球戯場の誓い (ダヴィッドの絵画)

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製作年1790-1794年
寸法400 cm × 660 cm (160 in × 260 in)
『球戯場の誓い』
フランス語: Le Serment du Jeu de paume
英語: The Tennis Court Oath
作者ジャック=ルイ・ダヴィッド
製作年1790-1794年
素材キャンバス上に油彩
寸法400 cm × 660 cm (160 in × 260 in)
所蔵ヴェルサイユ宮殿

球戯場の誓い』(きゅうぎじょうのちかい、: Le Serment du Jeu de paume: The Tennis Court Oath)は、フランス新古典主義の巨匠ジャック=ルイ・ダヴィッドが1790-1794年にキャンバス上に油彩で制作した未完成の絵画である。フランス革命における重要な出来事である「球戯場の誓い」を表している。政治的転換と経済的苦境により、ダヴィッドは、縦4メートル、幅6.6メートルあるこの絵画を完成させることができなかった。作品は現在、ヴェルサイユ宮殿に所蔵されている[1]

2点のスケッチ中のすべての代議士はジャン=シルヴァン・バイイを見ており、それが代議士たちの彼への支援を示している。誓いを立てることを拒否している唯一の人物ジョゼフ・マルタン=ドーシュ英語版が画面下部右側に表され、全体的な熱狂に対照されている。ダヴィッドは、すべての人物の顔を詳細に描き、誰であるかわかるようにしている。上部には、笑顔の大衆の人物の見える窓がある。

ギャラリー

解釈

ダヴィッド『ホラティウス兄弟の誓い』 (1784年)、ルーヴル美術館パリ

18世紀には、誓いというものに聖なる価値があり、ダヴィッドの絵画『ホラティウス兄弟の誓い』 (ルーヴル美術館パリ)[2]に見られるように誓いを立てた人物が言葉に忠実になることを確約した。フランス革命中、「球戯場の誓い」のように集団的な誓いは、国家的統一と同一性を確かなものとする要素であると考えられていた。前ロマン主義的、ほぼ同一的、ほぼ完全に中流階級的で、大衆の暴動を伴わない「球戯場の誓い」は、何よりも1789年の革命の先駆けと見なされた。そして、国家主権というものは、各個人の意思からなるものであることを示した。

この絵画は、1789年7月20日に第三身分平民たちが屋内の球戯場に集まった姿を描いている[1]。時の国王ルイ16世が選挙制度の改革を拒んだ後、ヴェルサイユ宮殿の議場を閉鎖してしまったからである。球戯場で、三部会は自ら「フランス国会」であること宣言した。ダヴィッドのスケッチはまた、修道士クリストフ・アントワーヌ・ジェルル英語版プロテスタント牧師ジャン=ポール・ラボー・サンテ=ティエンヌ英語版とともに描いており、宗教的寛容の新しい時代を象徴している。窓から吹き込み、カーテンをはためかせる風もまた、フランスに吹く革命の風を象徴する。

歴史

球戯場の誓いを表した最初のエングレービングは、1790年になってようやく登場した。同年、ダヴィッドは、ジャコバン派に「球戯場の誓い」を表す絵画を描くための寄付金を国家的に募るよう説得した。そして、1791年にルーヴル宮殿で開催されたサロン・ド・パリに、計画していた絵画用のペンと茶色のインクによるスケッチを展示した。しかし、絵画制作のための寄付金は必要額の10パーセントしか集まらなかった。かくして、憲法制定国民議会は、代わりに公的財産にエングレービングの売り上げを追加して、絵画作品の制作費用にすることを決定した[3]

オーギュスト・クデ英語版テニスコートの誓い英語版』1848年、フランス革命美術館英語版

当時、代議士たちは、集っていた調馬の間英語版近くの旧フイヤン修道院英語版で会合を開いていたが、ダヴィッドはここにアトリエを構えた。しかし、1793年までに彼自身代議士となり多忙であったため、絵画を完成させることができなかった。また、フランスの政治的状況はもはや絵画に関連するものではなくなっていた。1789年の英雄の1人であったオノーレ・ミラボーがルイ16世と密かに通じていることが明るみになり、大衆により裏切り者とされ、革命の敵と宣言されたからである。さらに、憲法制定国民議会の多くの代議士が公安委員会の敵と見なされた。そのため、ダヴィッドは絵画を未完成のまま残し、寄付金提供者たちは、彼にエングレービングを要求した[4]

ダヴィッドが1810年に制作した『鷲旗の配布』 (ヴェルサイユ宮殿) と『テルモピュライのレオニダス』 (ルーヴル美術館) は、直接的に『球戯場の誓い』のスケッチに影響されたものである[5]。『球戯場の誓い』の主題はまた、18世紀後半以降の何人かの画家たちに取り上げられ、その中には、1848年に同主題作を描いたオーギュスト・クデ英語版と1883年に同主題作を描いたリュック=オリヴィエ・メルソンも含まれる[6]

1820年に、ダヴィッドは、ジャン・ピエール・マリー・ジャゼ (Jean Pierre Marie Jazet) が有していたエングレービングの権利をダニエル・イゾアール・ド・マルトゥレ (Daniel Isoard de Martouret) に譲渡した[7]。未完成の本作自体は1836年に王立美術館によってルーヴル美術館のために購入され、1880年以降、同美術館に展示された[8]

脚注

参考文献

外部リンク

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