深川神社

From Wikipedia, the free encyclopedia

所在地 〒489-0076
愛知県瀬戸市深川町11
位置 北緯35度13分40.4秒 東経137度6分9.7秒 / 北緯35.227889度 東経137.102694度 / 35.227889; 137.102694座標: 北緯35度13分40.4秒 東経137度6分9.7秒 / 北緯35.227889度 東経137.102694度 / 35.227889; 137.102694
主祭神 天之忍穂耳尊
天之菩卑能命
天津日子根命
活津日市根命など
深川神社

拝殿
所在地 〒489-0076
愛知県瀬戸市深川町11
位置 北緯35度13分40.4秒 東経137度6分9.7秒 / 北緯35.227889度 東経137.102694度 / 35.227889; 137.102694座標: 北緯35度13分40.4秒 東経137度6分9.7秒 / 北緯35.227889度 東経137.102694度 / 35.227889; 137.102694
主祭神 天之忍穂耳尊
天之菩卑能命
天津日子根命
活津日市根命など
社格 従三位
式内社
県社
創建 (伝)宝亀2年(771年[1]
別名 八王子
八王子社
例祭 10月15日
地図
深川神社の位置(愛知県内)
深川神社
深川神社
テンプレートを表示

深川神社(ふかがわじんじゃ)は、愛知県瀬戸市深川町にある神社。『延喜式神名帳』の尾張国山田郡「深川神社」に比定されている式内社

江戸期まで八王子と称され、瀬戸村氏神であった。社伝によれば、771年天津神を勧請したことが創建という。境内には横穴式の円墳がある。天野信景により『延喜式神名帳』の山田郡「深川神社」に比定され、定説となっている。『尾張徇行記』によれば、当社の東に杁川という小川があり古くは「深川」と呼んでいたという。当社を深川神社に比定する説に異説はほとんどなく、津田正生などもこの説を支持している。神階について、『尾張国内神名帳』貞治本に「従三位上 深河天神」、元亀本に「従三位 深河天神」とある。

当社神宮寺にあった永享10年(1438年)銘の梵鐘に「尾張山田郡内瀬戸村 伊勢天照大神宮白山妙理讙眼 八王子鐘也...大檀那瑞龍集博」とあり、室町期には既に「八王子」と称していたらしい。織田信長が鷹狩の際に参拝した折、美濃の斎藤龍興の刺客に襲われそうになったが、宮司の機転で難を逃れ、その御礼に七十五石の供米を賜ったとされる。現存する最も古い棟札慶長元年(1596年)のもので、火事で焼失して現在地に再建された際のものであるという。この他に17世紀の棟札が複数残る。江戸前期成立の『寛文村々覚書』には「瀬戸村...八王子...前々除」とある。古くから二宮家が神官を務めており、『尾張徇行記』には「祠官二宮治部太夫」と記録されている。

鳥居は一の鳥居(参道入口)、二の鳥居(境内入口)、三の鳥居(拝殿前)の三基がある[1]。このうち一の鳥居は1915年大正4年)に建立され、倒壊の危険のため2000年平成12年)に撤去されたが、2014年(平成26年)に再建されることとなった[1]

境内が興行場所として用いられることもあった。1943年(昭和18年)2月28日には、石橋曲馬団の興行場が火災となり、観客5人が死亡、29人が重軽傷を負う事件も発生した[2]

文化財

重要文化財
  • 陶製狛犬[3] - 鎌倉時代の作。社伝では、瀬戸の陶祖・加藤景正(四郎左衛門、藤四郎)の手による、日本最古の陶製狛犬である。
瀬戸市有形文化財

祭事

  • 1月1日 - 元旦祭
  • 1月5日 - 初えびす祭
  • 2月3日 - 節分祭
  • 2月17日 - 祈年祭
  • 4月第3日曜日 - 陶祖祭
  • 6月30日 - 夏越大祓
  • 10月15日 - 例祭
  • 11月23日 - 新嘗祭
  • 12月31日 - 大祓

現地情報

所在地
交通アクセス

脚注

関連項目

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI