バトルブレーヴ

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欧字表記 Battle Brave[1]
性別 [1]
バトルブレーヴ
欧字表記 Battle Brave[1]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 芦毛[1]
生誕 2002年4月20日[1]
死没 2010年8月18日(8歳没)
抹消日 2010年8月18日[2]
ジェニュイン[1]
ユニバース[1]
母の父 ダンシングブレーヴ[1]
生国 日本の旗 日本北海道静内町[2]
生産者 西村和夫[1]
馬主 宮川秋信[1]
調教師 太宰義人栗東
野村彰彦(栗東)
本田優(栗東)[1]
競走成績
生涯成績 57戦9勝[1]
中央:56戦9勝
平地)33戦5勝
障害)23戦4勝
地方:1戦0勝
獲得賞金 2億3373万5000円[1]
(平地)7192万4000円
(障害)1億6181万1000円
勝ち鞍
J・GIII小倉サマージャンプ2008年
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バトルブレーヴ(欧字名:Battle Brave2002年4月20日 - 2010年8月18日 )は、日本競走馬。主な勝ち鞍は2008年の小倉サマージャンプ

馬名の由来は、冠名+「勇敢な」[2]

2004年10月30日、京都競馬場第5レースの2歳新馬戦(芝1200m)で、鞍上太宰啓介にてデビューし、9着。翌2005年の5月、京都・3歳未勝利戦(芝2200m)で、通算10戦目でようやくの初勝利を収めた。このレースで、管理する太宰義人調教師もJRA通算300勝を達成した[3]

5歳となった2007年3月、太宰師が死去した関係で、野村彰彦厩舎に臨時転厩[4]。6月、1600万下条件の関ヶ原ステークスを最低17番人気で制し、キャリア31戦目でオープンクラスに昇格した[5]。その後、開業したばかりの本田優厩舎に正式転厩した[4]。夏に一度障害路線へ転向し、未勝利戦での勝利(本田師にとってはJRA初勝利[6])を経て初の重賞挑戦で出走した9月の新潟ジャンプステークスは8着。次走のオールカマーから芝路線に復帰したが、大敗が続いたため、6歳5月から本格的に障害路線へ舵を切った。オープン戦2連勝で迎えた7月の小倉サマージャンプは早め先頭からリードを広げ、2着コウエイトライに6馬身差をつけて圧勝。レースレコード更新のおまけつきで重賞初優勝を飾った[7]

以降は勝利を挙げることこそなかったものの、8歳7月までに15戦して2着4回、3着1回とそれなりの結果を残した。7歳の4月には初のGI級競走挑戦として中山グランドジャンプに出走している(結果は11着)[8]

新潟ジャンプステークスに向けて調整されていた矢先の2010年8月、調教中に右第1指骨複骨折を発症し、予後不良となった[9]。8歳没。

競走成績

血統表

脚注

外部リンク

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