マドレーヌ・アングルの肖像
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| フランス語: Portrait de Madeleine Ingres 英語: Portrait of Madeleine Ingres | |
| 作者 | ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル |
|---|---|
| 製作年 | 1814年頃 |
| 種類 | 油彩、キャンバス |
| 寸法 | 70 cm × 57 cm (28 in × 22 in) |
| 所蔵 | チューリッヒ美術館、チューリッヒ |
『マドレーヌ・アングルの肖像』(マドレーヌ・アングルのしょうぞう、仏: Portrait de Madeleine Ingres, 独: Porträt von Madeleine Ingres, 英: Portrait of Madeleine Ingres)は、フランス新古典主義の巨匠ドミニク・アングルが1814年頃に制作した肖像画である。油彩。アングル初期のイタリア時代の作品で、1813年12月に結婚した最初の妻マドレーヌ・アングル(Madeleine Ingres)を描いている。アングルは妻マドレーヌが死去するまでに彼女をモデルに多くの肖像画を描いたが、本作品はその中で唯一の油彩画作品である。19世紀初頭の肖像画の中で最も優美な作品の1つ。スイスの武器商人であり美術収集家であったエミール・ゲオルク・ビュールレが収集したビュールレ・コレクションの一部として知られる。現在はスイスのチューリッヒ美術館に長期貸与されている[1][2][3][4]。
マドレーヌ・アングル夫人、旧姓シャペル(Chapelle)は1782年にマルヌ県シャロン=シュル=マルヌで家具職人の父ジョゼフ=マチュー=ランベール・シャペル(Joseph-Mathieu-Lambert Chapell)の末娘として生まれた。マドレーヌの姉ソフィー(Sophie Chapelle)は旅芸人であったピエール=アントワーヌ・デュブルイユ(Pierre-Antonie Dubreuil)と結婚した。夫妻はマルシュ県ゲレに住み、デュブルイユは同地で劇場監督として働いた後にカフェを経営した。1804年以降、デュブルイユ夫妻はマドレーヌをゲレに呼び寄せた。マドレーヌには容姿がよく似たアデルという従姉妹がいた[1]。アデルは弁護士ジャン=フランソワ・メゾニー・ド・ローレアル(Jean-François Maizony de Lauréal)と結婚し、フランス裁判所の書記官として赴任した夫とともにローマに移住した[1][5]。アデルはローマのフランス社交界で最も魅力的な女性の1人とされていた[5]。ローマで夫妻と知り合ったアングルもアデルにすっかり魅了されたという。そこでアデルは自分によく似た従姉妹マドレーヌがおり、彼女のことを気に入るかもしれないと言ってアングルにマドレーヌに手紙を書くよう勧めた。すると約6週間後にマドレーヌはローマを訪れた。アングルとマドレーヌは1813年12月4日にサン・マルティノ・アイ・モンティ教会で結婚した。結婚生活は、貧しく、子供がないことを除けばこの上なく円満であった。またマドレーヌは多くの作品でモデルの役割を果たした。1849年5月、突然病に倒れると7月初旬以降病状が悪化し、7月27日に死去した[1]。
作品

アングルは鑑賞者を見つめる妻マドレーヌを描いた。マドレーヌはハイウエストのドレスを着て、透けるようなシュミゼットと襞襟で胸元を覆い、肩にさりげなくショールを掛けている。アングルの表現は空間的に接近し直接的である。画面からはマドレーヌの親密で飾り気がなく、ありのままで素直な様子がうかがえる[1]。
マドレーヌの完璧な卵型の顔立ちと理想化された優しい容姿は、ラファエロ・サンツィオの聖母像を彷彿とさせる。マドレーヌの肖像画にラファエロ風の趣がうかがえる点については、マドレーヌと出会った当時、アングルがラファエロの生涯を主題とする連作に取り組んでいたことと関係がある。アングルは『ラファエロとラ・フォルナリーナ』(Raffaello e la Fornarina)の制作段階において、おそらくマドレーヌをモデルに準備素描を制作し(メトロポリタン美術館所蔵)、敬愛するラファエロが愛したパン屋の娘(ラ・フォルナリーナ)に自身の妻の面影を与えている[1]。
全体的に受ける未完成な印象は肖像画が明らかに夫婦のために描かれた非公式な作品であることを意味している。アングルはマドレーヌの顔立ちを薄塗りを用いて非常に精緻に描いた。これに対してマドレーヌの身体と衣装は濃い筆致で大まかに示し、ウォッシュ技法で黄土色とベージュを大雑把に塗っただけにとどめており、ところどころ下地が透けて見える。この自由な筆致と未完成な仕上げは、アングルがローマで友人たちを描いた2点の肖像画、『ジャン=バティスト・デスデバンの肖像』( Portrait de Jean-Baptiste Desdéban)と『ポール・ルモワーヌの肖像』(Portrait du sculpteur Paul Lemoyne)を思い出させる[1]。
マドレーヌの肖像画はおそらく1813年12月の結婚後まもなく描かれた。マドレーヌは結婚後すぐに妊娠したことが知られているが、本作品から妊娠を示す身体の変化は確認できない[1]。モントーバンのアングル・ブールデル美術館には妊娠したマドレーヌの肖像画が所蔵されている[7]。
来歴
肖像画はマドレーヌの姉であるソフィー・デュブルイユ夫人によって所有されていた。ソフィーの死後、肖像画は子孫であるミンガソン氏( M. Mingasson)に相続された。モントーバン出身の美術評論家アンリ・ラポーズは1910年にこの人物から本作品を購入した。ラポーズが1925年に死去すると、彼のコレクションは4年後の1929年6月21日にオテル・ドゥルオーで競売にかけられ(ロット番号53)、美術商のポール・ローゼンバーグによって落札された。1952年、ドイツ出身の美術収集家エミール・ゲオルク・ビュールレはローゼンバーグからマドレーヌの肖像画を購入した。購入価格は58,500ドルであった。しかしビュールレは1956年に死去。1960年、ビュールレのコレクションは遺産相続人によってチューリッヒのエミール・ゲオルク・ビューレ・コレクション財団(Foundation Emil Georg Bührle Collection)に移管された[1][3]。
ギャラリー
- 他のマドレーヌの肖像画の一例
- 「マドレーヌ・シャペルの肖像」1813年 アングル・ブールデル美術館所蔵[8]
- 「マドレーヌ・アングルの肖像」1814年 メトロポリタン美術館所蔵[9]
- 「妊娠したマドレーヌ・シャペル」1814年 アングル・ブールデル美術館所蔵[7]
- 「マドレーヌ・アングルの肖像」1824年頃 パリ国立高等美術学校所蔵
- 「マドレーヌ・アングルの肖像」1830年 ゲレ美術考古博物館所蔵
- 「1835年のマドレーヌ・シャペル」1835年 アングル・ブールデル美術館所蔵[10]