パストレ夫人の肖像
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| フランス語: Portrait de madame Pastoret 英語: Portrait of Madame Pastoret | |
| 作者 | ジャック=ルイ・ダヴィッド |
|---|---|
| 製作年 | 1791 - 1792年 |
| 素材 | キャンバス上に油彩 |
| 寸法 | 128 cm × 85 cm (50 in × 33 in) |
| 所蔵 | シカゴ美術館、シカゴ |
『パストレ夫人の肖像』(パストレふじんのしょうぞう、仏: Portrait de madame Pastoret、英: Sappho and Phaon)は、フランスの新古典主義の巨匠ジャック=ルイ・ダヴィッドが1791 - 1792年にキャンバス上に油彩で制作した絵画である。ピスカトリー・ド・ヴォフルラン (Piscatory de Vaufreland) として生まれたアデライド・パストレ (Adélaide Pastoret, 1765 – 1843年) を描いている。作品は1967年以来[1]、シカゴ美術館に所蔵されている[1][2]。

本作のモデルのパストレ夫人は、王党派の人物の妻であった[1]。ダヴィッドは当初パストレ家の人々と友人であったが、政治的に急進派になった後の1792年に彼らと絶交している[2]。本作は、『フィリップ=ロラン・ド・ジュベールの肖像』(ファーブル美術館、モンペリエ)および『シャルル=ルイ・トリュデーヌ夫人の肖像』(ルーヴル美術館、パリ)とともに、フランス革命のためにダヴィッドが未完のまま残した3点のうちの1点である。ちなみに、モデルとなった彼ら3人は皆、逮捕されたか亡命しており、パストレ夫人は恐怖政治中の1792年に短期間投獄されている[1]。なお、ベビーベッドには乳児の頭部が見えるが、彼は将来の国務参事官アメデ・デ・パストレで、1826年にドミニク・アングルによって肖像画(シカゴ美術館)に描かれている[3]。
パストレ夫人は上流階級の女性であったが、本作では当時にふさわしく装飾品なしに描かれている[1][2]。彼女は地味な服を纏い、髪には髪粉もつけていない[4]。富を示していたならば、疑惑の目で見られていたであろう。夫人は代わりに主婦、母親として描写され、家庭的な徳が強調されている[1][2]。彼女は縫い物をしているが、それは以前なら召使の仕事であった[4]。この肖像画が未完成であることは、短い筆致で表された斑点のある背景によって、そしてパストレ夫人の手に縫い針が欠落していることによって示されている[1][2]。画面は、ダヴィッドの作品に特徴的な、鮮やかで滑らかな仕上げは示していない[1]。
パストレ夫人は、ダヴィッドの革命的理想ゆえに本作を受け取ることを拒否していた[1]。そのため、作品は彼の工房に残っていたが、彼の死後、夫人に400フランで売却された(夫人は、当時大人になっていた画中の息子アメデに購入させた[1])。以降、作品は、マリー・ド・パストレ (パストレ夫人の孫娘) として生まれたルジェ・デュ・プレシス=ベリエール (Rougé du Plessis-Bellière) 侯爵夫人が死去する1890年までパストレ家に継承された。1884年、モントルイユにあった侯爵夫人の城館で公開された時の目録に記されている[5]。また、1人の訪問者が1890年に作品について記述している[6]。侯爵夫人のコレクションは1897年5月に売却され、本作は目録番号21番の作品としてシュラミー (Cheramy) 氏に1万7,900フランで売却された[7]。