ノニト・ドネア

フィリピンのプロボクサー From Wikipedia, the free encyclopedia

ノニト・ドネアNonito Donaire1982年11月16日 - )は、フィリピンプロボクサーボホール州タリボン出身。元IBF世界フライ級王者。元WBA世界スーパーフライ級暫定王者。元・WBCWBO世界バンタム級王者。元WBAスーパー世界バンタム級王者。元IBF・WBO世界スーパーバンタム級統一王者。元WBA世界フェザー級スーパー王者。世界5階級制覇王者[3]

本名 ノニト・ゴンザレス・ドネア・ジュニア
通称 The Filipino Flash(フィリピンの閃光[1]
身長 170cm[2]
概要 基本情報, 本名 ...
ノニト・ドネア
2011年10月、保持していたWBC・WBOのバンタム級ベルトとともに
基本情報
本名 ノニト・ゴンザレス・ドネア・ジュニア
通称 The Filipino Flash(フィリピンの閃光[1]
階級 バンタム級
身長 170cm[2]
リーチ 174cm[2]
国籍 フィリピンの旗 フィリピン
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
誕生日 (1982-11-16) 1982年11月16日(43歳)
出身地 ボホール州タリボン
家族 グレン・ドネア(兄)
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 53
勝ち 43
KO勝ち 28
敗け 10
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アジア人として初めて主要4団体(WBA・WBC・IBF・WBO)全てで世界王者となった人物。ドネアは英語読みで、生地・フィリピンでは彼の苗字をラテン系言語式に「ドナイレ」と読む場合がほとんどである。兄はグレン・ドネア

人物

フィリピン生まれのフィリピン人であるが、11歳の時にフィリピンからアメリカカリフォルニア州へ移住しており、アマチュアボクシングの経歴もアメリカ籍で活躍した。'The Filipino Flash'(フィリピンの閃光)のニックネームを持つ。ドーピング検査団体に自主的に要請して通常より厳しいドーピング検査を受けている。大の親日家であり、試合の入場の際には自身のニックネームであるフラッシュを和訳した「閃光」と書かれた鉢巻きを着けているほか、プライベートでもたびたび来日している(エピソード を参照)。

トレーナーには、プロデビュー前から父親のノニト・ドネア・シニアがついていた、しかし2008年ごろからドネアの妻であるレイチェルの発言力がチーム内で増してくると、ドネア・シニアとレイチェルに意見の食い違いが見られるようになり、マスコミを通しての言い合いにまでに発展しドネア・シニアがチームを離れてしまう[4]。その後、ドディ・ボーイ・ペニャロサを経て2009年後半からロベルト・ガルシアがトレーナーについていたが、レイチェルとドネア・シニアが和解したことで2013年11月のビック・ダルチニアン戦からドネア・シニアがヘッドトレーナーとして復帰した[5]。レイチェルは現在もトップとしてチームを取り仕切っており、レイチェルの父親がドネアのセキュリティを担当、親類がサポートグループのリーダーを務めるなどしている[6][7][8]

選手としての特徴

強烈な左フックと一瞬で距離を詰めるスピードとチャンスでの思い切りのよさが武器の強打のスイッチヒッター。基本的にオーソドックスではあるが、サウスポーで戦うこともできる柔軟性を持っている。「軽量級離れした攻撃力」を武器に対戦相手を飲み込んでしまう圧倒的な強さが魅力であるが、KOを狙うあまり手数が少ない待ちのボクシングをすることがある。

来歴

1982年11月16日、フィリピンのボホール州タリボンでフィリピン人の両親の間に4人兄弟の3男として生まれ、ジェネラル・サントスで育つ[9]。父親のノニト・ドネア・シニアは8年間フィリピン軍で勤めた後(軍勤務時代にアマチュアボクシングを経験)、1990年に家族を残して1人でアメリカへ渡る[9]。その1年後に母親が一番下の兄弟を連れてアメリカへ渡り、さらに1年後ドネアが11歳の時にドネアを含めた残り3人の兄弟がアメリカへ渡った[9]。渡米後、気が弱く喘息持ちで病弱であったことで周囲からいじめを受け、学校から泣いて家に帰ることも度々あった[6]。ドネアはこの時期に生きている価値や理由がわからなくなり自殺を考えたと後に振り返っている[6]。いじめられたことをきっかけに自衛の為と兄グレンの影響でボクシングを始める。当時よく兄とのスパーリングで鼻血を出してしまい泣かされていた[9]

アマチュア時代

15歳でナショナルシルバーグローブ優勝、16歳で後にミドル級世界ランカーとなるジェームス・カークランドに勝ってナショナルジュニアオリンピックで優勝を収め[10]、17歳でUSAナショナルトーナメント優勝。2000年シドニーオリンピック国内予選選考会では兄と共にライトフライ級に出場するが、共にブライアン・ビロリアに敗れオリンピックアメリカ代表の座は獲得できなかった[11][9]。その後、北ミシガン大学から奨学金つきのボクシング推薦入学の誘いを受けるが、誘いを断ってプロへ転向した[9]。アマチュアの戦績は68勝8敗。

プロ時代

フライ級
2007年7月、IBF・IBOのフライ級ベルトを獲得したリングで

2001年に階級をフライ級に上げてプロへ転向する。デビュー戦は2月22日に初回KO勝利で飾るも、3月10日に行われた第2戦では2階級上のバンタム級を主戦場にしていたロセンド・サンチェスと対戦し、5回判定負けを喫した。その後は勝利を重ね、2002年9月1日には空位のWBOアジア太平洋フライ級王座を獲得。その後2006年1月20日にはNABF北米スーパーフライ級王座を獲得した。

2007年7月7日、アメリカ・ブリッジポートIBFIBO世界フライ級王者ビック・ダルチニアンと対戦。フライ級で世界最強との呼び声が高かったダルチニアンの7対1で圧倒的有利が予想されていたが、5回、強烈なカウンターの左フックで王者がダウン。立ち上がったもののふらつき、ロープ際に向かって倒れ込んだためダルチニアンのセコンドがダルチニアンのもとに駆け寄りストップを要請しレフェリーストップ。5回1分38秒TKO勝利で王座を獲得した。この試合は2007年度のリングマガジン ノックアウト・オブ・ザ・イヤーアップセット・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。

この頃から、当時のドネアの彼女(現在はドネアと結婚)であったレイチェル・マルシャルがドネアのトレーニングやビジネスに口を挟むようになり、ドネアのトレーナーとマネージャーを務めていたドネア・シニアと折り合いが悪くなる[9]。2008年8月8日にドネアとレイチェルは結婚式を挙げるがドネア・シニアは結婚式を欠席し、その後ドネアと完全に袂を分かつことになった[9]

2008年6月下旬、契約通りにファイトマネーの支払いと試合が行われなかったとしてプロモーターのゲイリー・ショーと決別。決別から数日後にトップランクと契約した[12]

2009年4月19日、フィリピンでラウル・マルチネスと対戦し、4回4分19秒TKO勝ちを収め3度目の防衛に成功した。トレーナーであったドネア・シニアが抜けた穴を埋めるため、この試合からドディ・ボーイ・ペニャロサとジョナサン・ペニャロサをトレーナーとして迎え、新チームとしての船出であった[9]。その後、IBF・IBO王座は返上した。

スーパーフライ級

2009年8月15日、アメリカ・ラスベガスハードロック・ホテル&カジノザ・ジョイントで1階級上のWBA世界バンタム級13位のラファエル・コンセプションWBA世界スーパーフライ級暫定王座決定戦を行い、12回3-0(117-111、116-112、115-113)の判定勝利を収め王座獲得に成功した。コンセプシオンは前日計量で4ポンド12体重超過で失格となり、ドネアが勝ったときのみ王座獲得という条件で試合は行われ、2階級を制覇した[13]

2009年後半、トレーナーをロベルト・ガルシアに変更する[14]

2010年2月13日、ラスベガスのラスベガス・ヒルトンにてマヌエル・バルガスとノンタイトル戦を行い、3回1分33秒KO勝ちを収めた[15]。ドネアは元々、サーシャ・バクティンと対戦経験がある北米ボクシング連盟スーパーフライ級チャンピオンのガーソン・ゲレロと初防衛戦を行う予定だったが、ゲレロが試合3日前の検診で目に異常が見つかり試合に出られなくなったことから、代わりの選手を捜すことになった。しかし試合の3日前だったことで対戦相手が見つからず、ようやく見つかった相手が3階級下となるミニマム級のマヌエル・バルガスであった。バルガスは当然WBAの世界ランキング入りしていなかったことで試合はノンタイトル戦で行われた[16][17]。試合後のドーピング検査でバルガスからヒドロコドンが検出され無期限出場停止処分が科せられた。

2010年7月10日、プエルトリコサンフアンにて、ファン・マヌエル・ロペス対バナーベ・コンセプションの前座で1階級下のWBA世界フライ級14位のエルナン・マルケスと対戦し、最初の4回をサウスポーで戦い5回以降はオーソドックスで戦うという戦法を取り、5回にダウンを奪った後に8回にもアッパーでダウンを奪いそのまま2分59秒TKO勝ちを収め、初防衛に成功した[18]

2010年10月15日、ドネアはWBA世界スーパーフライ級暫定王座を返上した。

バンタム級

2010年12月4日、アナハイムホンダ・センターにて元WBA世界バンタム級王者ウラジミール・シドレンコWBCアメリカ大陸バンタム級王座決定戦を行い、今までKO負けの経験がなかったシドレンコを相手に、1・3・4回にダウンを奪った末に出血の酷いシドレンコを見たレフェリーがカウントを途中でストップし、4回1分48秒KO勝ちを収め王座を獲得した[19]

2011年2月19日、ラスベガスのマンダレイベイ・イベントセンターでWBC・WBO世界バンタム級統一王者フェルナンド・モンティエルと対戦し、2回に強烈なカウンターの左フックでダウンを奪い、両足が痙攣しながらも立ち上がった王者に再度左フックを決めたところでレフェリーストップ。2回2分25秒TKO勝ちで両王座の獲得に成功。3階級制覇を達成した[20]
この試合は、同年のリングマガジン ノックアウト・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。通算2度の同賞受賞は、レノックス・ルイス以来2人目である。翌年にはWBC年間KO賞に選出された[21]

バンタム級時代は計量後のリバウンドの幅を相手のタイプによって変え、シドレンコとの試合までには17ポンド(約7.7キログラム)戻したが、モンティエルの試合までには7ポンド(約3.2キログラム)戻したのみで、それぞれシドレンコのパワー、モンティエルのスピードに対応していた。WBC・WBO世界バンタム級統一王者時代のインタビューでは、過去に20ポンド(約9キログラム)戻したこともあったと話している[22][23]

2011年10月22日、ニューヨーク州フールー・シアターにて1階級下となるWBO世界スーパーフライ級王者オマール・ナルバエスと対戦し、ダウンこそ奪えなかったものの、無敗の2階級王者を終始圧倒し、12回3-0(120-108×3)の判定勝ちを収め両王座の初防衛に成功した[24]

その後、両王座を返上しスーパーバンタム級に転向。WBC世界スーパーバンタム級王者西岡利晃帝拳)への挑戦を視野に入れており、西岡本人もドネアとの対戦を熱望していたが、西岡が所属する帝拳ジム側が西岡をしばらく休養させて次戦を引退試合として2012年6月以降にドネアと対戦させたい、という意向を当初から表明していたため、この時点で西岡との対戦は実現しなかった。

スーパーバンタム級
ドネアとアキノ大統領(右) 2012年

2012年2月4日、テキサス州サンアントニオアラモドームにてフリオ・セサール・チャベス・ジュニア対マルコ・アントニオ・ルビオの前座でWBO世界スーパーバンタム級3位のウィルフレド・バスケス・ジュニアとWBO世界スーパーバンタム級王座決定戦を行い、試合序盤で左拳を負傷したものの、初回から攻勢を仕掛けて試合を優位に進め、9回には痛めている左でのアッパーでダウンも奪った末、12回2-1(117-110×2、112-115)の判定勝ちを収め王座獲得に成功し、4階級制覇を達成した[25]

ドーピング検査
2012年6月、スポーツ界へドーピング薬物を広く提供していたバルコ・スキャンダルの中心人物であったビクター・コンテを栄養アドバイザーとして雇用していたことからドネアにもドーピング薬物を使用しているのではないかと疑いの声が一部から上がっていた。このためドネアはVADA(Voluntary Anti-Doping Agency)が行っているランダムな薬物検査を引退するまで受け続けていくことを表明した[26]

2012年7月7日、アメリカ・カリフォルニア州ホーム・デポ・センター・テニスコートで、IBF世界スーパーバンタム級王者ジェフリー・マゼブラと王座統一戦を行い、4回に左フックでダウンを奪うなど試合を優位に進め、12回3-0(117-110、118-109、119-108)の判定勝ちを収めWBO王座は初防衛、IBF王座を獲得した[27]。なお、マゼブラは帰国後の検査で顎を骨折していたことが判明した。

2012年10月13日、ホーム・デポ・センター・テニスコートでWBC世界スーパーバンタム級名誉王者でWBO世界スーパーバンタム級2位の西岡利晃と対戦。当初はIBF王座もかけられる予定だったが、指名試合の期限が年内と迫っている上に指名挑戦者のアレハンドロ・ロペスでは人気の面から興行的な見返りが少なく、IBFへの王座戦の承認料金の節約も含めマネージャーから返上を勧められてドネアが試合当日に返上を決めたため[28]、WBO王座の2度目の防衛戦とWBCダイヤモンド王座リングマガジン認定王座決定戦として行われた。試合は西岡の手数が少なく初回から大きなブーイングが飛び交う展開となるが、6回にドネアの左アッパーがカウンター気味にヒットしてダウンを奪う、9回にも右ストレートで2度目のダウンを奪うと西岡のコーナーがリング内に入りストップを要請し9回1分54秒TKO勝ちを収め2度目の防衛に成功、ダイヤモンド王座とリングマガジン王座を獲得した[29]。この試合でドネアは750,000ドル(約7500万円)、西岡は100,000ドル(約1000万円)を稼いだ[30]

2012年10月26日、WBOから2012年度年間最優秀選手賞(ファイター・オブ・ザ・イヤー)に選ばれた[31]

2012年12月15日、テキサス州ヒューストントヨタセンターで元5階級制覇王者でWBO世界スーパーバンタム級1位のホルヘ・アルセと対戦し、2回にドネアの左右のパンチでダウンを奪い、3回終盤にもラッシュして左フック3連発でダウンを奪うと、最後は左フックをクリーンヒットさせて、アルセをキャンバスに沈め3回2分59秒KO勝ちを収め3度目の防衛に成功した[32]。この試合でドネアは100万ドル(約1億円)、アルセは80万ドル(約8000万円)を稼いだ[33]

2012年12月26日、アメリカのスポーツ専門ケーブルテレビ局ESPNから2012年度最優秀選手賞(ファイター・オブ・ザ・イヤー)に選ばれた[34]

2013年1月30日、BWAA(アメリカ・ボクシング記者協会)の2012年度年間最優秀ボクサー・通称「シュガー・レイ・ロビンソン賞」に選ばれた[35]

2013年4月13日、ニューヨーク・マンハッタンラジオシティ・ミュージックホールにてWBA世界スーパーバンタム級王者ギレルモ・リゴンドウと王座統一戦を行い、序盤からペースを握られ、10回に一度ダウンを奪うも、12回0-3(113-114、112-115、111-116)の判定負けを喫しWBO王座4度目の防衛とWBA王座獲得ならびに王座統一に失敗、WBO王座から陥落した[36]。この試合でドネアは1,320,000ドル(約1億3000万円)、リゴンドウは750,000ドル(7500万円)を稼いだ[37]

以前から悪化していた右肩の手術を受け半年ほどブランクを作った[38]

フェザー級

2013年11月9日、テキサス州コーパスクリスティのアメリカンバンクセンターにてミゲル・アンヘル・ガルシアローマン・マルチネスの前座でフェザー級に階級を上げて復帰戦を行い、実質階級が下となる元WBA・WBC・IBF世界スーパーフライ級スーパー王者ビック・ダルチニアンとの6年ぶりの再戦となるスーパーフライ級10回戦を行うが大苦戦を強いられる。9回に左フックでダウンを奪い最後は右フックからアッパーをまとめて9回2分6秒TKO勝ちを収め7か月振りの復帰戦を白星で飾ったが、試合終了回までの採点を78-74でドネアの負けとつけていたジャッジが2人いた(1人は76-76で引き分け)[39][40]。ドネアは試合後にフィリピンの新聞社へ「両拳を痛めてしまったよ、先週から軽い風邪をひいていたんだ」と明かした[41]。試合後、レントゲン撮影で右の頬骨にひびが入っていることが確認された[42]

2014年5月31日、マカオにあるザ・ベネチアン・マカオコタイ・アリーナでWBA世界フェザー級スーパー王者シンピウィ・ベトイェカと対戦し、初回に偶然のバッティングでドネアが左目上部をカットしてしまい、4回にダウンを奪うもこの傷が原因で試合続行が不可能となり5回3-0(49-46×3)の負傷判定勝ちを収め王座を獲得、2019年現時点で7人しか成し得ていない5階級制覇を達成した[43]。しかし5回開始数秒で試合が止められ負傷判定となったが、通常であれば4回終了時に試合が止められテクニカルドローとなるケースであった為(偶然の負傷による4ラウンド以内の試合終了はテクニカルドローとなる)、ドネアを勝たせるために試合終了を5回開始時まで引き伸ばしたと疑惑の声があがるなど消化不良な形での試合終了となったことで、ドネアはベトイェカに再戦のチャンスを与えたいと述べた[44]

2014年10月18日、カリフォルニア州カーソンホーム・デポ・センター・テニスコートにてゲンナジー・ゴロフキンマルコ・アントニオ・ルビオの前座でWBA世界フェザー級正規王者ニコラス・ウォータースと団体内王座統一戦を行うも、3回と6回にダウンを奪われ6回2分59秒KO負けを喫しウォータースの暫定王座を吸収できず団体内王座統一及び初防衛に失敗、王座から陥落した[45][46]。試合後に、ドネアはスーパーバンタム級に戻ることを示唆した[47]

スーパーバンタム級復帰

2015年3月28日、パサイSMモール・オブ・アジア内にあるモール・オフ・アジア・アリーナでウィリアム・プラドとNABF北米スーパーバンタム級王座決定戦を行い、2回2分16秒TKO勝ちを収め王座を獲得した[48]。6年ぶりのフィリピンでの試合となった。

2015年5月にWBCはノニト・ドネアとウーゴ・ルイスに対し、WBC世界スーパーバンタム級挑戦者決定戦を行うよう通知を出したが、ドネアを擁するトップランクは入札に参加せず[49]、挑戦者決定戦に出場しなかった[50]

2015年7月18日、マカオのザ・ベネチアン・マカオ内にあるコタイ・アリーナでアンソニー・セトゥルとスーパーバンタム級10回戦を行い、2回にセトゥルのセコンドからのタオル投入により1分41秒TKO勝ちを収めた[51]

2015年12月11日、プエルトリコのサンファンのコリセオ・ルーベン・ロドリゲスでフェリックス・ベルデホ対ホセニルソン・ドス・サントスの前座でWBO世界スーパーバンタム級王者ギレルモ・リゴンドウの王座剥奪に伴いWBO世界スーパーバンタム級1位のセサール・ファレスとWBO世界スーパーバンタム級王座決定戦を行い、4回に2度ダウンを奪い12回3-0(116-110×2、117-109)の判定勝ちを収め王座返り咲きに成功した[52]

2016年4月23日、ケソンアラネタ・コロシアムでWBO世界スーパーバンタム級4位でWBOヨーロピアンスーパーバンタム級王者のゾルト・ベダクと対戦し、3回2分44秒TKO勝ちを収め初防衛に成功した[53][54]。5月10日、WBOはドネアを2016年5月度の月間MVPに選出した[55][56]

2016年11月5日、トーマス&マック・センタージェシー・バルガスマニー・パッキャオの前座でWBO世界スーパーバンタム級1位でNABF北米スーパーバンタム級ジュニア王者ヘスス・マグダレノと対戦し、12回0-3(112-116×2、110-118)の判定負けを喫し2度目の防衛に失敗、王座から陥落した[57][58]。この試合でドネアは400,000ドル(約4500万円)、マグダレノは90,000ドル(約1000万円)のファイトマネーを稼いだ[59]

2017年3月、ドネアが自ら契約解除を申し出て、双方合意のもとトップランクから離脱した[60]

2017年7月26日、元ゴールデンボーイ・プロモーションズ最高経営責任者(CEO)だったリチャード・シェイファー率いるリングスター・スポーツ社と契約したことを明らかにした[61]

フェザー級復帰

2017年9月23日、テキサス州サンアントニオアラモドームユニエル・ドルティコスディミトリー・クドリャショフの前座でルーベン・ガルシア・エルナンデスとWBCフェザー級シルバー王座決定戦を行い、10回3-0(100-90、97-93、99-91)の判定勝ちを収め王座を獲得した[62][63]

2018年4月21日、ベルファストSSEアリーナで元2階級制覇王者でWBO世界フェザー級4位のカール・フランプトンとWBO世界フェザー級暫定王座決定戦を行うも、12回0-3(111-117×3)の判定負けを喫し王座返り咲きとはならなかった[64]

バンタム級復帰

2018年7月5日、World Boxing Super Seriesのバンタム級トーナメントに出場することが発表され、7年振りにバンタム級に復帰することとなった[65][66]

2018年11月3日、グラスゴーのSSEハイドロでWBA世界バンタム級スーパー王者ライアン・バーネットとWBSSバンタム級トーナメント一回戦として対戦し、バーネットが試合中に右側の腹斜筋を痛め棄権を申し出た為、4回終了TKO勝ちを収め、WBAスーパー王座とWBCダイヤモンド王座を獲得[映像 1]するとともに、WBSSの準決勝に進出した[67][68]

2019年4月27日、ルイジアナ州ラファイエットのケイジャン・ドームでWBO世界バンタム級王者ゾラニ・テテとWBSSバンタム級トーナメント準決勝ならびに王座統一戦を行う予定であったが[69]、テテが肩を故障して欠場した為、代役としてWBA世界バンタム級5位のステフォン・ヤングと対戦する事になった[70]。試合はドネアが6回2分37秒KO勝ちを収め初防衛に成功し、WBSSの決勝に進出した[71]

2019年11月7日、埼玉県さいたま市中央区さいたまスーパーアリーナでWBA・IBF世界バンタム級統一王者井上尚弥と2団体王座統一戦およびWBSSバンタム級トーナメント決勝戦を行い、11回に井上の左ボディでダウンを奪われ、12回0-3の判定負けを喫し2度目の防衛に失敗、王座から陥落しWBSS準優勝に終わった[72]

なお後述での再戦で試合前のグローブチェック時に、井上尚弥陣営の違反行為や嫌がらせは今回だけではく、このWBSS決勝でもあったとドネアとドネア夫人のレイチェルが自身の動画で語っている。

2020年5月16日、予定されていたノルディーヌ・ウバーリとの対戦する予定だったが、新型コロナウイルスの影響で試合延期になった[73]

2020年11月12日、1カ月後の12月12日にWBC世界バンタム級王者ノルディーヌ・ウバーリと対戦する予定だったが、ウバーリが新型コロナウイルスに感染してアメリカの入国ビザを取得できなくなった為、対戦相手がエマヌエル・ロドリゲスに変更され、試合日程も1週間延期されることが発表された[74]

2020年11月25日、WBCがウバーリを休養王者に認定したこと及び、ウバーリがコロナ回復後に休養王者として選択防衛戦を行う許可を出したことを発表した。これによりウバーリが保持していたWBC世界バンタム級王座が空位となった為、12月19日に行われるノニト・ドネア対エマヌエル・ロドリゲスの対戦がWBC世界バンタム級王座決定戦として行われることになった[75]

2020年12月10日、エマヌエル・ロドリゲスとの試合を12月19日に控えていたドネアが、新型コロナウイルスの検査にて陽性が確認されたため、試合から撤退したと発表した[76][77]

2021年5月29日、 ディグニティ・ヘルス・スポーツ・パーク・テニスコートでWBC世界バンタム級王者ノルディーヌ・ウバーリと対戦し、4回1分52秒KO勝ちを収め1年8ヶ月振りとなる王座返り咲きに成功した[78]。この試合でドネアは144,360ドル(約1570万円)、ウバーリは216,540ドル(約2360万円)のファイトマネーを稼いだ[79]

2021年6月19日、ラスベガスで行われたWBAスーパー・IBF世界バンタム級王者の井上尚弥とIBF指名挑戦者のマイケル・ダスマリナスの試合後に、ドネアとWBO王者ジョンリル・カシメロWOWOWのテレビ中継にゲスト出演し、8月14日に両選手がWBCとWBO王座をかけて統一戦を行うことを明らかにした[80]。しかし、後にドネア陣営が、カシメロ陣営がVADAへの書類提出が5日間遅れた事や、レイチェル夫人への無礼な態度を問題視し、統一戦をキャンセルすると発表した[81]

2021年10月11日、リチャード・シェイファーが新たにが設立したプロモート会社プロベラムと契約を交わしたことを明らかにした[82]

2021年12月11日、カリフォルニア州カーソンのディグニティ・ヘルス・スポーツ・パーク・テニスコートでWBC世界バンタム級暫定王者レイマート・ガバリョと団体内王座統一戦を行い、4回2分59秒KO勝ちを収めガバリョの暫定王座を吸収し団体内王座統一及び初防衛に成功した[83]。この試合でドネアは300,000ドル(約3430万円)、ガバリョは150,000ドル(約1710万円)のファイトマネーを稼いだ[84]

2022年6月7日、さいたまスーパーアリーナでWBAスーパー・IBF世界バンタム級王者の井上尚弥と2年7ヶ月ぶりの再戦および3団体王座統一戦を行い、初回終了間際に右ストレートでダウンを奪われると、2回序盤からは劣勢となり左フックで2度目のダウンを奪われてレフェリーが試合を止め2回1分24秒TKO負けを喫し、WBC王座から陥落した[85]

2023年7月15日、ラスベガスのザ・コスモポリタン内チェルシー・ボール・ルームにてフランク・マーティン対アルテム・ハルチュニャンの前座でバンタム級世界4団体統一王者井上尚弥の王座返上に伴い、WBC世界バンタム級4位のアレハンドロ・サンティアゴとWBC世界同級王座決定戦を行う予定だったが、テレンス・クロフォード対エロール・スペンス・ジュニアの前座の試合が怪我により中止になったため、その穴埋めのために試合2日前に急遽延期されることになった[86][87]

2023年7月29日、ラスベガスのT-モバイル・アリーナでメインとして行われたテレンス・クロフォード対エロール・スペンス・ジュニアのウェルター級4団体統一戦の前座でサンティアゴとWBC世界バンタム級王座決定戦を行い、サンティアゴのスピードのある連打に対して試合序盤から後手に回り、12回0-3(112-116×2、113-115)で判定負けを喫し王座返り咲きに失敗した[88]

2025年6月14日、WBA主催の禁止薬物撲滅キャンペーンの一環として行われた興行「KOドラッグ」のメインイベントでWBA世界バンタム級8位のアンドレス・カンポス英語版とWBA世界バンタム級暫定王座決定戦を行い、9回に偶然のバッティングでドネアが右目上をカットし、ドクターチェックが行われた後に試合続行不可となり、9回3-0(88-83、87-84×2)の負傷判定勝ちを収め暫定ながら3年ぶりの王座に返り咲き、同年7月30日に横浜BUNTAIで行われるWBA世界同級王者アントニオ・バルガス比嘉大吾の勝者と団体内王座統一戦で対戦することとなった[89]

2025年12月17日、両国国技館でWBA世界バンタム級王者の堤聖也と団体内王座統一戦を行うも、12回1-2(113-115、111-117、116-112)の判定負けを喫し団体内王座統一に失敗、ドネアが6ヶ月間保持してきた暫定王座は堤の正規王座に吸収される形で消滅した[90]。堤は当初休養王者として正規王者アントニオ・バルガスと団体内王座統一戦を行う予定だったが、バルガスの母親が死去した影響で試合を行える状態ではないとしてWBAが2025年11月30日付でバルガスを休養王座に認定、堤は同日付で休養王座から正規王座に復帰しドネアと団体内王座統一戦を行うこととなった。試合後、WBAはドネアをバンタム級1位に据え置いた。

2026年3月15日、横浜BUNTAIでWBA世界バンタム級4位の増田陸とWBA世界バンタム級挑戦者決定戦を行うも、7回に左ストレートでダウンを奪われ、8回にドネア陣営からタオルが投入され1分12秒TKO負けを喫し王者の堤聖也への再戦という形での挑戦権を獲得できなかった[91]

戦績

  • アマチュアボクシング:76戦 68勝 (5KO / RSC) 8敗
  • プロボクシング:53戦 43勝 (28KO) 10敗
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日付 勝敗 時間 内容 対戦相手 国籍 備考
12001年2月22日1R 1:46KOホセ・ラサロアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国プロデビュー戦
22001年3月10日5R判定 0-3ロセンド・サンチェスアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
32001年6月8日4R判定 3-0サウル・サントーヤアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
42001年7月3日1R 0:30TKOホセ・ルイス・トーレスメキシコの旗 メキシコ
52002年5月31日2R 終了TKOノエ・アルマフィリピンの旗 フィリピン
62002年9月1日2RKOカイチョン・ソー・ウォラピンタイ王国の旗 タイWBOアジアパシフィックフライ級王座決定戦
72002年11月2日8R判定 3-0マーク・サレスフィリピンの旗 フィリピン
82003年6月27日1R 1:43TKOホルヘ・ロペスメキシコの旗 メキシコ
92004年6月18日4R 3:00TKOリカルド・バレラメキシコの旗 メキシコ
102004年11月12日8R判定 3-0ヒルベルト・ムニョスメキシコの旗 メキシコ
112005年5月13日6R 3:00TKOパウリノ・ビジャロボスメキシコの旗 メキシコ
122005年7月2日6R判定 3-0ラリー・オルベラアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
132005年10月1日1R 2:19KOダニエル・ゴンサレスメキシコの旗 メキシコ
142005年11月5日8R判定 3-0イルド・フリオ コロンビア
152006年1月20日10R判定
2-1
カレン・ハルツニャンアルメニアの旗 アルメニアNABF北米スーパーフライ級王座決定戦
162006年7月29日2R 1:48TKOホセ・ルイス・カルデナスメキシコの旗 メキシコ
172006年10月7日12R判定 3-0オスカル・アンドラーデメキシコの旗 メキシコ
182007年5月12日1R 2:29TKOケビン・ハギンズアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
192007年7月7日5R 1:38TKOビック・ダルチニアンオーストラリアの旗 オーストラリアIBF世界フライ級タイトルマッチ
IBF・IBO獲得
202007年12月1日8R 1:16TKOルイス・マルドナドメキシコの旗 メキシコIBF防衛1
212008年11月1日6R 1:31TKOモルティ・ムザラネ南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国IBF防衛2
222009年4月19日4R 2:42TKOラウル・マルチネスアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国IBF防衛3
232009年8月15日12R判定 3-0ラファエル・コンセプションパナマの旗 パナマWBA世界スーパーフライ級暫定王座決定戦
242010年2月13日3R 1:33KOマヌエル・バルガスメキシコの旗 メキシコ
252010年7月10日8R 2:59TKOエルナン・マルケスメキシコの旗 メキシコWBA暫定防衛1
262010年12月4日4R 1:48KOウラジミール・シドレンコ ウクライナWBC米大陸バンタム級王座決定戦
272011年2月19日2R 2:25TKOフェルナンド・モンティエルメキシコの旗 メキシコWBC・WBO世界バンタム級タイトルマッチ
282011年10月22日12R判定 3-0オマール・ナルバエスアルゼンチンの旗 アルゼンチンWBC防衛1・WBO防衛1
292012年2月4日12R判定
2-1
ウィルフレド・バスケス・ジュニアプエルトリコの旗 プエルトリコWBO世界スーパーバンタム級王座決定戦
302012年7月7日12R判定3-0ジェフリー・マゼブラ南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国IBF・WBO世界スーパーバンタム級王座統一戦
IBF獲得・WBO防衛1
312012年10月13日9R 1:54TKO西岡利晃帝拳日本の旗 日本WBO防衛2
リングマガジンWBCダイヤモンド王座獲得
322012年12月15日3R 2:59KOホルヘ・アルセメキシコの旗 メキシコWBO防衛3
332013年4月13日12R判定 0-3ギレルモ・リゴンドウ キューバWBA・WBO世界スーパーバンタム級王座統一戦
WBO陥落
342013年11月9日9R 2:06TKOビック・ダルチニアンオーストラリアの旗 オーストラリア
352014年5月31日5R 0:01負傷判定 3-0シンピウィ・ベトイェカ南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国WBAスーパー・世界フェザー級タイトルマッチ
362014年10月18日6R 2:59KOニコラス・ウォータースジャマイカの旗 ジャマイカWBA世界フェザー級王座統一戦
WBA陥落
372015年3月28日2R 2:16TKOウィリアム・プラドブラジルの旗 ブラジルNABF北米スーパーバンタム級王座決定戦
382015年7月18日2R 1:41TKOアンソニー・セトゥルフランスの旗 フランス
392015年12月11日12R判定 3-0セサール・ファレスメキシコの旗 メキシコWBO世界スーパーバンタム級王座決定戦
402016年4月23日3R 2:44TKOゾルト・ベダク ハンガリーWBO防衛1
412016年11月5日12R判定 0-3ヘスス・マグダレノアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国WBO陥落
422017年9月23日10R判定 3-0ルーベン・ガルシア・エルナンデスメキシコの旗 メキシコWBC世界フェザー級シルバー王座決定戦
432018年4月21日12R判定 0-3カール・フランプトンイギリスの旗 イギリスWBO世界フェザー級暫定王座決定戦
442018年11月3日4R 終了TKOライアン・バーネットイギリスの旗 イギリスWBAスーパー世界バンタム級タイトルマッチ
WBA・WBCダイヤモンド王座獲得 / WBSS1回戦
452019年4月27日6R 2:37KOステフォン・ヤングアメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国WBA防衛1 / WBSS準決勝
462019年11月7日12R判定 0-3井上尚弥大橋日本の旗 日本WBA・IBF世界バンタム級王座統一戦
WBA陥落 / WBSS決勝
472021年5月29日4R 1:52KOノルディーヌ・ウバーリフランスの旗 フランスWBC世界バンタム級タイトルマッチ
482021年12月11日4R 2:59KOレイマート・ガバリョフィリピンの旗 フィリピンWBC世界バンタム級王座統一戦
WBC防衛1
492022年6月7日2R 1:24TKO井上尚弥(大橋)日本の旗 日本WBA・WBC・IBF世界バンタム級王座統一戦
WBC陥落
502023年7月29日12R判定 0-3アレハンドロ・サンティアゴメキシコの旗 メキシコWBC世界バンタム級王座決定戦
512025年6月14日9R負傷判定 3-0アンドレス・カンポス英語版 チリWBA世界バンタム級暫定王座決定戦
522025年12月17日12R判定
1-2
堤聖也角海老宝石日本の旗 日本WBA世界バンタム級王座統一戦
WBA暫定陥落
532026年3月15日8R 1:12TKO増田陸(帝拳)日本の旗 日本WBA世界バンタム級挑戦者決定戦
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獲得タイトル

  • WBOアジアパシフィックフライ級王座
  • NABF北米スーパーフライ級王座
  • IBF世界フライ級王座(防衛3=返上)
  • IBO世界フライ級王座
  • WBA世界スーパーフライ級暫定王座(防衛1=返上)
  • WBCアメリカ大陸バンタム級王座
  • WBC世界バンタム級王座(1期目:防衛1=返上、2期目:防衛1)
  • WBO世界バンタム級王座(防衛1=返上)
  • WBC世界バンタム級ダイヤモンド王座
  • NABF北米スーパーバンタム級王座
  • WBO世界スーパーバンタム級王座(1期目:防衛3、2期目:防衛1)
  • IBF世界スーパーバンタム級王座(防衛0=返上)
  • リングマガジン世界スーパーバンタム級王座
  • WBC世界スーパーバンタム級ダイヤモンド王座
  • WBC世界フェザー級シルバー王座(防衛0=返上)
  • WBA世界フェザー級スーパー王座(防衛0)
  • WBA世界バンタム級スーパー王座(防衛1)
  • WBA世界バンタム級暫定王座(防衛0)

エピソード

  • 趣味でカメラマンとしても活動しており、他の選手の試合の際にリングサイドで撮影したものをマスコミに送って雑誌に掲載されたこともたびたびある。

親日家

子供の頃から日本の文化や歴史、礼儀などに興味があったと語っており、プライベートでもたびたび来日するなど親日家として知られている。侍に対する敬意は深く、子供の頃にアニメ映画の獣兵衛忍風帖を見たのをはじめとして、七人の侍宮本武蔵関連の映画を多く見ている。また、一番好きな俳優として三船敏郎を挙げている。

大の漫画・アニメ好きでもあり、自身の愛称「フィリピーノ・フラッシュ」も漫画のキャラクターに由来している。最初に読んだ日本の漫画は「SLAM DUNK」。その後、ボクシング漫画はないか探したところ、「はじめの一歩」を読むようになり、現在ではアメリカやフィリピンの漫画雑誌には掲載されていない、週刊少年マガジンの最新号に掲載されたばかりの最新話を日本に住む友人に英訳してメールで送ってもらって読んでいるほか、マヌエル・バルガス戦では主人公の幕之内一歩の得意技でもあるデンプシー・ロールを独自に改良して「フラッシュ・ステップ」と名付けた動きを使ったほどの熱狂的なファンである。作者の森川ジョージと対談した際には終始にこやかで、記念写真をTwitterFacebookに掲載していた。

交友

2012年に対戦した西岡利晃とはそれ以降親交があり、西岡が設立したジムには花束を贈るなど、『アナザースカイ』で西岡が取り上げられた際サプライズゲストとして登場したり、WOWOWエキサイトマッチのイベントにて「3年前に初めて出会ったときのニシオカはピリピリして怖かったけど今はすっかり友達」とコメントしている[92]。また、ヒップホップグループのブラック・アイド・ピーズのメンバーのアップル・デ・アップとは同じフィリピン系であることから親交があり、ドネアの試合を観戦することがある。

表彰

脚注

関連項目

外部リンク

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