黄金時代 (アングル)
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| フランス語: L'Âge d'or 英語: The Golden Age | |
| 作者 | ジャン=オーギュスト・ドミニク・アングル |
|---|---|
| 製作年 | 1862年 |
| 種類 | 油彩、紙(板の裏打ち) |
| 寸法 | 46.43 cm × 61.91 cm (18.28 in × 24.37 in) |
| 所蔵 | フォッグ美術館、マサチューセッツ州ケンブリッジ |
『黄金時代』(おうごんじだい、仏: L'Âge d'or, 英: The Golden Age)は、フランス新古典主義の巨匠ドミニク・アングルが1862年に制作した壁画である。油彩。古代ギリシアの詩人ヘシオドスが『仕事と日々』の中で言及した最も幸福な人々が生きたとされる神話的な黄金時代を主題としている。リュイヌ公爵オノレ・テオドリクス・ダルベールの依頼でイヴリーヌ県ダンピエール=アン=イブリーヌのダンピエール城に描かれたが、未完のまま放棄されることとなった。もし完成したならば、アングルの経歴の中で最大の規模を誇る作品となるはずであった。アングルは晩年の1862年に小型の板絵のバージョンを制作しており、現在はマサチューセッツ州ケンブリッジのフォッグ美術館に所蔵されている[1][2][3][4][5][6]。


黄金時代はギリシア神話においていくつかある人類史の時代の1つで、あらゆる者が平安と繁栄を享受することのできた最も良い時代として古代ギリシアではヘシオドスの『仕事と日々』、古代ローマではオウィディウスの『変身物語』などで言及されている。これらの文献によると、黄金時代はクロノス(ローマ神話における農耕神サトゥルヌス)の治世であり、人々は苦悩も労働も老年もなく、大地は自ら豊かな豊穣をもたらし、何不自由もなく神々と変わりない生活を送っていたとされた[7][8]。しかしゼウス(ユピテル)によって創造された人類が生きた白銀時代、青銅時代、英雄の時代へと時代が下るにつれて様々な悪徳や暴力が蔓延り、昼夜を問わず労働と苦悩で満たされた鉄の時代に至った。そのため廉恥の女神アイドスと義憤の女神ネメシスは人間を見捨てるだろうと語られている[9][10]。さらにオウィディウスは正義の女神アストライアは人々を見放し大地から消え去ったと述べた[3][11]。
制作経緯
1839年、当時ローマのフランス・アカデミーで校長を務めていたアングルは、リュイヌ公爵オノレ・テオドリクス・ダルベールからダンピエール城のミネルヴァの間の装飾を依頼された[2][3][4]。リュイヌ公爵は古代ギリシアの遺物に関する研究を出版するほどの博識な考古学者で、ミネルヴァの間に復元されたパルテノン神殿のアテナ神像や古典的主題の壁画といった新ギリシア風の装飾を施そうと考えていた[2]。この装飾全体の指揮は建築家フェリックス・デュバンが執り、アングルの他にも画家のイポリット・フランドランとポール・フランドラン兄弟、彫刻家ピエール=シャルル・シマールやフランシスク・デュレが参加した[3]。アングルが担当したのはミネルヴァの間にある向かい合った広い半円形の壁面であり、アングルはここに「黄金時代」と「鉄の時代」を主題とする壁画を描くことを決定した[2][3][4]。報酬は70,000フランであった[2]。アングルは1841年にイタリアから帰国すると、1843年に『黄金時代』の制作を開始し、1845年には『鉄の時代』の制作に着手した[4]。壁画制作に携わる間、アングルは妻マドレーヌとともにダンピエール城に滞在した[2][3]。しかし『黄金時代』は大まかな図像が壁面全体に描かれた段階で、また『鉄の時代』は弟子のオーギュスト・ピションに指示した背景が描かれた段階で未完のまま放棄されることとなった。これは図像に関してリュイヌ公爵との間に大きな意識のずれが生じたことが原因であった。というのも、アングルが壁面に描いた『黄金時代』の図像はあまりにも裸婦であふれていたため、それを見たリュイヌ公爵は女性や子供も暮らす空間に相応しくないと考えるようになった[2][3][4]。この両者の溝は埋まることはなく、1849年にアングルの妻マドレーヌが死去すると、アングルは深い悲しみのために制作を中断[3][4]。最終的に1850年にリュイヌ公爵と制作中止を決定する契約が取り交わされた[2][3]。晩年、アングルは『黄金時代』の制作が未完成のまま終わったことを惜しみ、自身のために小型の複製を制作した[4]。
作品
アングルが新たに制作した複製は壮大さの点でダンピエール城の壁画にとうてい及ばないが、損傷が著しい現在の壁画に比べてはるかに魅力的であり、アングルの構想を生き生きと伝えている[2][4]。
アングルは理想郷アルカディアのような神話上の黄金時代を描き出した[2]。画面は大きく3つのパートに分かれる[2][3]。画面左では正義を司る女神アストライアが白い長衣をまとって立っており、その周りには大勢の女神を信奉する男女が愛と美徳を求めて集まり、真摯な眼差しを送っている[3]。画面中央では果実が捧げられた岩の祭壇を中心に宗教儀礼が神官によって執り行われている。その周囲では祭壇を囲むように四季の三女神ホーラや優美の三女神カリス、愛と美の女神ヴィーナス、青春の女神ヘベがフルートの音に合わせて踊っている[2]。アングルが「美しき安逸に包まれた一群」と呼んだ、画面右の部分には座るか寝そべった男女が、果物を食べたり、乳を飲み、満ち足りた生活を送っており、理想的世界の豊かさを享受している。ダンピエール城の壁画バージョンではこの部分にサトゥルヌス神が配置されていたが、フォッグ美術館版では全体を見渡すことができる中央奥の高みに配置され、自身の支配下にある黄金時代の幸福な人々を見つめている。このようにアングルの作品ではサトゥルヌスとアストライアの存在が重要な要素となっている[3]。人々の上方では愛の神キューピッドと風神が宙を舞っている[4]。画面には多くの裸体人物とともにウマやシカ、ヒツジ、犬、ウサギが描かれているが、美術史家ロバート・ローゼンブラムはこれらの「大人しい動物たちは、従順、忠実、多産といった美徳を象徴する」としている[3]。
『黄金時代』はアングルが深く傾倒する理想の調和と美を表す古典的様式の理論的要約である。この作品はアングルが長年にわたって研鑽してきた裸体習作のアカデミックな辞典ともいうべきものであり、理想的な人体の美が様々なポーズや動きによって表されている。これらの人々は画面全体で流れのあるリズムを作り出し、広い風景の中に包み込まれている[2]。
女神アストライアが構図における中心的な役割の一端を担っている点については、依頼主であるリュイヌ公爵の意図に基づいたものであることが指摘されている。リュイヌ公爵が本作品を依頼した当時はナポレオン3世の治世であり、ブルボン王家を支持する王政復古主義者であったリュイヌ公爵にとって「鉄の時代」とも呼ぶべき時代であり、それ以前の王政時代こそ正義のあった理想の時代「黄金時代」であるという[3]。
来歴
アングルが所有していた『黄金時代』は、画家が死去したのちにオテル・ドルーオによってアトリエが売却された際に、未亡人のデルフィーヌ・ラメル(Delphine Ramel)によって購入された。甥のアルベール・ラメル(Albert Ramel)はデルフィーヌの死の前年の1886年に絵画を相続。その後はアルベール・ラメル夫人、夫人の遺産相続人に相続された。1929年、『黄金時代』はマーティン・バーンバウム(Martin Birnbaum)を通じてグレンヴィル・L・ウィンスロップに売却された。ウィンスロップは1943年に絵画をフォッグ美術館に遺贈した[3][5]。