スプリングゲント
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第11回阪神スプリングジャンプ出走時 (2009年3月14日) | |||||||||||||||
| 欧字表記 | Spring Ghent[1] | ||||||||||||||
| 品種 | サラブレッド[1] | ||||||||||||||
| 性別 | 牡[1] | ||||||||||||||
| 毛色 | 鹿毛[1] | ||||||||||||||
| 生誕 | 2000年4月30日 [1] | ||||||||||||||
| 抹消日 | 2013年12月25日[2] | ||||||||||||||
| 父 | オペラハウス[1] | ||||||||||||||
| 母 | スプリングマドンナ[1] | ||||||||||||||
| 母の父 | ニッポーテイオー | ||||||||||||||
| 生国 |
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| 生産者 | 堀弘康[1] | ||||||||||||||
| 馬主 | 加藤春夫[1] | ||||||||||||||
| 調教師 | 野村彰彦(栗東)[1] | ||||||||||||||
| 厩務員 | 松水克憲[3] | ||||||||||||||
| 競走成績 | |||||||||||||||
| 生涯成績 | 50戦10勝[1] | ||||||||||||||
| 獲得賞金 | 3億5194万1000円[1] | ||||||||||||||
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スプリングゲント(Spring Ghent)[1]とは日本の競走馬。主な勝ち鞍に2009年の中山グランドジャンプ、2006年の京都ハイジャンプ、東京ハイジャンプ、京都ジャンプステークス。
- 特記事項なき場合、本節の出典はJBISサーチ[4]
2002年12月1日、阪神競馬場での2歳新馬戦でデビューし、3着。3戦目で初勝利を挙げ、2003年5月のあやめ賞で2勝目を挙げる。1000万条件クラスでは2着を一度記録したのみで2004年夏以降は500万下クラスに降級。降級後2戦目から5戦目まで2着2回、3着3回の成績を残したのち、2005年6月に3勝目を挙げた。再度1000万下クラスに上がるも4戦していずれも6着以下に終わり、障害競走に転向する。
2006年2月26日の障害未勝利戦を勝った後、障害オープンを連勝し、重賞初出走となった京都ジャンプステークスでは2番手3番手の競馬から押し切って重賞初制覇を果たした[5]。続く東京ハイジャンプも最終障害で先頭に立ってそのまま押し切り、重賞2連勝[6]。秋初戦の京都ハイジャンプでも逃げの競馬から2着マルブツトップに8馬身差をつけて重賞3連勝を達成した[7]。しかし、レース後右前浅屈腱炎を発症し長期休養を余儀なくされる[8]。
2年後の2008年秋に戦列に復帰し、平地を2戦使い中山大障害に出走もキングジョイの4着。2009年初戦の阪神スプリングジャンプでトーワヒヨシマルの2着となったのち、中山グランドジャンプでは向正面から続いたキングジョイとの接戦をクビ差下して障害G1競走を制した[9]。同競走は「史上に残る壮絶なマッチレース[10]」と評された。その後秋に左前浅屈腱炎を発症したことが判明し、再度の長期休養を余儀なくされた[11]。2011年12月に復帰して平地1戦ののち中山大障害に出走も5着、翌2012年もほぼ同じローテーションで中山大障害に臨んだが4着に終わり[12]、2013年は春に左第3中手骨遠位の剥離骨折が判明[13]。秋に平地と中山大障害に使われるも2戦連続11着に終わり、12月25日付で競走馬登録を抹消された[2]。「障害入りからの連勝を5に伸ばし、次走のJ・G2京都ハイジャンプも8馬身差で圧勝したが、その後、屈腱炎で2年近くの戦線離脱を余儀なくされ、それでも長期休養から復帰すると、2006年の中山グランドジャンプを勝利し、9歳にして悲願のJ・G1制覇を果たしたが、その直後に再び屈腱炎を発症し、2年8ヶ月の休養。それでもまた復帰し、13歳まで現役生活を続けた。」という現役時の活躍より「不死鳥」と称された[14]。
引退後は乗馬となり、成田市の高橋牧場[2]を経て阿見町の「ホースライディングスクウェア エボルブルス」に繋養された[15]。
- 中山グランドジャンプ最終障害を飛越するスプリングゲント(左)とキングジョイ