ニオベの子供たちを襲うディアナとアポロン
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| フランス語: Diane et Apollon perçant de leurs flèches les enfants de Niobé 英語: Diana and Apollo Attacking Niobe's Children | |
| 作者 | ジャック=ルイ・ダヴィッド |
|---|---|
| 製作年 | 1772年 |
| 素材 | キャンバス上に油彩 |
| 寸法 | 120.65 cm × 153.67 cm (47.50 in × 60.50 in) |
| 所蔵 | ダラス美術館、ダラス |
『ニオベの子供たちを襲うディアナとアポロン』(ニオベのこどもたちをおそうディアナとアポロン、仏: Diane et Apollon perçant de leurs flèches les enfants de Niobé、英: Diana and Apollo Attacking Niobe's Children)は、フランスの新古典主義の巨匠ジャック=ルイ・ダヴィッドがキャンバス上に油彩で制作した絵画である。2008年に購入されて以来、米国テキサス州のダラス美術館に所蔵されている[1]。1772年のローマ賞に応募するために描かれた。ダヴィッドの画家としての形成期を特徴づけるロココ様式を代表する作品で、彼と王立絵画彫刻アカデミーの間で長く続いた対立の原因の1つとなった。アカデミーは、投票の結果、この作品でダヴィッドに一等賞を与えることを拒否し、これにより前年のダヴィッドの出品作『マルスとミネルヴァの戦い』 (ルーヴル美術館、パリ) [2]に続き2回目の落選となった。
2度目のローマ賞応募のために描かれた本作は、アカデミーにより非常に不正に扱われた。2度目になる落選であり、「賞は彼に与えられるはずであったが、彼は策略によって騙された」[3]。ダヴィッドの個人的な記録文書と伝記作家たちの分析により、ダヴィッドに対して陰謀を企てる一味がいたことが明らかになっている。アカデミーの教授たちは、ダヴィッドよりもほかの2人の画学生ピエール=シャルル・ジョンベールとアニセ・シャルル・ガブリエル・ルモニエを贔屓し、2人は同点で一等賞を授与された[4]。
このスキャンダルは、アカデミーの疑わしい慣習を明らかにした。この落選の後、ダヴィッドは断食により自室で自殺しようとしたが、劇作家ミシェル=ジャン・スデーヌと、ローマ賞選考委員の1人をしていた画家で、ダヴィッドに好意的であったガブリエル=フランソワ・ドワイアンの介入によって、ダヴィッドは自殺の試みを放棄した[5]。
本作は、激怒したアポロンとディアナによるニオベの子供たちの虐殺を表している。ニオベは、アポロンとディアナの母レートーが彼ら2人しか子供がいなかったのに対し、自分はたくさんの子供を産んだことを自慢したのである。演劇的ともいえる[3]、この野心的で表現性豊かな作品で、ダヴィッドは参照していたフランソワ・ブーシェの様式を放棄して、17世紀の最も高貴な様式に回帰している。