光式5.1型
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1942年(昭和17年)、福田は葉啓聴技師の設計による[1]単座の上級滑空機[3](ソアラー)として光式5.1型を製作した[1][2]。光式5.1型は、ドイツから輸入された図面を用いた製作経験を基に[4]、DFS オリンピア・マイゼの設計に改修を加えたもので[5]、オリンピア・マイゼと比較すると一回り小型の機体として完成している[6]。
試験飛行の際には、宙返り中に主翼の付け根が折れて空中分解し、パイロットがパラシュートを用いて脱出する事故を起こしている。この事故を受けた改造を経て数機が製作され、民間の他に[7]大日本帝国陸軍が1941年(昭和16年)から再開させた滑空訓練においても使用されている[3]。