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藤木悠

日本の俳優(1931−2005) From Wikipedia, the free encyclopedia

藤木 悠(ふじき ゆう[出典 1]、(1931年[4]3月2日[出典 2] - 2005年[4]12月19日[5])は、日本の俳優。東京府[出典 3]荏原郡荏原町[注釈 1]出身の大阪府[3]大阪市西成区育ち。身長180センチメートル。血液型A型。趣味・特技はフェンシング。本名は鈴木 悠蔵。

本名 鈴木 悠蔵
生年月日 (1931-03-02) 1931年3月2日
没年月日 (2005-12-19) 2005年12月19日(74歳没)
概要 ふじき ゆう 藤木 悠, 本名 ...
ふじき ゆう
藤木 悠
藤木 悠
国際情報社『映画情報』第21巻2号(1956年)
本名 鈴木 悠蔵
生年月日 (1931-03-02) 1931年3月2日
没年月日 (2005-12-19) 2005年12月19日(74歳没)
出生地 日本の旗 日本 東京府荏原郡荏原町[注釈 1]
死没地 日本の旗 日本 東京都中央区
血液型 A型
職業 俳優
ジャンル 映画・テレビドラマ
活動期間 1954年 - 2005年
配偶者 あり
主な作品
映画

テレビドラマ
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生涯

大阪府立鳳高等学校、同志社大学文学部卒業[6]。大学在学中の1951年、全日本フェンシング選手権大会男子エペ個人優勝[6]。後に映画『リオの若大将』では出演すると共にフェンシングシーンの監修もおこなった。

1953年、東宝ニューフェイス第6期に合格[3][4]。同期に岡田眞澄・宝田明・佐原健二・河内桃子らがいた[3]。翌年の映画『魔子恐るべし』でデビュー[4]。二枚目半の役柄を得意とした[2]。『イカサマ紳士録』(1956年)の競馬予想屋役で注目され、「サラリーマンシリーズ」(1961年)で人気となり[4]、共演した高島忠夫とは親友だった[6]。ほかには『隠し砦の三悪人』(1958年)、『小早川家の秋』(1961年)や『キングコング対ゴジラ』(1962年)、テレビドラマ『青春とはなんだ』に出演し、1974年にフリー[6][4]。以後はテレビドラマを中心に活躍[1]。東宝作品では、冒頭の東宝マークの直後に藤木が登場することが多かったことから、藤木自身が東宝マークのようだと言われていたという[4]。

1972年に日本テレビと東宝が制作する『太陽にほえろ!』へ「長さん」の役でレギュラー出演を打診されたが、後述する東映ドラマとの出演契約を交わしており、石原裕次郎との共演機会を逸し生涯に渡って後悔したとTBSテレビ『テレビ探偵団』にて吐露した。藤木の発言に際し太陽にほえろ!のプロデューサーであった岡田晋吉は「 (長さんを演じた) 下川辰平さんの名前は初期の段階から出ており、藤木さんの勘違いではないか」と答えている。[要出典]

TBSドラマ『アイフル大作戦』では主人公役の小川真由美に振り回される刑事をコミカルに、『バーディー大作戦』と『Gメン'75』では叩き上げのベテラン刑事を演じた。千葉真一主演の時代劇『柳生あばれ旅』(1980年)では相棒役の桜木健一と毎話絶妙な掛け合いを演じ[6]、1980年代にフジテレビの『火曜ワイドスペシャル』で放送された『タケちゃんの思わず笑ってしまいました』では、刑事ドラマをパロディにした「太陽に叫べ!」でニンニク刑事役を演じた。

『Gメン'75』に出演していた頃「少し風邪を引いただけで弱気になってしまい、死ぬ・死ぬと連呼する」と雑誌にエピソードを紹介される[要文献特定詳細情報]ほどだった一方で、仕事が好調だったこともあって毎日暴飲暴食と痛飲を繰り返し「オレは不死身悠だ!」などと自分の名を洒落て豪語していた。しかしのちに糖尿病を発症。末梢神経障害で足の指先を少しではあるが切除することとなった。以後は妻の協力もあって健康に気を付けるようになり、自らの体験談から糖尿病に対する警告を促していた。

2005年12月19日午後7時55分、肺血栓塞栓症による多臓器不全により、74歳で死去[6]。この年公開された映画『北の零年』が遺作となった。

俳優の細川俊夫は義兄に当たる。

出演

映画

テレビドラマ

演劇

  • 花吹雪 かしまし一座

吹き替え

著書・その他

脚注

参考文献

外部リンク

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