額田女王
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645年の乙巳の変(大化の改新)後の激動の時代に生きた宮廷歌人・額田女王の生涯を著者独自の解釈で描いた歴史小説。額田女王は、天智天皇(中大兄皇子)・天武天皇(大海人皇子)両天皇から愛され、斉明天皇他に仕えた采女(うねめ)的歌人として描かれる。
乙巳の変後、蝦夷征伐、朝鮮半島への出兵(白村江の戦い)、壬申の乱と続く、戦乱の時代に、額田女王は天皇近く朝廷に仕えた。
孝徳天皇、斉明天皇、天智天皇、大友皇子、天武天皇の時代である。宮は、飛鳥板蓋宮(皇極天皇)から、乙巳の変後、難波長柄豊碕宮(孝徳天皇)へと遷されるが、孝徳天皇死後、斉明天皇のもとで飛鳥板蓋宮・飛鳥川原宮・飛鳥岡本宮と遷り、朝鮮半島への出兵のため筑紫朝倉宮へとさらに遷る。白村江の戦いに敗北した後、後の天智天皇は、宮を琵琶湖畔の近江大津宮へ遷した。壬申の乱終結後、天武天皇は、大津から飛鳥浄御原宮へ遷宮した。額田女王は天皇に従い、飛鳥・難波・筑紫・近江と各地を転々とする。
作中の歌
熟田津の歌
朝鮮半島への出兵のため、筑紫に移動する途上、熟田津(にきたつ、現在の愛媛県松山市の道後温泉付近)に停泊していた時の歌。
額田女王
熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今はこぎ出でな
(作中での解釈:熟田津に出動の時を待っていたが、明るい月も出た。潮の加減も申し分ない。さあ、全船団よ、今こそ漕ぎ出せ。)
蒲生野の歌
額田女王
茜さす 紫野行き しめ野行き 野守は見ずや 君が袖振る
(作中での解釈:茜の匂うような紫野を行き、しめ野を行きました。そしたらあの方が遠くで袖をお振りになりました。森番が見ていないかと心配でした。でも、こんなことを申し上げるわたくしの気持ちはお判りでございましょう。)
大海人皇子
紫草(むらさき)の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに 吾(われ)恋ひめやも
(作中での解釈:紫草からとれる美しい紫色のように、匂うような君を憎く思っていたら、人妻でもあるのだから、どうして恋い慕いましょう。憎くないからこそ、人妻であろうとなかろうと、そんなことにお構いなく、このように恋しているのです。)