく、北区志賀町1丁目の八幡社に合祀されている児子社であるとする説を述べている。
1872年(明治5年)に当社が正式に式内社の「綿神社」に比定された。1970年(昭和45年)に社殿や境内の整備が行われた。