多奈波太神社
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| 多奈波太神社 | |
|---|---|
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鳥居と拝殿 | |
| 所在地 | 愛知県名古屋市北区金城四丁目13番16号 |
| 位置 | 北緯35度11分35.6秒 東経136度54分20.5秒 / 北緯35.193222度 東経136.905694度座標: 北緯35度11分35.6秒 東経136度54分20.5秒 / 北緯35.193222度 東経136.905694度 |
| 主祭神 | 天之棚機姫命 |
| 社格等 |
式内社 旧村社 7等級 |
| 創建 | 不明(17世紀以前) |
| 本殿の様式 | 流造 |
| 別名 |
天道 七夕の森 八幡社 |
| 例祭 | 8月7日 |
| 地図 | |
多奈波太神社(たなばたじんじゃ)は、愛知県名古屋市北区金城四丁目に鎮座する神社。『延喜式神名帳』の尾張国山田郡「多奈波太神社」に比定されている。
江戸期まで天道と称されていた。戦国期の織田信長による焼き討ちで社殿とともに伝書などを焼失したと伝わり、創建年は不詳である。江戸前期成立の『寛文村々覚書』には「田幡村...天道...備前検除」とある。名古屋城築城の際、替地によって現在地に遷座したとも伝わる。津田正生は、古くは「御深井の郭内」(現在の名城公園内か)という地にあったという説を述べている。現在の神社周辺には弥生土器が出土した七夕町遺跡がある。
江戸時代には名古屋東照宮の管理下に置かれ、寛永年間には尾張藩により新たに社殿が建てられた。旧暦七月七日の例祭には藩主が訪れ、一般民衆にも垣内参詣が許されたといい、当時の様子は『尾張名所図会』に描かれるなど、多くの記録が残る。
江戸期に『延喜式神名帳』の山田郡「多奈波太神社」に比定されて以降、定説となった。『尾張国内神名帳』では「従三位上 桁幡天神」としており、式内社の多奈波太神社は桁幡天神とも呼ばれたらしい。当社が多奈波太神社に比定された理由は、所在地が春日井郡田幡村であり村名と社名が類似していることによる。『張州府志』では多奈波太神社を小幡村の三社明神に比定しているが、『尾張志』をはじめ江戸後期の地誌は一致して当社を多奈波太神社としている。
明治時代になって近代社格制度が実施されると八幡社として村社となり、大正11年(1922年)には指定村社となった。第二次世界大戦の際には神社の敷地に高射砲陣地が置かれ、「七夕の森」と呼ばれた鎮守の森の多くが切り払われた。名古屋城天守閣が失われた昭和20年(1945年)5月14日の名古屋大空襲で社殿を焼失。現在の社殿は昭和39年(1964年)に再建されたものである。
祭神
境内社
- 金刀比羅社
- 八幡社
- 津島社
- 山神社
祭事
※ 毎月7日 - 月次祭
- 1月1日 - 元旦祭
- 1月14日 - 左義長祭
- 3月7日 - 祈念祭
- 7月7日 - 茅輪祭
- 8月7日 - 例大祭
- 10月7日 - 祈願祭
- 12月7日 - 新嘗祭
- 12月30日 - 大祓祭
