ダヴィッドの習作
本作のフランス語 の正式名称は、「Serment de l'armée fait à l'empereur après la distribution des aigles au champ de Mars, 5 décembre 1804」で、「1804年12月5日、シャン・ド・マルス において鷲旗が配布された後に皇帝になされた軍隊の誓い」という意味である[ 3] 。
フランス帝国の鷲旗 (英語版 )
描かれている出来事は、ナポレオンの戴冠式 から3日後の1804年12月5日に行われた。エコール・ミリテール (軍学校 ) の前に設えられた大きな演壇 上に、皇帝ナポレオンが家族や高官たちに囲まれて立っている。彼は自ら誓いを立てつつ、すべての参加している連隊 の誓いを聞いている。左側の公的な人物の集団と右側の熱烈な兵士たちは、非常な対照をなしている[ 2] 。
ナポレオンは、この場でローマ帝国 の軍団 旗にもとづくフランス帝国の鷲旗 (英語版 ) を配布した。軍団旗はフランスの地方行政区画 の連隊を表し、ナポレオンの新しい体制の中核となる連隊の間に誇りと忠誠心を生むことを狙いとしたものであった。ナポレオンは、連隊は命がけで軍団旗を守らなければならないと主張した感情的な演説を行った。
『プリーマ・ポルタのアウグストゥス』 (ヴァチカン美術館 、ローマ ) に見られるアドロクシオ (英語版 ) のポーズ
絵画のための初期の習作で、ダヴィッドは、連隊の上を飛翔する、翼のある勝利の女神 ニーケー を描き入れていたが、ナポレオンはそのように非現実的な描写に反対した。彼はまた、習作同様に本作で彼の向かって左側に表されていた妻のジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ を画面から消し去ることを主張した。彼女は彼の世継ぎを生めなかったため、彼は彼女と離婚する準備をしていたのである[ 4] 。ほぼ完成していた絵画を大きく変更することを避けるため、ダヴィッドは、ナポレオンの養子 となっていたジョゼフィーヌの息子ウジェーヌ・ド・ボアルネ の片方の足をジョゼフィーヌが占めていた場所に描いた[ 2] 。最終的な絵画は、ナポレオンが自身に差し出されている軍団旗を祝福している瞬間を表している。彼は、ローマ皇帝 が連隊に対して見せたポーズ「アドロクシオ (英語版 ) 」を真似て、腕を持ち上げている。ダヴィッドの構図は、トラヤヌスの記念柱 (ローマ ) のフリーズ に大きな影響を受けている[ 4] 。
この絵画は、特に目的となる展示場所も決められずに依頼された。結局、『ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠』の第2ヴァージョンのように国王ルイ・フィリップ の管理下に置かれ、1837年に設置された「サル・デュ・サクル」に『ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠』とともに掛けられた[ 2] 。