鎌倉文士

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鎌倉文学館(神奈川県鎌倉市)

鎌倉文士(かまくらぶんし)は、神奈川県鎌倉市に住む(あるいは住んでいた)文学者の総称。

1880年(明治13年)11月、ドイツ人医学者のベルツが鎌倉・七里ヶ浜を最適の保養地と推奨した[1][2]1881年(明治14年)ごろから衛生局初代局長の長与専斎が七里ヶ浜を海水浴場の好適地として世に広め、海水浴場の開設に尽力した[3][4]1887年(明治20年)8月に西洋式保養施設「鎌倉海浜院」が開院し、1889年(明治22年)には湘南最初の純洋式ホテル「鎌倉海浜院ホテル」となった[5]

1889年(明治22年)6月に横須賀線が開通し、横浜まで1時間、新橋へも2時間弱となって、鎌倉は名所旧跡に囲まれた保養地・別荘地として脚光を浴びた[6]。別荘ブームが起きて「別荘族」が誕生し、1899年(明治32年)に鎌倉御用邸ができると別荘建築はピークを迎えた[7]1902年(明治35年)に開業した江ノ島電気鉄道の影響も大きかった[8]

静養や心の拠り所を求めて鎌倉に短期間在住した明治の作家には、泉鏡花島崎藤村夏目漱石国木田独歩高山樗牛らがいる[9]

1923年(大正12年)に関東大震災が発生し、鎌倉にも大きな被害があったが、壊滅状態となった東京に比べると被害が少なかった。鎌倉や埼玉県浦和市(現さいたま市浦和区南区周辺)に多くの文化人が居を移し、「鎌倉文士」「浦和画家」と呼ばれた[10]

大正期に鎌倉に移り住んだ作家には芥川龍之介葛西善蔵長与善郎大佛次郎久米正雄里見弴林不忘らがいる[11]

昭和期にかけて鎌倉に移り住んだ作家には小林秀雄林房雄大岡昇平川端康成島木健作などがおり、「鎌倉組」と呼ばれた[12]

鎌倉の作家たちで雑誌をつくることになり、小林秀雄、林房雄、川端康成、深田久弥らが1933年(昭和8年)に同人雑誌「文學界」を創刊した[13]。鎌倉文士が集まるきっかけとなり[13]、川端康成も東京から鎌倉に移って編集に関わった[14]。雑誌は評判になったが、資金難で1934年(昭和9年)に一度休刊し[13]、同年6月に野々上慶一が経営する文圃堂に版元を変えて復刊された[15]。時代の危機の中で、自由な言論の保持と未知の才能を発揮させる場としてつくられた「文學界」は、鎌倉文士たちの活動の原点となった[16]

1934年(昭和9年)、久米正雄の立案で鎌倉カーニバルが始まった[17][18]

1936年(昭和11年)11月、全国に先駆け鎌倉ペンクラブがつくられた[17]。会長は久米正雄、副会長は大佛次郎がつとめた[19]1937年(昭和12年)、東京朝日新聞神奈川版で鎌倉ペンクラブのメンバーを紹介する連載が始まり、久米正雄が「鎌倉文士あり」と記している[18][20]。それまで「文壇鎌倉組」「鎌倉組」といった呼び名はあったが、この久米の言葉が「鎌倉文士」の由来ではないかと富岡幸一郎は指摘している[20]

鎌倉カーニバルの開催や鎌倉ペンクラブの発足は、鎌倉文士の名を定着させるきっかけとなった[21]

1937年(昭和12年)、吉野秀雄と米川稔が鎌倉短歌会を結成した[22]

1938年(昭和13年)、鎌倉カーニバルは一時休止となった[18]。戦時体制により文芸雑誌が次々に休廃刊し、文士たちの生活は困窮した[18]。鎌倉文士の多くは疎開せず鎌倉にとどまり[23]1945年5月1日、川端康成や久米正雄、高見順や大佛次郎たちが貸本屋「鎌倉文庫」を興した[24]。自分たちの蔵書を持ち寄って有料で貸し出し[18]、貸本屋は繁盛したが、戦後の復興とともに2年あまりで閉店した[18]。鎌倉文庫は出版社へと発展したが、長続きしなかった[18]

1946年(昭和21年)5月、地元の学者や文化人のよびかけにより鎌倉大学校が開校した[25][26]。文学科、演劇科、産業科があり[26]、高見順、大佛次郎、吉野秀雄など鎌倉在住の文化人や学者らが教授や講師をつとめた[27]1948年(昭和23年)4月、小菅ケ谷に移転し「鎌倉アカデミア」となり[25]、映画科が設置された[26]。財政難などの理由により[26]、1950年9月に閉校した[28]

1947年(昭和22年)に再開した鎌倉カーニバルは、交通事情などを理由に1962年(昭和37年)に終了した[18]

鎌倉ペンクラブは形骸化のため1961年(昭和36年)3月に解散した[29]

1985年(昭和60年)10月、鎌倉文学館が開館し、永井龍男が初代館長をつとめた[25]

1983年(昭和58年)に里見弴、小林秀雄、1984年(昭和59年)に今日出海が亡くなり、最後の鎌倉文士と呼ばれた永井龍男は1990年(平成2年)に亡くなった[30]

2000年代に入り、柳美里高橋源一郎藤沢周らが移り住み、新鎌倉文士と称された[29]。戦後生まれの「カマクラ文士」との表現もある[31]

三木卓井上ひさしかまくら春秋社伊藤玄二郎らによって鎌倉ペンクラブが復活し[29]2001年(平成13年)10月に設立、初代会長に三木卓、副会長に井上ひさしと安西篤子が就任した[25]2004年(平成16年)には、鎌倉から新しい短歌を発信しようと「鎌倉歌壇」(尾崎左永子会長)が発足した[32]

鎌倉文士の一覧

一時居住者も含める。短期滞在者は割愛する。

あ行

か行

  • 海音寺潮五郎 - 1934年から1935年まで雪ノ下に居住[43]
  • 葛西善蔵 - 1919年から1923年まで山ノ内に居住[43]
  • 川上喜久子 - 病気療養のため浄明寺宅間ケ谷に家を借り、1932年に借りていた家の隣に家屋を手に入れ1985年に没するまで居住[44]
  • 川口松太郎 - 1934年から1935年まで二階堂に居住[45]
  • 川路柳虹 - 1930年から1931年にかけて材木座に居住[46]
  • 川端康成 - 1935年浄明寺宅間ヶ谷に転入、のち二階堂に転居、1946年から1972年に没するまで長谷に居住[43]。鎌倉市名誉市民[47]
  • 蒲原有明 - 1919年雪ノ下に転入、1920年二階堂に転居。1923年関東大震災に遭遇して静岡へ移る。1945年戦災に遭い二階堂の旧居に戻り、1952年に没するまで居住[43]
  • 菊岡久利 - 1947年佐助に転入。一時坂ノ下に移り、1954年から1970年に没するまで佐助に居住[43]
  • 北洋
  • 北畠八穂 - 1932年二階堂に転入、1948年から1982年に没するまで鎌倉山に居住[43]
  • 木下利玄 - 1919年大町に転入、1920年大町内で転居し1925年に没するまで居住[43]
  • 草鹿外吉 - 1928年鎌倉の浄明寺に生まれ、1952年までと1954年から1960年まで浄明寺に居住[48]
  • 草間時彦 - 1920年から1931年まで扇ガ谷に居住[43]
  • 草間時光 - 1920年から1931年まで寿福寺境内に、1953年から1959年に没するまで長谷に居住[49]
  • 国木田独歩 - 1902年2月から12月坂ノ下に居住[43]
  • 国木田虎雄 - 1902年に生まれてまもなく父母とともに鎌倉の坂ノ下に一時居住、1947年から極楽寺の境内に居住。1965年から1970年に没するまで岩瀬に居住[50]
  • 久能啓二
  • 久保田万太郎 - 1945年から1955年まで材木座に居住[43]
  • 久米正雄 - 1925年から御成町、雪ノ下に住み、1930年から1952年に没するまで二階堂に居住[43]
  • 胡桃沢耕史 - 1947年雪ノ下、1963年から1994年に没するまで二階堂に居住[43]
  • 黒沼健 - 1917年に由比ガ浜に転入し、由比ガ浜内で移転し、1985年に没するまで居住[51]
  • 小島政二郎 - 1930年から1938年まで由比ヶ浜、1944年大町・妙本寺境内に疎開、1947年から1964年雪ノ下、1964年から1994年に没するまで二階堂に住む[52]
  • 小杉天外 - 1932年、70歳のとき鎌倉雪ノ下に住居を新築し7月に移転[53]。1952年に没するまで居住[54]
  • 後藤宙外 - 1907年から1909年まで雪ノ下に居住[54]
  • 小林勇 - 1938年大町に転入、1941年から1981年に没するまで扇ガ谷に居住[43]
  • 小林秀雄 - 1926年長谷に住む。1931年から由比ガ浜、扇ガ谷、雪ノ下に移り住む[43]
  • 小牧近江 - 1925年から1978年に没するまで稲村ヶ崎に居住[43]
  • 今日出海 - 1931年から小町、雪ノ下に住む。一時東京に転出して再び雪ノ下に戻り、1951年から1984年に没するまで二階堂に居住[43]

さ行

  • 斎藤栄 - 1944年から1957年まで腰越に住み、1983年から1988年まで岡本に仕事場を持った[55]
  • 早乙女貢
  • 佐佐木信綱 - 1921年大町に別荘「溯川草堂」を設ける[56]
  • ささきふさ - 1926年坂ノ下に移り、1927年から1929年にかけて扇ガ谷の寿福寺に居住[57][58]
  • 佐佐木茂索 - 1927年から1929年にかけて寿福寺境内に居住[58]
  • 佐藤正彰 - 1934年から1975年に没するまで浄智寺近くに居住[57][59]
  • 里見弴 - 幼少期は由比ガ浜の父の別荘で過ごす。1924年から鎌倉の各所に住み、1953年から1983年に没するまで扇ガ谷に居住[56]
  • 志賀直哉 - 結婚した翌年の1915年に千度小路(現在の雪ノ下)に居住[60][61]
  • 四賀光子 - 1934年扇ガ谷に山荘を設け、1939年から1976年に没するまで居住[56]
  • 澁澤龍彦 - 1946年から小町に住み、1966年から1987年に没するまで山ノ内に居住[56]
  • 島木健作 - 1937年雪ノ下に転入、1939年から1945年に没するまで扇ガ谷に居住[56]
  • 清水基吉 - 1945年から扇が谷、1955年から腰越、1959年から大船に居住[62]
  • 神西清 - 1934年から1957年に没するまで二階堂に居住[56]
  • 菅忠雄 - 1931年から1942年に没するまで二階堂に居住[61]
  • 千家元麿 - 1922年から1923年にかけて蔵屋敷(現在の御成町)に居住[63]
  • 園池公致 - 1917年ごろから昭和初期まで大町に居住[64]

た行

  • 高木彬光 - 1975年から数年間腰越に仕事場を設けて居住[65]
  • 高橋和巳 - 1965年から1971年に没するまで二階堂に居住[66]
  • 高橋元吉 - 1958年療養のため長谷のホテルに逗留、1959年から1963年まで坂ノ下、材木座に居住[67]
  • 高浜虚子 - 1919年から由比ガ浜内で転居を重ね、1959年に没するまで居住[66]
  • 高浜年尾 - 1910年、鎌倉に居を構えた父・虚子とともに由比ガ浜に移り、1935年に兵庫県芦屋市に転出するまで居住[68]
  • 高見順 - 1943年から1965年に没するまで山ノ内に居住[66]
  • 高山樗牛 - 1901年から1902年に没するまで長谷に居住[66]
  • 竹山道雄 - 1944年扇ガ谷に転入、1949年から1984年に没するまで材木座に居住[66]
  • 立原正秋 - 1950年大町に転入、その後市内各所に住み1970年から1980年に没するまで梶原に居住[66]
  • 田中純 - 1920年に長谷に転入し、1924年から1935年ごろまで由比ガ浜に居住[69]
  • 田中英光 - 1920年に一家で稲村ヶ崎の姥ガ谷に転入、1930年東京に戻る[70]
  • 田村隆一 - 1970年材木座、1971年稲村ガ崎、1988年から1998年に没するまで二階堂に居住[66]
  • 津田信 - 1939年と1940年の夏に鎌倉山の親戚の家で転地療養、1955年から1975年まで腰越に居住[71]
  • 津村信夫 - 学生時代に転地療養のため坂ノ下に一時滞在、1941年建長寺塔頭禅居院内の家に移る。1943年には浄智寺近くに家を新築し1944年に没するまで居住[72][73]
  • 堂本正樹 - 小町
  • 土橋治重 - 1944年に転入し、戦後数年間材木座に住む[74]

な行

は行

  • 萩原朔太郎 - 1916年と1917年に坂ノ下の旅館に滞在、1925年から1926年材木座に居住[85]
  • 長谷川如是閑 - 1947年から1954年まで十二所に居住[86]
  • 花田清輝 - 戦争中から材木座に住み、1946年に東京へ移る[87]
  • 林房雄 - 1932年大町に転入。一時伊豆に移る。1936年から1975年に没するまで浄明寺に居住[85]
  • 林不忘 - 1926年材木座に住み、その後1935年に没するまで笹目、雪ノ下に移り住んだ[85]
  • 原奎一郎 - 1914年に養父・原敬の別荘のあった腰越に滞在、1921年から1983年に没するまで居住[88]
  • 氷川瓏
  • 久生十蘭 - 1947年から1957年に没するまで材木座に居住[85]
  • 日夏耿之介 - 療養のため1916年から1917年にかけて坂ノ下に住む[89]
  • 秘田余四郎 - 1945年雪ノ下に転入、その後小町、由比ヶ浜と住む[90]
  • 広津和郎 - 1916年に坂ノ下に転入、その後も居を変え、1919年から1923頃までは小町と東京を往き来した[85]
  • 広津柳浪 - 1916年から1917年にかけて息子の和郎と共に坂ノ下「星ノ井」前に住む[91]。その後大町へ移る[92]
  • 深田久弥 - 1932年から1946年まで二階堂に居住[85]
  • 舟橋聖一 - 1909年から1912年まで腰越にあった母方の実家の別荘に仮寓[93]
  • 北条秀司 - 1949年山崎に転入、1954年から1996年に没するまで岡本に居住[85]
  • 保坂和志 - 1959年、3歳の終わりから長谷で育ち、就職後1984年に鎌倉を出る[94]
  • 星野立子 - 1910年から由比ガ浜に住み、1925年に結婚後は東京で暮し、1931年から由比ガ浜、1941年から1984年に没するまで笹目町に居住[85]
  • 星野椿 - 1931年から由比ヶ浜に居住、1941年笹目町に転居。1982年から二階堂に居住[95]
  • 星野天知 - 1892年雪ノ下に滞在、1893年笹目に別荘を設け1923年まで過ごす[96]
  • 堀口大學 - 1932年夏、長谷に住む。由比ガ浜の父の別荘にもたびたび滞在した[85]
  • 堀辰雄 - 1939年から1940年小町に居住[92]

ま行

  • 牧逸馬
  • 真杉静枝 - 1943年に極楽寺に転入、1946年から1950年にも極楽寺に居住[97]
  • 松田瓊子 - 1929年から1932年まで稲村ガ崎に父・野村胡堂や家族と共に住む。1934年から1935年にかけて療養生活を送る[98]
  • 松本たかし - 1925年に療養のため鎌倉を訪れる。1926年から1945年まで浄明寺に居住[97]
  • 真船豊 - 1945年から1958年まで山ノ内に居住[97]
  • 美川きよ - 1945年の終戦前の数ヶ月を雪ノ下で過ごす[99]
  • 三木卓 - 1977年から岡本に居住、雪ノ下に仕事場をもつ[100]
  • 宮内寒弥 - 1965年から1977年まで腰越に住む[101]
  • 宮原晃一郎 - 転地療養のため1929年から1932年にかけて扇ガ谷に居住[102]
  • 三好達治 - 1938年から1939年、稲村ガ崎に居住[97]
  • 村松梢風 - 1947年頃から1961年に没するまで西御門に居住[97]
  • 村山籌子 - 夫の知義と共に1945年から1946年に没するまで長谷の大仏近くに居住[103]
  • 村山知義 - 1945年から1949年まで長谷に居住[97]
  • 籾山梓月 - 1922年から1958年に没するまで扇ヶ谷の寿福寺境内に居住[49]
  • 森田草平 - 1927年に材木座に転入、1929年から1932年にかけて由比ガ浜に居住[104]
  • 森田たま - 1944年から1952年まで鎌倉山に居住[97]

や行

  • 山内義雄 - 1924年長谷に転入、1928年から1935年まで笛田に居住[105]
  • 山口瞳 - 1945年から1948年まで長谷の川端康成邸の隣に居住[106]
  • 山崎斌 - 1950年雪ノ下に転入 1951年から1954年まで二階堂に住み、その後浄明寺、極楽寺と移る[107]
  • 山崎栄治 - 1959年、鎌倉の台に転入、1969年から1991年に没するまで山ノ内に居住[108]
  • 山崎方代 - 1972年から1985年に没するまで手広に居住[106]
  • 山本周五郎 - 1930年から1931年にかけて腰越に住み、新婚時代を過ごす[109]
  • 山本道子 - 1973年七里ガ浜に居住、1978年からの滞米と東京転出を経て1985年から再び居住[110]
  • 横溝正史 - 1928年夏、家族とともに材木座に避暑に来て、そのまま数年過ごす[111]
  • 吉井勇 - 幼少期を材木座の父の別荘で過ごす。1905年の転地療養を含め、坂ノ下、長谷など鎌倉に数回仮寓[106]
  • 吉江喬松 - 1926年から1930年ごろまで長谷の大仏近くに居住[112]
  • 吉田健一 - 1946年に二階堂、1947年から1953年まで西御門に居住[113]
  • 吉田秀和 - 1972年から雪ノ下に居住[114]
  • 吉野賛十
  • 吉野秀雄 - 1925年七里ガ浜に転地療養、長谷の借家に移り1926年まで居住。1929年にも滞在し、1931年から1967年に没するまで小町に居住[106]
  • 吉屋信子 - 1944年から長谷の別荘に疎開。1950年に東京に移り、1962年から1973年に没するまで長谷に居住[106]

新鎌倉文士の一覧

平成以降に鎌倉に移住した文学者。一時居住者も含める。

展覧会

  • 「神奈川文学散歩展 鎌倉 文学の理想郷(アルカディア)」 - 神奈川近代文学館 1995年10月21日から11月26日まで[125]
  • 「文学都市かまくら100人展」 - 鎌倉文学館 2005年10月1日から[126]12月18日まで
  • 特別展「カマクラから創る 藤沢周・城戸朱理・柳美里・大道珠貴」 鎌倉文学館 2012年4月28日から7月8日まで[127][128]
  • 「鎌倉文士 前夜とその時代」展 - 鎌倉文学館 2015年10月7日から12月13日まで[129]

関連項目

参考文献

出典

外部リンク

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