子供の頃に寺に入り、暫く修行した後に曹渓(広東省韶関市曲江区)の慧能を尋ねて師事した。
その後、故郷に帰って青原山に浄居寺(江西省吉安市青原区)を開いて布教した。
『宋高僧伝』では、大師号を、弘済大師[注釈 1]としている。髪塔は帰真塔といい、会昌の廃仏時に廃毀されたが、後に法嗣の者が重建したとする。
後に弟弟子に当たる石頭希遷が慧能の死後に、第一座の勧めで来訪して弟子となり、その法を発展させ、その弟子筋からは、曹洞宗、雲門宗、法眼宗の三派が発し、臨済宗、潙仰宗を派出した同じ慧能門下の南嶽懐譲と共に、後世、禅の二大祖師として並び称されるようになった。