試作単座奇襲機
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1945年(昭和20年)4月、約250機分が存在した予備の1,000馬力級空冷エンジンとプロペラ[1][2][3]、南方で容易に入手できる木材を用いた[4]特殊攻撃機の現地生産計画「南方自活計画」が[3]、シンガポールの陸海軍関係者によって計画された[1][2][3]。
設計は、陸軍司政官として第3航空軍司令部[2][3]ないし陸軍航空技術研究所南方出張所に派遣された[4]元[1][5]東京航空の井上真六技師を主務者として[1][2][3][5]1945年5月初頭から行われ[1][3][5]、航技研南方出張所に加えて第16野戦航空修理廠や[2]海軍がそれに協力した[4]。機体の製造は、イギリス軍の施設を転用したチャンギの[4]野戦工廠で1945年6月から開始されたが[1]、第二次世界大戦の終戦によって開発は中止され、終戦時に組立中だった数組の胴体と翼は[1][3][4][6]同年8月17日より廃棄および海中投棄された[4]。
機体
機体は、簡易な構造の[4]低翼単葉単発機[1][3][6]。爆弾懸吊のために[4]鋼管熔接構造を採用した胴体骨組以外は木製合板張りで[1][3][4]、主桁の断面積を大きく取り強度を確保した主翼は[4]、同様のフラッペロンを備えるなど[1]尾翼ともどもキ107のものに近い構造だが[3][6]、サイズは機体に併せて拡大されている[3]。
エンジンは現地調達品を使用し[1][2][3][4]、操縦装置や[4]スパッツに覆われた[1]片持式の[1][3]固定脚といった各種装備品には、破損機の部品が利用された[1][3][4]。操縦席は密閉式の風防に覆われ[1]、燃料タンクの容量をなるべく増やすべく、艤装は通信装置など最低限に止められている[4]。また、降下角60度での急降下爆撃が可能なように設計されていた[1][3][6]。
なお、陸海軍による基本構想では特攻用の機体とされていたが[1]、井上技師は特攻用ではない奇襲機とする方針を開発会議で提案し、認められている[4]。