マット・モリス

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生年月日 (1974-08-09) 1974年8月9日(50歳)
身長
体重
6' 5" =約195.6 cm
225 lb =約102.1 kg
マット・モリス
Matt Morris
サンフランシスコ・ジャイアンツ時代
(2006年9月16日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ニューヨーク州の旗 ニューヨーク州ミドルタウン
生年月日 (1974-08-09) 1974年8月9日(50歳)
身長
体重
6' 5" =約195.6 cm
225 lb =約102.1 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1995年 ドラフト1巡目
初出場 1997年4月4日
最終出場 2008年4月26日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

マシュー・クリスチャン・モリスMatthew Christian Morris, 1974年8月9日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ミドルタウン出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

高校時代は野球の他にサッカーバスケットボールもプレイしていた[1]1992年のMLBドラフトミルウォーキー・ブルワーズから26巡目(全体724位)に指名を受けるが契約せず[2]シートン・ホール大学へ進学。

大学では2学年下のチームメイトにジェイソン・グリーリがいた。2年時の1994年に大学アメリカ代表に選出され[3]、日本で開催された第23回日米大学野球選手権にも出場し、第2戦・第5戦の2試合に登板した[4]

1995年は103防御率2.68、104奪三振の成績で、ベースボール・アメリカ誌によって全米代表チームに選出された[1]。同年6月1日MLBドラフトセントルイス・カージナルスから1巡目(全体12位)に指名を受け、7月7日に契約金85万ドルで契約[2][5]

セントルイス・カージナルス時代
(2005年)

1996年シーズン前にベースボール・アメリカ誌のプロスペクトランキングにおいて全体56位、チーム内ではアラン・ベネスに次ぐ2位にランクされた[1]。同年はAA級アーカンソーとAAA級ルイビルでプレイし、2階級合計で12勝13敗、防御率3.86、4完封を記録する[6]1997年は開幕からメジャーのロースター入りを果たし、4月4日のヒューストン・アストロズ戦でメジャーデビュー。好投を続けてローテーション入りし、最終的にチームトップタイの12勝(9敗)、防御率3.19、キャリアハイの217.0イニングを記録するなど、ルーキーながらエース級の活躍を見せた。ルーキー・オブ・ザ・イヤーの投票では満票で受賞したスコット・ローレンに次ぐ2位(リバン・ヘルナンデスとタイ)[7]だったが、スポーティングニュース社が選定するナショナルリーグ新人投手賞を受賞した[1]

1998年は右肩の故障でDL入りして前半戦を棒に振る。後半戦で復帰し、9月22日のアストロズ戦では10奪三振無四球でメジャー初完封[8]。17試合の登板に留まったものの防御率2.53を記録した。1999年スプリングトレーニングで右肘を故障し、4月13日にトミー・ジョン手術を受けてシーズン全休となった。2000年シーズン序盤はほぼリハビリに費やし、5月末に昇格後は術後の球数制限もありリリーフとして登板、ナ・リーグ中地区優勝に貢献する。

傷も癒えた2001年は22勝を記録し最多勝利カムバック賞を獲得、オールスターにも選出された。カージナルスの20勝投手は1970年のボブ・ギブソン以来であった。名実共にカージナルスのエースとなったモリスは2002年にも中地区優勝に貢献、2004年には念願のワールドシリーズへと進出する。しかしレッドソックスに4連敗、モリスも防御率8.31と散々な結果となった。オフには違和感を覚えていた右肩の手術を行っている。2005年はDLで開幕をむかえたが、クリス・カーペンターマーク・マルダーに続く3番手として、5年連続の2桁勝利を記録し、中地区優勝に貢献。リーグチャンピオンシップシリーズではヒューストン・アストロズに2勝4敗で敗れた。FAとなったモリスは12月13日にジャイアンツと3年総額2700万ドルで契約し、カージナルスを去ることとなった。5度のポストシーズン進出に貢献したモリスであったが、通算15試合に登板して防御率4.05、2勝4敗[9]とレギュラーシーズンほどの成績は残せなかった。彼が去った2006年にカージナルスがワールドシリーズに優勝したのは皮肉な結果である。

ジャイアンツに移った2006年は6年連続の2桁勝利こそ記録したが、自己ワーストの防御率4.98と安定感を欠いた投球内容となった。2007年はシーズン中盤から調子を落とし、ラージャイ・デービスとマイナー選手との交換でピッツバーグ・パイレーツに放出された。だがその後も不振が続き、2008年4月27日にパイレーツから解雇され[10]、3日後の4月30日に現役引退を表明。

詳細成績

参考資料

外部リンク

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