マクシム・レヴィン

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マクシム・イェヴヘノヴィチ・レヴィン
Максим Євгенович Левін
生誕 (1981-07-07) 1981年7月7日
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
ウクライナ・ソビエト社会主義共和国の旗 ウクライナ・ソビエト社会主義共和国 キーウ州ボヤルカウクライナ語版
死没 c. (2022-03-13) 2022年3月13日(40歳没)
 ウクライナ キーウ州・フタ・メジヒルシカウクライナ語版
死因 銃創
遺体発見 2022年4月1日
 ウクライナ キーウ州・フタ・メジヒルシカ
教育 イゴール・シコルスキー・キーウ工科大学ウクライナ語版
職業 写真家
子供 4人
受賞
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マクシム・レヴィンに追贈された勇敢勲章をレヴィンの遺影を持つ遺族に渡すウォロディミル・ゼレンスキー大統領(2022年4月5日

マクシム・イェヴヘノヴィチ・レヴィンウクライナ語: Максим Євгенович Левін1981年7月7日 - 2022年3月13日以降)は、ウクライナの写真家。2022年ロシア大統領ウラジーミル・プーチンが起こしたウクライナ侵略戦争の最中にロシア軍により殺害された。

レヴィンが撮影した写真がプロジェクト「イロヴァイスク後」の一環で並べられている(2021年10月14日キーウ州・ボヤルカ)

1981年7月7日ウクライナキーウ州ボヤルカウクライナ語版に生まれる[1]イゴール・シコルスキー・キーウ工科大学ウクライナ語版を卒業し、システムエンジニアとして働いた[2]

2006年から写真家となり、LB.uaウクライナ語版のスタッフとなる。またロイターストリンガー英語版として働いた。またAP通信BBCTRT Worldトルコ語版でも働いた。彼の写真は『ELLE』、『Кореспондент.net』、『ラジオ・ブルガリア英語版』、『ラジオ・フリー・ヨーロッパ』、『ザ・モスクワ・タイムズ』、『ウォール・ストリート・ジャーナル』、『タイム』、『ウクライナ危機メディアセンター英語版』、『バチカン・ニュース英語版』、『ワールドニュース英語版』などに出版された。さらに欧州安全保障協力機構(OSCE)、国際連合児童基金(UNICEF)、国際連合(UN)、UNウィメン世界保健機関(WHO)などの国際機関に写真を提供した[1]

2014年からロシア・ウクライナ紛争の様々な戦闘の戦場カメラマンとして活動し、イロヴァイスクの戦いにおいてはロシア軍に包囲された[3][4]。しかし生き延びて脱出に成功し、2015年にはペトロ・ポロシェンコ大統領から第3級戦功章を授与された[4]

2022年2月24日からロシア大統領ウラジーミル・プーチンが開始したウクライナ侵略戦争をめぐって「すべてのウクライナの写真家が戦争を止めるための写真を撮ることを夢見ている」と語っていたという。キーウの破壊された建物の一つを撮った彼の写真は2022年3月の『デア・シュピーゲル』の表紙に掲載された[5]

2022年3月13日オベルスキー・チェルニショフウクライナ語版とともにロシア軍の侵略の惨禍を撮影するためキーウ州フタ・メジヒルシカウクライナ語版を去った際に行方不明となった[1]2022年4月1日に同村の近くで彼の遺体が発見された。ウクライナ検察庁ウクライナ語版によれば彼は武装しておらず、プレスジャケットを着ていたのにロシア軍に二度撃たれて殺害されたという[1][6]。レヴィンには勇敢勲章が追贈された[7]

レヴィンとその妻には4人の息子があった[8]

国境なき記者団による現地調査

出典

外部リンク

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