北野駅 (大阪府)

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北野駅(きたのえき)は大阪府大阪市において、かつて京阪神急行電鉄(後の阪急電鉄)および阪神電気鉄道に存在した電車停留場

箕面有馬電軌 北野停留場
きたの
Kitano
梅田 (1.02 km)
(0.66 km) 新淀川
所属事業者 箕面有馬電軌
所属路線 宝塚本線北野線
キロ程 1.02 km(梅田駅起点)
駅構造 地上駅
開業年月日 1910年明治43年)3月10日
廃止年月日 1949年昭和24年)1月1日
備考 隣接駅およびキロ程は移転前の情報、地図上の位置は大阪市大地圖(1925)による[1]
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1910年明治43年)3月10日箕面有馬電気軌道(箕有電車、のちの阪急)によって梅田停留場から1025.9メートル(51チェーン)、次駅の新淀川停留所から約664メートル(33チェーン余)の位置[2]に開設された。

箕有電車は1918年(大正7年)に阪神急行電鉄と社名を改め、1920年(大正9年)7月16日に神戸線を敷設するが、神戸線の電車は当駅と新淀川駅を通過していた[3]

1926年(大正15年)7月5日には神戸線と宝塚線を分離し、かつ併用軌道を廃止するために梅田駅から新淀川駅の間を高架化する。その際、当駅から新淀川駅までの区間は廃止されたが、梅田駅から北野駅までの地上併用軌道区間については、北野線と改称した上で神戸線・宝塚線とは別の路線として存続した。

その結果、北野駅は北野線の終端として機能することになった。なお、北野線となった際、平面交差を解消するためもあり、駅は阪神北大阪線の北側から南側(梅田寄り)に移転している。

1949年(昭和24年)1月1日に北野線の休止によって駅も休止され、事実上の廃止となる。

歴史

  • 1910年明治43年)3月10日:箕面有馬電気軌道開業により開設。
  • 1918年大正7年)2月4日:箕面有馬電気軌道、阪神急行電鉄と社名を改称[4]
  • 1919年(大正8年)7月:乗車券発売所を設置(従前は車内乗車券を購入)[5]
  • 1920年(大正9年)7月16日:神戸線(梅田 - 上筒井間)開業、同線の列車は通過[3]
  • 1925年(大正14年)
    • 1月:高架線複々線工事を起工[6]
    • 2月:工事に伴い梅田貨物取扱所を北野停留所へ臨時移転[6]
  • 1926年(大正15年)7月5日:高架線完成、併用軌道区間を北野線と改称し、駅位置を移動。
  • 1949年(昭和24年)1月1日:北野線の休止により事実上の廃止。

隣の駅

宝塚線・神戸線時代

中津 - 北野 - 梅田
・中津駅が開設される1925年(大正14年)11月4日までは新淀川駅が隣接、新淀川駅は1926年(大正15年)7月2日に廃止。

北野線時代

北野 - 茶屋町

阪神電鉄 北野停留場

阪神電鉄 北野停留場
きたの
Kitano
中津
南浜
所属事業者 阪神電気鉄道
所属路線 阪神北大阪線
キロ程野田起点)
駅構造 地上駅(路上安全地帯なし)
開業年月日 1914年大正3年)8月19日
廃止年月日 1975年昭和50年)5月6日
備考 地図上の位置は大阪市大地圖(1925)による[1]
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阪神電鉄の北野停留所は北大阪線野田 - 天神橋筋六丁目間)が開通した1914年大正3年)8月19日[7]に設けられた。

すでに開業していた箕有電車線との乗換駅で、箕有電車線とは六斎橋で平面交差[8]していた。阪神電鉄は乗り換えの便宜を図って阪急(梅田・十三間)と阪神北大阪線(天神筋橋六丁目・野田・淀川・梅田間)の連絡切符を発売している[8]

1928年(昭和3年)10月23日には鉄道省大阪駅の改良(客貨分離による梅田貨物線の建設)に合わせて下三番 - 北野間が新線に付け替えられ[7]、貨物線を高架で乗り越すようになった[9]

阪急北野駅が廃止された後も、当駅は1975年昭和50年)5月6日の廃線時まで残った。廃止時の駅位置は現在の阪神バス北野停留所、阪急茶屋町ビルディング前付近にあたる。

隣の駅

北大阪線

中津 - 北野 - 南浜

新線への付け替え前(1925年時点[1])は

中学校 - 北野 - 女学校前

脚注

参考文献

関連項目

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